top of page

海と空

更新日:3 日前

 震災の追悼記念があった日の前日、故郷である気仙沼まで車を走らせました。海は、どこまでも青く穏やかでした。魚市場周辺の埠頭には多くの漁船が連なって、昔の活気をとり戻しているかのようです。それでも、打ち消しても打ち消しても、どうしても14年前の光景が頭をよぎるのでした。

 あの日、仙台市内も停電で真っ暗闇になりました。私たち家族は、石油ストーブで暖をとりながら、ラジオのアナウンサーが、荒浜の海岸に多くの遺体が横たわっていることや、気仙沼湾一帯に火の手が広がっていることを報じるのを、信じられない思いで聞いていました。そして、被害の広がりに怯え、言いようのない理不尽さに懊悩し、不安と悲しみに暮れて、懸命に何かを手繰り寄せようとしていたような気がします。

 復興事業が完了した大谷海岸に足を運んでみると、かつては最も海水浴場に近いJR駅とされた所が震災伝承館を兼ねた道の駅になっていて、観光客が列をつくっています。 

 国道を跨いで、新しく工事で作られた砂浜に立ち、しばらく海と空を眺めていました。震災から一年以上、海は茶色に濁った色をしていた記憶があります。それが今は水平線まで深い青を重ねています。仰ぎ見た空には雲が一つもなく、水晶のように透き通って吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えました。

 「神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた」(創世記1書7節)と聖書にあります。説明のできない悲しみとか悩みというものは、空と海が一つであった創造のときまで、遡らなければわからないのかもしれない。そんな思いがしました。

最新記事

すべて表示

子どもの頃、寝床から天井を見上げると星空が見えました。天井板が貼ってなかったこともあり、屋根に空いた小さな穴から星の光がストレートに入ってきたのです。それにしても、探しても見つからない穴なのに、どうして星空が見えるのだろうと不思議に思ったものです。後にそれは、ピンホール効果...

父が肺癌で亡くなって、母は大腸癌でした。ですから、8年前、精密検査を受けるよう通地がきたときには、いよいよ来るべきものが来たかと腹を決めました。なかなか止まらない咳に、いつもの風邪の症状とは違うものを予感していたからです。大学病院での検査では、肺に陰が認められるとのことでし...

福寿草

子どもの頃、春先になると、友だちと家の近くの小川にイワナを釣りに出かけました。釣り竿は竹の枝を払っただけの手作りで、釣り針につける餌は川虫でした。長靴を履いて雪融けの冷たい川に入り、素手で川底の石をひっくり返すと、石にへばり付いた川虫を見つけることができました。冷えた体は日...

Comments


最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

© 2023 by COMMUNITY CHURCH. Proudly created with Wix.com

bottom of page