罪と罰
更新日:2022年3月18日
ドフトエフスキーの「罪と罰」を読んだのは、会社員をしていた二十歳前後のときでした。別に文学好きということではありませんでしたが、高校生のときに読んだトルストイの「戦争と平和」の記憶が頭に残っていたためであったのでしょう。文庫本を購入したのは、その頃、休日ごとに立ち寄っていた日立市の中央通りにあった本屋でした。寮に帰って読み始めた途端、たちまち引き込まれたことを今でも鮮明に覚えています。なぜ、それほどに夢中になれたのか、後から考えると題名が示すように罪がテーマであったからのような気がします。そこに示される罪は、なぜか自分の心の中を見透かされたようで、軽い疼きのようなものを感じていました。小説の中でのことなのに、昨日の出来事のように感じられる不思議さもありました。自分ではこの事件に大興奮しているのに、本から目を離すと何も変わらない日常の時間が流れている。同室の住人であったT君が、電気ポットにインスタントラーメンをつっこんで、岡林信康のチューリップのアップリケなんかを聞いている。そんなことが奇妙に感じられたことが懐かしく、またおかしく思い出されます。
そんなこともあって、青年時代の私にとってロシアは未知の地であり、あこがれでもありました。会社をやめて、ハバロフスクからシベリア鉄道でヨーロッパに渡ろうと計画したこともあります。ただ、これは資金が足りなくて諦めましたが。そのロシアとウクライナが今、戦争をしていることがとても悲しい。
最新記事
すべて表示いつの頃からか、急に読書量が減ってしまったような気がします。ちまたで言われているように、スマホとかパソコンが影響しているのかもしれません。これではけないと、今年の初めに自分でノルマを課したのですが、それがなかなか守れない。図書館から借りてきた本が、未読のまま今も机に積みあがっています。せめて信仰書だけはと思うものの、これも読みかけのままになっているのは、理解力が相当減退して読書のスピードが落ちたか
沖縄の友人から電話がかかってきて、キャンプの準備をしていると楽しそうに話してくれました。「夏は暑すぎるし、蚊が多いからキャンプには全く不向きだからねえ」とのこと。うらやましいと言っていいのか、どうか。何にせよ、いつの時代どこにあっても困難さはつきまとうものだと思わされました。 多くの場合、そうした困難さへの向き合い方が、人生の方向性を決めていくのだと思います。壁があるから前に進めないと言ってしまう
昨年末、新型コロナウィルスとインフルエンザのダブルパンチが心配されました。1月頃にそのピークが来るのではないかということで、私も5回目の接種とインフルエンザの予防接種を受けたのでした。その効果なのかどうか、感謝なことに私自身はこれまでコロナにもインフルエンザにも感染することなく日を過ごさせていただいています。ただし、全国的にみると、このところ高齢者の死亡者数が増えていることが気になります。知り合い