主よ、いつまでですか
ニュースでロシアによるウクライナへのを侵攻をみていて、いきなり腹の中にぐっと手を入れられ、内臓を掴まれたような気持ちになりました。人の罪がどれほどに深いものであるかを思わされたからです。
今週、祈り会で開いた詩79篇のことが頭に残っていたからでしょう。そこを学んだとき、旧約の時代に同じような出来事があったのだと気付かされました。この詩は、いつの時代に、どのような状況で書かれたものか確定できないと言われています。それでも国々によってエルサレムが占領され、破壊されてしまったたことは確かです。「神よ 国々はあなたのゆずりの地に侵入し、あなたの聖なる宮を汚し、エルサレムを瓦礫の山としました」(詩79:1)
作者が目にしたのは、どれ程にショックで痛ましいことであったことか。「主よ いつまでですか」と問い続けています。ロシア軍の首都キエフを爆撃する映像が、エルサレム崩壊と二重映しになって頭の中をめぐります。でも、御言葉から一番に教えられているのは、自分たちの罪を自覚して神の憐みを求めていることです。「私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください」(79:9)
今、ウクライナの問題で世界全体が暗い雲に覆われているかのようです。解決の道は程遠く、困難な状況が長く続くことが懸念されます。ロシアのしたことは赦しがたいことですが、そこで裁く側にだけ立っていたら自分の罪を見失ってしまう。だからこそ神の前に祈ることを第一にしていこうと思います。「あなたの大いなる力のゆえに」(73:11)です。
最新記事
すべて表示いつの頃からか、急に読書量が減ってしまったような気がします。ちまたで言われているように、スマホとかパソコンが影響しているのかもしれません。これではけないと、今年の初めに自分でノルマを課したのですが、それがなかなか守れない。図書館から借りてきた本が、未読のまま今も机に積みあがっています。せめて信仰書だけはと思うものの、これも読みかけのままになっているのは、理解力が相当減退して読書のスピードが落ちたか
沖縄の友人から電話がかかってきて、キャンプの準備をしていると楽しそうに話してくれました。「夏は暑すぎるし、蚊が多いからキャンプには全く不向きだからねえ」とのこと。うらやましいと言っていいのか、どうか。何にせよ、いつの時代どこにあっても困難さはつきまとうものだと思わされました。 多くの場合、そうした困難さへの向き合い方が、人生の方向性を決めていくのだと思います。壁があるから前に進めないと言ってしまう
昨年末、新型コロナウィルスとインフルエンザのダブルパンチが心配されました。1月頃にそのピークが来るのではないかということで、私も5回目の接種とインフルエンザの予防接種を受けたのでした。その効果なのかどうか、感謝なことに私自身はこれまでコロナにもインフルエンザにも感染することなく日を過ごさせていただいています。ただし、全国的にみると、このところ高齢者の死亡者数が増えていることが気になります。知り合い