白鳥
- 秋山善久
- 2月7日
- 読了時間: 2分
更新日:2月8日
夕方、水の森公園にある丸太沢という堤にいってみると、水辺にたくさんの白鳥が集まっていました。堤はサッカーコート2面ぐらいの大きさで、自然公園と住宅街に囲まれています。夜間は近くの車道からは車のライトが入るので、白鳥にとって決して好ましい環境とは言えません。それでも白鳥の飛来は毎年みられる光景で、おそらく北に帰るときの決まった宿にしているのでしょう。ざっと数えて70から80羽ほど。灰色の羽をしたのが数羽いて、遠慮がちに他の群れと一定の距離をとっていました。前年に生まれた、今回の渡りが初体験の白鳥です。そうした子白鳥も連れてくるのですから、親鳥たちにしてみれば大変な旅であることに間違いない。コンパスも地図もないのに、どうして決まった場所に来ることができるのだろうかと、方向音痴の私には想像もつかないことです。渡りのタイミング、方角、飛行距離、こうしたことの一つでも判断を誤ったら、それが命取りになるのですから。あるいは迷わないよう、群れの中にはリーダーとか階級のようなものがあるのかもしれないです。考えてみれば不思議であり、渡りは創造者の知恵に満ちたことのように思われます。
観察していて見事だと思うのは、編隊になっている白鳥が着水するときの光景です。このときには、先にいる白鳥たちが鳴き声を高く上げて、空中にいる白鳥とコミュニケーションをとります。それはまるで「おかえり」と仲間の帰還を喜んでいるかのようです。
堤防には、白鳥を撮影しようと待ち構えている人や、パンくずなどの餌を撒いている人などがいました。皆の視線が白鳥に向けられていたとき、突然、黒い陰の一団が空を埋め尽くしました。自然公園の樹木を塒(ねぐら)にしているカラスの集団です。夕闇の中に現れたその姿は、白鳥とは違った美しさがあります。このカラスたちは、白鳥たちを威嚇しているわけではありません。違いはあっても共存と共生が保たれている。人間と比べて自然の営みは何と奥深いことかと思わされます。
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