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コロナウィルス

新型コロナウィルスの蔓延によって、日本各地のコンサートやイベントなどが中止に追い込まれています。仙台市内では、3月11日に予定していた東日本大震災の犠牲者を偲ぶ追悼集会が中止となりました。毎年、仙台青葉壮教会を会場に、教派を越えて行っていた集会ですが、思いも因らずこのような結果になってしまったことは残念としか言いようがありません。それにしても、このコロナウィルスは、今後、私たちの社会全体にどのような影響を及ぼし続けるのでしょうか。それは医療、経済、教育、交通、介護、スポーツなど、あらゆる分野に大きな負荷を与えることでしょう。私自身は、週に何回か高齢者の介護施設で夜勤をしていますが、もし、そこにコロナウィルスが入り込んだら、適切に対応できるだろうかと心配になります。しかし考えてみると、人の罪の性質というのも、これと似たものがあるようにも思います。感染ということでは、人は罪に対して防ぎようがない弱さを抱えているからです。コロナウィルスは新薬の開発が急がれています。そのうちワクチンが使用できるようになるでしょう。そうすれば、この問題を人類は克服したということになるのかも知れません。でも、罪に対して人は無力のままであることを自覚し続けたいと思います。ただ、福音だけがこの罪から救ってくださる。人の弱さを自覚しながら、福音の恵みを語っていきたいと思います。

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いつの頃からか、急に読書量が減ってしまったような気がします。ちまたで言われているように、スマホとかパソコンが影響しているのかもしれません。これではけないと、今年の初めに自分でノルマを課したのですが、それがなかなか守れない。図書館から借りてきた本が、未読のまま今も机に積みあがっています。せめて信仰書だけはと思うものの、これも読みかけのままになっているのは、理解力が相当減退して読書のスピードが落ちたか

沖縄の友人から電話がかかってきて、キャンプの準備をしていると楽しそうに話してくれました。「夏は暑すぎるし、蚊が多いからキャンプには全く不向きだからねえ」とのこと。うらやましいと言っていいのか、どうか。何にせよ、いつの時代どこにあっても困難さはつきまとうものだと思わされました。 多くの場合、そうした困難さへの向き合い方が、人生の方向性を決めていくのだと思います。壁があるから前に進めないと言ってしまう

昨年末、新型コロナウィルスとインフルエンザのダブルパンチが心配されました。1月頃にそのピークが来るのではないかということで、私も5回目の接種とインフルエンザの予防接種を受けたのでした。その効果なのかどうか、感謝なことに私自身はこれまでコロナにもインフルエンザにも感染することなく日を過ごさせていただいています。ただし、全国的にみると、このところ高齢者の死亡者数が増えていることが気になります。知り合い

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