空気感
初めて空気感の違いを強く体験したのは、東日本大震災があった年の4月に東京まで出張したときのことでした。その頃、仙台市内のライフラインは徐々に復旧していましたが、教会周辺のガスとか水道はまだ使えない状態でした。新幹線も再開の目途が立っていなかったので、仕方なく満員の夜行バスに揺られて東京を往復したのです。新宿駅に降り立ったとき、そこに日常の生活があることが不思議に思えたことが思い出されます。電車はひっきりなしに動いていて、人々が忙し気に行き来している。今まで見てきた光景が、被災地の様子とあまりにもかけ離れていることに怒りに近い苛立ちを感じてしまいました。
その頃、私は目が覚めたときから夜寝るまで、何かの救援活動に携わっていました。被災地に救援物資を届けたり、東北ヘルプでの会議があったり、支援者を被災地まで案内するなど、以前の日常が激変していました。被災地に足を延ばせば、子供の頃に海水浴を楽しんだ海沿いの町が、津波に襲われて跡形もなくなっていました。
ロシア軍の攻撃から避難するウクライナの人たちを映像でみていると、あの大震災で感じたことが、逆の立場になっていることに気付かされます。助けを叫ぶ声や、悲しみ嘆く姿が映し出されても、映像では伝え切れない現実があるのでしょう。報道を見ていることにさえ、申し訳ないような気持ちになってしまいます。
最新記事
すべて表示二四節季によれば小雪ということで、今朝は平野でも雪がふり始めました。日没が早くなって、その分だけ夜が長く感じられます。今日の日の入りは16時17分ですから、冬至と同じ時間になります。日が短いこの時期は、どうしてもメランコリーな気分になってしまいます。日照時間が減ると、脳内の精神物質に微妙に変化があらわれるとのこと。それによって鬱状態になるのをウィンターブルーと呼ぶのだそうです。それでも季節はめぐり
あるとき、自分の水着の縫い目がほつれて、お尻に親指大ぐらいの穴が開いてるのを発見しました。そこで思い出したのが、一月ほど前、近くにある温水プールから出たときに、子どもたちや親たちの視線を感じたことです。誤解していたけれど、あれはバタフライを100メートル泳ぎきったことで注目されたんじゃない。「変なおやじがいるぞ」という警告の発信だったと確信し、急に恥ずかしさがこみあげてきました。かと言って生地が薄
記録的に気温が25度を超えたのは、ほんの二週間前のことでした。そのときには11月に夏日になったのが、宮城県内では観測史上初めてであると報道されました。あれから一気に季節が進んだ感じがします。先日まで青空に映えていた街路樹の銀杏が、昨日の強い雨に打たれてほとんど落葉してしまいました。教会の3本のハナミズキでさえ、わずかの葉を残して冬支度をしています。 人生を四季にたとえるなら、自分はとっくに冬になっ