高齢者の2040年
更新日:8月31日
高齢化社会への警鐘として、2040年問題ということが言われています。今のまま少子化による人口減少が進むと、2040年には日本全体の高齢者の割合が最大限の35%に達するとのこと。そのときには、今の働き盛りである団塊ジュニア世代(1970年以前生まれ)の平均年齢も65歳以上になっているわけで、そんな歪な人口構成で社会のシステムを維持していくことができるのかということが不安視されています。問題は年金、医療、介護だけのことではなく、それを支える労働力とかインフラの整備、あるいは国の財政が耐えられるかなど多くのことが課題としてあがっています。高齢者は、物価高と年金額の減少、医療費の負担増などにより、今の生活レベルを維持していくことがますます困難になるでしょう。その年金にしても、厚生年金と国民年金では受給額が大きく違う。
かと言って、社会全体で漏れなくセーフティーネットを張るということは、理想としてはあっても現実的ではありません。そのための財政負担を現役世代が担うという考えは、どう考えても不平等であるし、第一、社会のシステムが大きく変わるでもしない限り、人々に受け入れられることはないでしょう。結局、政治力をもってしても場当たり的な対応で凌ぐ他はないのかも。それで生活が守られる人がいるかもしれないけれど、そこから漏れる人が多く出るのは確実ではないでしょうか。これから高齢化の大波が来る。すでに波頭が見えている。この波をどのように耐えて乗り切るか。せめて自分が場当たり的な対応にならないよう、考えていきたいと思っています。2040年代、俺たちはどう生きるか。
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