11年目の3.11
- 秋山善久
- 2022年3月12日
- 読了時間: 2分
11年前のあの日、日頃から気心の知れた3人の牧師が集まって祈り会をしていました。会場となったのは、市内北部に位置する泉聖書教会です。中野先生による聖書の短い奨励が終わって、これから祈りに入ろうとするときに地震がきました。大きな横揺れがあり、それが次第に強くなってきます。私たちは、この地震が直ちに治まるよう祈り続けましたが、会堂の奥からはガラスが割れたり、物が倒れる音が鳴り響いていました。
帰途、信号機がつかない道路は渋滞が始まっていました。慎重に車を運転しながら自宅に戻ると、教会の前に家の屋根瓦が砕け落ちていて、「お宅の屋根の十字架が落ちてくるかと思いました。」と不安げに言われたのです。思わず塔の上に立つ4メートルの十字架を見上げました。
停電はすぐに復旧しないとわかったので、クリスマスのときに使った蝋燭を探し出して、何とかその晩の明かりを確保しました。少し安堵したものの、ラジオから流れる情報に耳を疑いました。多賀城市のジャスコに津波が押し寄せている。長女が近くの市役所に勤務していて、携帯での連絡もとれないのでいました。
11年という歳月が昨日のように思い出されます。あの泉聖書教会は、その後、基礎が壊れたことで立て直しとなり、今は困難を乗り越えて新しい会堂が建っています。震災直後に連絡のとれなかった長女は、後から聞くと、上司の命令で海と川をつなぐ水門を点検しに行っていたとのこと。生死を分けるところで、すんでのところで生き延びてきたのだと思わされます。この期間、変わったものと変わらないものがはっきりとしてきました。震災時の光景は大きく変わりました。昨日、仙台港近くの公園に足を延ばしてみると、きれいに整備された砂浜が広がっていました。変わらないのは目にみえない部分です。そこにどれだけ心を寄せることができるか。主の前に試されているような気がします。
最新記事
すべて表示5月の第二日曜日は母の日です。今では広く知られていますが、この習慣が始まったのは1905年、アメリカのウェブスターの一教会での出来事が由来とされています。 アンナ・ジャービスという女性が、母の追悼集会にたくさんのカーネーションをもって来て母への感謝を表したというのです。そ...
一年程前から、気が合った人たちと仏教の学び会をしています。先日は、「善悪不二」ということを学びました。「ぜんあくふに」と読み、善と悪は別々のものではなく、善の中に悪があり悪の中に善が在するというものです。悪とされていたことが、いつの間にか善とされていたり、反対に善とされてい...
介護の夜勤開けでしたが、家に帰って朝食をとる間もなく、慌ただしく新幹線に乗りました。東京で開催された教団総会に出席するためです。仙台を出るときからの雪が東京駅に着いても止まないのは想定外。やはり傘を持ってくるべきだったと悔みながら、会場である両国にある国際ファッションセンタ...
Comments