桜の開花

 小学校の校庭に植えられた桜のつぼみが膨らんで、淡く緑がかってきました。東京では例年より早く開花が宣言されましたが、仙台でも今年は開花が早まりそうです。昨年の12月頃にはとても寒い日が続いて、何年かぶりで水道が凍結するということがありました。まだ大丈夫と思って、水抜き対策をしなかったための失敗でした。そのときには雪のため建物全体が底冷えして、春がずっと遠く感じられたものでした。テレビで解説する気象予報師によると、その寒さによって桜の開花スイッチが入ったというのですから不思議なものものです。

 教会の前は通学路なので、毎日、登下校の子供たちの姿を目にします。そこで気になるのは、以前より子供たちの元気さが失われているような気がすることです。マスクをしているので、口が押えられて自由さが奪われているためでしょうか。あるいは、心の中まで薄く幕がかかったようになっていないか心配になります。

 10年前、震災があったとき、桜を見るのが辛い思いをした記憶があります。被災地の異常事態に、いつもなら普通に受け入れられることが、そうすることができない戸惑いがありました。そして、何気ない日常が如何に薄い基盤の上にあることかと気付かされました。そんな中で、生き方そのものが問い直されたはずです。もしかすると、コロナ禍のことでも、そんな問いが世界的に課せられているのかもしれません。

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夏が来たかと思うような陽気は、今朝には一転して震えるような冷気に置き換わっていました。団地のロータリーに咲いていた桜が、昨夜からの雨に打たれて葉桜になっているのを見ると、大事なものを見逃してしまったような寂しさを覚えます。あれほど盛んに飛び交っていた燕はいったいどこにいってしまったのでしょう。想像するに、巣作りでは寸暇も余裕がないはずですが。それでも時おり庭先にすずめが来て、チュンチュンとかわいら

出会いの印象は、イメージが先行していることがあります。あるとき、教団の全国大会に出席したときのことです。受付の近くに広く名前が知られた御婦人がいることに気づきました。私の知っているYさんの親でしたので、パンフレットを配っているその方に近づいて「秋山と申します。日ごろYさんにはお世話になっています」と挨拶したのでした。するとその方は、振り向きぎわに「アッ」と声を上げる共に「イメージと全然違っていたわ

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