時の記憶
- 秋山善久
- 2021年4月19日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年4月22日
気候が良くなってきたのに、コロナのため気軽に外に出るということが難しくなってきています。仙台の昨日の感染者数は28人。ひところより減少傾向にありますが、病床使用率は87.8%と依然として高止まりしたままです。
そんなこんなで何もが内向きになってしまうので、頭の体操というか思考を少し外に向けてみましょう。つまり宇宙の話。それもいっそのことですから大風呂敷を広げて宇宙の果てにまで思いを巡らしてみました。地球から一番遠い天体というと、現在知られているのは、きりん座の方向にあるMACSO647-JDだそうです。ネットで調べると、地球からの距離が319億光年とあります。それが何だと思われるかも知れません。でも単純に考えれば319億年前の光を、今、地球で観測していることになるのですね。地球ができたのが46億年前とされているので、それがいかに遠い過去のことであるかがわかります。
SFになどにに出てくるタイムマシンは、作ることが不可能なことが科学的に立証されています。でも、私たちは夜空というパノラマ画面を通して、日常的に時の異なる光をみているのです。250万年前のアンドロメダの星雲とか、430年前の北極星というふうにです。光年という距離の単位を時間に置き換えて考えてみれば、これはとてもロマンがあって不思議な感じがします。
たとえてみれば星を観察することは、タイムマシンとまではいかなくてもアルバム写真を見ているようなことではないかと私は思います。アルバムには幼稚園で仲好しだったNちゃんや、学生時代に友人であったK君のものもある。でも、急に懐かしくなって幼稚園時代のNちゃんに会いに行ったとしても、過去の記憶とは違う全く別人になっていたということが予想されます。
実際に今のアンドロメダを見に行くことはできませんが、行ったとしても全く別の世界になっていることだけは確かなようです。
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