トンボ
- 秋山善久

- 10月20日
- 読了時間: 2分
透き通った秋の空の下を、トンボが飛び交っているのが目にとまります。季節の移ろいを一番感じるのは、こうした虫たちの営みであるように思います。夏であれば鬼ヤンマ。子どもの頃、網を縦横に振り回しながらも、ちっとも捕れないことにイライラした記憶があります。塩辛トンボは、どこにでもいて簡単に採取できました。トンボの目の前で人差し指をグルグル回し、トンボが頭を回したところをパッと捕まえる。そして尻尾をちぎって、そこに猫じゃらしなどの草の茎を突っ込んで飛ばす。そんな遊びが流行っていました。子どもとは言え、何とも残酷な部分を内にもっていました。
赤トンボにそんなことをしなかったのは、学校で赤トンボの歌を歌ったからかもしれません。おそらく子どもながらに、いとおしい気持があったのでしょう。
ちなみに、作詞をした三木露風は、カトリックの洗礼を受けたクリスチャンです。生涯にキリスト教の信仰を基にした詩集や信仰書などを出版しています。4番には彼の信仰があらわされているとも。
「ゆうやけこやけの あかとんぼ とまっているよ さおのさき」
竿の先にとまっている赤とんぼは、彼が生涯崇めた十字架の主イエスを描写しているというのです。
今、わたしはそのようにトンボを見ているかというと、そこまでは思いが至ってはいません。ただ、幼虫のときにはヤゴであったのが、成虫となってトンボになっている姿には心を惹かれるものがあります。その昆虫としての変体は、キリスト者の聖化を連想させるからです。泥の中で生きていた者が、キリストにより姿が変えられて、神の国を自由に飛び回るときが来る。トンボは、そんな希望を覚えさせてくれます。




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