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桜の開花

 小学校の校庭に植えられた桜のつぼみが膨らんで、淡く緑がかってきました。東京では例年より早く開花が宣言されましたが、仙台でも今年は開花が早まりそうです。昨年の12月頃にはとても寒い日が続いて、何年かぶりで水道が凍結するということがありました。まだ大丈夫と思って、水抜き対策をしなかったための失敗でした。そのときには雪のため建物全体が底冷えして、春がずっと遠く感じられたものでした。テレビで解説する気象予報師によると、その寒さによって桜の開花スイッチが入ったというのですから不思議なものものです。

 教会の前は通学路なので、毎日、登下校の子供たちの姿を目にします。そこで気になるのは、以前より子供たちの元気さが失われているような気がすることです。マスクをしているので、口が押えられて自由さが奪われているためでしょうか。あるいは、心の中まで薄く幕がかかったようになっていないか心配になります。

 10年前、震災があったとき、桜を見るのが辛い思いをした記憶があります。被災地の異常事態に、いつもなら普通に受け入れられることが、そうすることができない戸惑いがありました。そして、何気ない日常が如何に薄い基盤の上にあることかと気付かされました。そんな中で、生き方そのものが問い直されたはずです。もしかすると、コロナ禍のことでも、そんな問いが世界的に課せられているのかもしれません。

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弱さと尊厳

いつも行く図書館の貸し出し口で、職員の大きな声がしていました。目を向けると、白髪の男性がコピー機の使い方を聞いているのです。 「いくらですか」と男性。若い職員が「10円です」と面倒くさそうに答える。するとまた「いくらですか」と聞き返す。「10円です」「え?100円」周りが少しざわついて、「あほか」という小さな声が聞こえてきました。男性は軽い認知症を患っているのかも知れません。今言われたことを理解で

ロータリーの真ん中にある桜が開花しました。私も含め団地の人はみな、毎年、その開花を楽しみにしているのです。けれどもそれは盆栽のような低木で、わざわざ花見に来るようなものではありません。せいぜい近くのコンビニや郵便局に立ち寄った人が、帰り際に一瞥して微笑むようなことで終わります。それでも桜の名を冠した団地の象徴的な存在でありますから、春から秋にかけては区域ごとに当番を決めて雑草を抜くなどの手入れ作業

自分について

自分とは何なのだろう。そんなことを考えるようになったのは中学生の頃でした。夕日に照らされたじゃり道を、ひたすら自転車のペダルを踏みながら、自分と自分でないものと分けるのはいったい何なのだろうと考えたのです。少しおかしいです。きっかけは三つ違いの兄との比較でした。同じ親から生まれたのに、自分と兄とは確かに違う。当時は僻みとか理不尽さを感じていたのでした。生まれる時間が少しずれていたらどうなったのだろ

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