top of page

ワクチン接種

 昨年末、新型コロナウィルスとインフルエンザのダブルパンチが心配されました。1月頃にそのピークが来るのではないかということで、私も5回目の接種とインフルエンザの予防接種を受けたのでした。その効果なのかどうか、感謝なことに私自身はこれまでコロナにもインフルエンザにも感染することなく日を過ごさせていただいています。ただし、全国的にみると、このところ高齢者の死亡者数が増えていることが気になります。知り合いの中には、ワクチンを接種しないで感染し、大変な目にあったという人がいます。一方には、ワクチンに疑問をもって接種を受けていない健康な友人もいます。議論をしてみると、反対の人とはどこまで行っても平行線。さすれば接種率は、今後、一定数に固定するかも。人口の一定以上の人が免疫を持つと、感染者が出ても他の人にうつし憎くなる。これが集団免疫と言われるもので、国の政策もこうした考えを基本に据えているようです。これもウィルスが変異して免疫をスルーしたらどうなるか。そのときには元の木阿弥ということでしょうか。あまり考えたくないことですが、そんな絶望的な状況が発生したとしても、きっと抜け出ることができるに違いない。それが人間に与えられた知恵であり、体の中に仕組まれた機能であると考えている方が多いのではないでしょうか。きっとそうでしょうけれども、門外漢の者が言うのもおかしいのですが、そろそろそこにある壁を乗り越えるべきではないかと思わされるのです。自然界に備わった免疫という仕組みが偶然に出来上がったという考え方。その人間の作った壁が何かを見えなくしているのではないかと。

最新記事

すべて表示

弱さと尊厳

いつも行く図書館の貸し出し口で、職員の大きな声がしていました。目を向けると、白髪の男性がコピー機の使い方を聞いているのです。 「いくらですか」と男性。若い職員が「10円です」と面倒くさそうに答える。するとまた「いくらですか」と聞き返す。「10円です」「え?100円」周りが少しざわついて、「あほか」という小さな声が聞こえてきました。男性は軽い認知症を患っているのかも知れません。今言われたことを理解で

ロータリーの真ん中にある桜が開花しました。私も含め団地の人はみな、毎年、その開花を楽しみにしているのです。けれどもそれは盆栽のような低木で、わざわざ花見に来るようなものではありません。せいぜい近くのコンビニや郵便局に立ち寄った人が、帰り際に一瞥して微笑むようなことで終わります。それでも桜の名を冠した団地の象徴的な存在でありますから、春から秋にかけては区域ごとに当番を決めて雑草を抜くなどの手入れ作業

自分について

自分とは何なのだろう。そんなことを考えるようになったのは中学生の頃でした。夕日に照らされたじゃり道を、ひたすら自転車のペダルを踏みながら、自分と自分でないものと分けるのはいったい何なのだろうと考えたのです。少しおかしいです。きっかけは三つ違いの兄との比較でした。同じ親から生まれたのに、自分と兄とは確かに違う。当時は僻みとか理不尽さを感じていたのでした。生まれる時間が少しずれていたらどうなったのだろ

Comments


最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page