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9月の風

 9月は私の誕生日でした。44年前に受洗したのも9月。古くて狭かった牧師館の風呂場での洗礼式が懐かしい思い出として残っています。それと昨年生まれた1歳の孫の誕生日が9月。勘違いしておめでとうと言うタイミングを逸し、娘に叱られてしまいました。忘れられないのが、6年前、私の誕生日に召されたEさんのこと。千葉県在住のEさんは、ネットを通じて知り合った会社の社長さんでした。若いときから破天荒な生涯でしたが、最後はキリスト教信仰を明確にされて召されました。医師から余命2ケ月と言われながら、聖餐式を受けるため「這ってでも仙台のぞみ教会に行く」と御長男と奥様に付き添われながら車でこられたときには驚かされれました。日曜でなかったので、家族だけの聖餐式となりましたが、教会で聖餐に与ったことを心から喜んでおられた。それから間もなく主に召されたのでした。先日、東京への出張の途中でご自宅を訪問し、ご家族と記念のときを持ちました。

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弱さと尊厳

いつも行く図書館の貸し出し口で、職員の大きな声がしていました。目を向けると、白髪の男性がコピー機の使い方を聞いているのです。 「いくらですか」と男性。若い職員が「10円です」と面倒くさそうに答える。するとまた「いくらですか」と聞き返す。「10円です」「え?100円」周りが少しざわついて、「あほか」という小さな声が聞こえてきました。男性は軽い認知症を患っているのかも知れません。今言われたことを理解で

ロータリーの真ん中にある桜が開花しました。私も含め団地の人はみな、毎年、その開花を楽しみにしているのです。けれどもそれは盆栽のような低木で、わざわざ花見に来るようなものではありません。せいぜい近くのコンビニや郵便局に立ち寄った人が、帰り際に一瞥して微笑むようなことで終わります。それでも桜の名を冠した団地の象徴的な存在でありますから、春から秋にかけては区域ごとに当番を決めて雑草を抜くなどの手入れ作業

自分について

自分とは何なのだろう。そんなことを考えるようになったのは中学生の頃でした。夕日に照らされたじゃり道を、ひたすら自転車のペダルを踏みながら、自分と自分でないものと分けるのはいったい何なのだろうと考えたのです。少しおかしいです。きっかけは三つ違いの兄との比較でした。同じ親から生まれたのに、自分と兄とは確かに違う。当時は僻みとか理不尽さを感じていたのでした。生まれる時間が少しずれていたらどうなったのだろ

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