• 秋山善久

年が改まってから様々な事務作業に追われています。頭の中では段取りをつけているのに、時間だけが超過して仕事が一向にはかどらない焦りがあります。先日、そんなことで気分が滅入ったので、近くの温水プールに行ってきました。クロールと平泳ぎで1キロ程泳いで休んでいると、ニコニコした男性から「こんばんわ」と声をかけられました。誰かと思ったら、以前、一緒に祈り会をしていたT牧師でした。その祈り会をしていたのは震災以前のことで、互いに忙しくなってからはしばらく会うこともありませんでした。T牧師は、「平泳ぎがなかなか前に進まないのですよ」という話をしました。そこで私はキックをするタイミングとか、呼吸の仕方について簡単なアドバイスをしました。そういう私は子供の頃から正式に水泳の指導を受けたことがありません。ただ、小川を堰き止めたプールで年長者の泳ぎを見よう見まねで身につけたのです。それに東京オリンピックの影響があります。その頃、家に入ったばかりのテレビを見ながら、選手の手や足の動かし方を一生懸命になって真似たのでした。その後、川で泳ぐことはなくなってしまいましたが、会社員となって一度だけ会社の水泳大会の選手に選ばれたことがあります。メドレーリレーで、私はバタフライのパートを泳ぐことになったのです。他の種目であれば多少の自信がありましたが、バタフライだけは溺れた人がもがいている様子の域を出ません。実はチームの中では誰もバタフライができなかったのです。そんなこともあって大会のルールにより平泳ぎで代用することがゆるされたのでした。しかし試合になると、他のコースの人は皆バタフライをしています。気がつくとが大ブレーキとなり結果はビリとなりました。これについては今でもとても悔しい思いがあります。T牧師と水泳の話をしながら、そうした時間の流れをしみじみ感じることができました。

  • 秋山善久

 今年は元旦と日曜日が重なったこともあり、お正月といっても特別なことはありませんでした。

言ってみれば寝正月に近かったような気がします。ゴロゴロしていたわけではありませんが、気

がついたら松の内も今日まで。ぎりぎりのところで夢をみました。何の夢だったのか、端から脈略がないのですが、所詮、夢とはそういうもの。それでも夏頃に爺さんになるような気がします。若いときから爺さんと言われてきましたが、今度は本物の爺さんに。それがどんな風なのか、これもまた夢の話です。それもいいことなのかも。めでたいのは、持って生まれたこの性格なのです。

  • 秋山善久

一年があっという間に過ぎてしまいました。特に還暦を過ぎてからは、時間の感覚が違ってしまったようです。光陰矢のごとしと言いますが、一年が一日のように感じてしまうことがあるのです。「それって、呆けたってことでは」と突っ込まれそうではあるのですが。確かに年齢からくる弱さを自覚していて、それに言い逆らうつもりはありません。今年は生まれて初めて腹部の手術も受けました。それでも友人は、「一日に1500メートルも泳げればまだまだ元気だよ」と笑うのです。二足の草鞋どころか、四五足の草鞋で歩いている姿が滑稽な分もあるのでしょう。

そんなこんなで今年も後数日。今は新しい年に向かってチャレンジをしていきたいという思いを抱いています。モーセに従ったカレブが85歳になってからも衰えを口にせず、「あの日に約束されたこの山地を私に与えてください」と言って戦いに向かった姿などに励まされています。それで新しい年には、主にあって積極的にチャレンジをしたいと願っています。

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