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傾聴

 どうでもいいことを、だらだら話すことができる昔からの友人がいます。お互い趣味も興味も全く違う。住まいは互いに遠く離れているのですが、ネットの無料電話だから長くなっても気になりません。月曜の朝、「ごはんはたべたか」と電話がかかってきました。それに釣られて、つまらないことを言ったりもする。「もう年ださ。限界だよ。人の話していることがわからなくなってしまった」 すると友人に「それは年のせいなんかじゃない。昔からあなたは人の話を聞いてなかったよ」と笑われました。一瞬、カチンときたのですが、そうなのかと思い直しました。自分は今になって人の話を聞いていないことを自覚させられたのかと。

 そんなことは牧師として致命的なことです。そうであるなら、偽預言者のようなものではないか。主イエスも、度々、聞き方に注意しなさいと言われたというのに。これらの個所で指摘されているのは、聞き方のテクニックとか能力のようなものではないはず。固執しているものから出ようとしない強情さです。自分は本当のところで聴いていなかった。真剣に向き合わないで、手軽なことを考えていたのではないか。振り返ってみると、そうしたことで素通りしたり、無意味に反発していたことが累々と思い出されます。心が砕かれ、へりくだらなければならないことでした。

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キリシタン史跡

今週、まるで春を通り越したような日に、南三陸町市まで車を走らせて、キリシタンの史跡を巡ってきました。ニュースレターの取材をするという牧師たちに誘われて同伴したのでした。被災支援では何度も往復した道でしたが、こうした目的で歩いたことがなく、多くのことを教えられました。この地域一帯は、東北最大のキリシタンの殉教地と言われています。 最盛期のキリシタン人口は3万人とも言われ、寛永16年(1639)の弾圧

愛の中に

牧師室の壁に、小学2年生の子どもたちから届いたA3サイズの手紙がかけてあります。昨年、生活科の授業で町探検があったとき、教会にきてくれた子どもたちが作った「すてき新聞」です。住んでいる町内で「みつけたすてき」の中に教会が入っているのは感謝です。 この会堂を建設したのは、還暦を過ぎて牧師になった藤森誠之先生です。以前、藤森先生は東京で中学校の教師をしていました。定年を前に退職して、奥様と共に神学校に

北帰航

近くの水の森公園を歩いていて、蕗の薹(ふきのとう)が顔を出しているのを見つけました。子ども心になって、春を探していると楽しくなります。散歩コースであるこの公園の端に丸田沢という溜池があります。毎年、ここに多くの鴨や白鳥たちがきて観察者たちを楽しませているのですが、その白鳥たちが北に帰るときが近づいてきました。夕暮れになると、周辺の餌場から編隊を組んで引き揚げてきて、少しづつ高度を下げながら布をかけ

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