眼鏡
更新日:2021年5月3日
なくした眼鏡を探すのが嫌で、安い代替品をいくつかを買いそろえています。それでも見つけるのに手間取ってしまう。先日、出先でバックからスマフォを取り出したとき、いっしょに入れていたはずの眼鏡がみつかりません。バックの隅々を探しても、ポケットの中に手を入れてもどこにもない。どうにもならなくて、そのままスマフォを開いてみました。すると、いつもは霞んでみえない文字が鮮明に見えているのです。おかしい、目がよくなったのかな。ひょっとして若返ったのかと思って額に手を当てると、探していた眼鏡に指が触れました。
以前、大学礼拝で奉仕していたとき、講壇の上に置いた聖書がよく見えないということがありました。これは、そこを照らすライトのせいだと思って、担当者に改善してくれるように頼んだのでした。ところが次のときに行くと、照明は前と少しも違っていません。聖書は相変わらずぼやけて見えます。どうしてなんだろうと少しイライラしたのですが、ふと、これは私の目が弱っていためではないかという考えが頭に浮かびました。翌日、100円ショップで老眼鏡を買い求め、それをかけてみると実によくみえる。そのときから眼鏡が手放せなくなりました。若いときから両眼の視力は2.0で、密かな自慢でした。その驕りが目の衰えを気付かせなくしていたのです。それから多くの時間が過ぎましたが、眼鏡の置き場所を探すという習慣だけは、未だになくならないでいます。嫌でも受け入れて付き合っていくしかないのでしょう。
最新記事
すべて表示いつの頃からか、急に読書量が減ってしまったような気がします。ちまたで言われているように、スマホとかパソコンが影響しているのかもしれません。これではけないと、今年の初めに自分でノルマを課したのですが、それがなかなか守れない。図書館から借りてきた本が、未読のまま今も机に積みあがっています。せめて信仰書だけはと思うものの、これも読みかけのままになっているのは、理解力が相当減退して読書のスピードが落ちたか
沖縄の友人から電話がかかってきて、キャンプの準備をしていると楽しそうに話してくれました。「夏は暑すぎるし、蚊が多いからキャンプには全く不向きだからねえ」とのこと。うらやましいと言っていいのか、どうか。何にせよ、いつの時代どこにあっても困難さはつきまとうものだと思わされました。 多くの場合、そうした困難さへの向き合い方が、人生の方向性を決めていくのだと思います。壁があるから前に進めないと言ってしまう
昨年末、新型コロナウィルスとインフルエンザのダブルパンチが心配されました。1月頃にそのピークが来るのではないかということで、私も5回目の接種とインフルエンザの予防接種を受けたのでした。その効果なのかどうか、感謝なことに私自身はこれまでコロナにもインフルエンザにも感染することなく日を過ごさせていただいています。ただし、全国的にみると、このところ高齢者の死亡者数が増えていることが気になります。知り合い