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ナラティブ・アプローチ

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年10月9日
  • 読了時間: 2分

 相談に来られた人を支援するのに、その人が語る物語り「ナラティブ」(narrative)を通して問題を解決していこうとする考え方が、社会の様々な分野に広がっています。ナラティブに近い意味でストーリー(story)という言葉がありますが、それを用いないのは支援においては構造主義に陥ってしまう危険があるという反省です。相談者の話を聞いたとき、それを一つの枠の中に入れて問題を解決しようと考えてしまう。そんなことは牧師である私の経験の中にもあります。パターン化しておけば、相談を受けた側としては理解し易いという利点があります。その分、対応も素早くなるでしょう。けれども、それだと相談者が抱えている本質的な悩みに迫ることができないし、対応そのものが的外れなものになってしまうことがあるというのです。これを聞くと冷や汗が出てしまいます。臨床心理の現場では1990年頃から相談者の自主的な語りを重要視するようになり、これをナラティブ・アプローチと呼んでいるようです。

 こうした資料をみていたときに、福音書に記された主イエスの姿がそうであることに気がつかされました。例えば道端に座っていた目の不自由な人が、主イエスのもとに呼ばれた出来事です。(マタイ20:32) このとき主イエスは、「わたしに何をしてほしいのですか」と聞かれました。目が不自由な人であるから、目を開けてほしいのだろうと決めつけていません。この人に対して人々が抱いている評価や感情からも切り離しています。そして目の不自由な人が「主よ、目を開けていただきたいのです」と語った言葉に、主イエスは深い憐みを示されました。ナラティブ・アプローチでは、自己決定の意思も重要視されます。福音書では、主に目を癒されたこの人が「イエスについて行った」と記している。そのことにも改めて教えられます。

 
 
 

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