top of page

キリシタン史跡

更新日:2月23日

 今週、まるで春を通り越したような日に、南三陸町市まで車を走らせて、キリシタンの史跡を巡ってきました。ニュースレターの取材をするという牧師たちに誘われて同伴したのでした。被災支援では何度も往復した道でしたが、こうした目的で歩いたことがなく、多くのことを教えられました。この地域一帯は、東北最大のキリシタンの殉教地と言われています。

 最盛期のキリシタン人口は3万人とも言われ、寛永16年(1639)の弾圧では馬籠(まごめ)だけで309人が処刑されています。山間地にも関わらずこれ程のキリシタンがいたのは、この地で行われた製鉄事業と関係しています。永禄元年(1558) キリスト教は、「たたら」を作る技術と共に入ってきました。「たたら」とは川から採取した砂鉄を木炭で熱し、鉄を抽出するものです。幕府がキリシタンを本格的に迫害するようになっても、伊達政宗は密かにキリシタンを匿っています。それは「たたら」を生産していることが秘匿されただけでなく、その技術は信仰と共に継承されていたからです。そのためキリシタンの取り締まりが全国的に広まってからというもの、各地のキリシタンがここに逃れてきました。今のような通信手段を持たない中で、信仰のネットワークがそれを支えていたのでした。けれども遂に伊達藩も隠しきれなくなると、最後まで残っていた信徒たちを捕らえ、処刑します。

 散在する史跡となる石には、朽ちかけた案内板に短い説明文があるだけでした。現代の感覚からは、遠い過去の出来事のように思われてしまうでしょう。けれども振り返ってみると、何かが語りかけられているようでもあります。それは風に揺れる笹の葉音などではなく、過去から現代に向けられた呻きの声であるかもしれません。レント(受難節)の期間とはいえ、心の中に強く迫るものを感じました。

最新記事

すべて表示

干し柿

ある方から干し柿をいただきました。丁寧に包んである薄紙を開くと、掌の半分より少し大きめの立派なものでした。弾力があって琥珀色に輝いている。「今までで一番いいできでした。」との知人のことばも頷けます。口に入れると、甘さといい、ふくよかさといい、自分がこれまで食べてきた干し柿の...

スポーツ

パリオリンピックが始まりました。出場するアスリートは、どれだけ多くの練習を積んだことか。メダルを獲得するとか、入賞することの栄誉もあるでしょうが、そのための努力にはただただ頭が下がるばかりです。 自分の人生を振り返ってみると、スポーツと呼ぶにはレベルが遠く及ばないにしても、...

ツツジ

教会のツツジが咲いています。この淡いピンクの花は、一緒に植えてある杉科の植物にとても映えるのです。手入れさえ良ければ生垣をもっと美しく整えることができるのでしょう。でも残念なことに、所々、昨年の夏にチェーンソーを入れたときの残骸を痛々しく晒しています。既に杉科の植物の何本か...

Comments


最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page