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邂逅

2025年9月27日
読了時間: 2分

 自分の人生を振り返ってみるとき、二十歳のころ、何げなく立ち寄った町の本屋で、一冊の本を手にしたことが転換点であったように思います。それは、亀井勝一郎という文芸評論家による「読書論」という文庫本でした。今でも覚えているのは、日本人の無神論について触れられていた箇所です。

 「多くの人は無神論者ぶっているけれど、実際には無関心者であるだけだ。無神論というのは、魂の激しい葛藤を要するものである」というようなことが、強い調子で書いてあったのです。

 当時の私は、その無神論者ぶって無軌道な生活をしていました。社会という大きな歯車に巻き込まれるのを嫌って、何にでも反抗的な態度を示していたのです。それがかっこうよくて、自由である。無責任で、あまりに軽い言い方ではありますが、1970年代の社会には、どこかにそんな雰囲気がありました。いや、勝手な思い込みです。

 それにしても亀井勝一郎の言葉は、そのような私の生き方を根底から覆すインパクトとして迫ってきました。もし彼がキリスト者だったなら、いつものように鼻で笑って気にもとめなかったに違いありません。でも亀井勝一郎は倉田百三を師と仰ぐ、真面目な仏教徒であることを知っていました。倉田百三の「出家とその弟子」という本を読んだばかりだったからです。それだけに、無闇に反発できないものを感じたのです。

「そういわれればそうだなあ、友人に聖書って馬鹿くさいといってしまったけど、まともに読んだことはないんだよなあ」

 狭い寮の一室で、ポカンとそんなことを考えていると、行き詰っている自分の姿が脳裏にめぐっているのです。それが牧師への道に繋がるとは、夢にも思わないことでした。

 

 
 
 

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