2021年4月~2021年6月

 

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2021年6月27日「御心にゆだねた船出」(使徒の働き18章12~22節)

 クリスチャンの歩みの中で「神の御心を知る」ことは重要である。人間は自分の思いだけで動いているので、神様の御心は「介入」と感じられる。しかし聖書は、神様の御心によって歩むことの重要性を説き、それにより神様がともにおられることを知る。今朝の箇所はパウロの第二回伝道旅行の最後の部分になる。

 今日第一に「安全に導かれた御心」について見ていきたい。先週の箇所で、パウロは幻の中で神様がともにいて彼に危害を加える人はいないという約束を聞いた(使徒18:9-10)。しかし、それは伝道の障害がなくなったわけではない。今日の部分では「ユダヤ人たちが一斉にパウロ反抗して立ち上がり」(18:12)、しかも非常に地位の高い「アカイアの地方総督」のガリアに訴えるという、これまで以上の激しさであった。当時、ローマは諸民族の文化や宗教を認めており、ガイオは「ことばや名称やあなたがたの律法に関する問題であれば、自分たちで解決するがよい。私はそのようなことの裁判官になりたくはない。」(18:15)と門前払いをした。ガイオの発言は、期せずしてこの地方のクリスチャンを守る基準となった。神様の「あなたを襲って危害を加える者はいない」(18:10)の約束が守られたのである。腹を立てたユダヤ人は関係のない会堂司を鞭打ちしたし、地方の正義を守るべき総督はそれを無視した(18:17)。ユダヤ人から理不尽な扱いを受けた会堂司のソステネは、その後、パウロに導かれてクリスチャンとなったようである(Ⅰコリント1:1)。

 第二に「御心に歩んだパウロの決意」について見たい。聖書には「パウロは、なおしばらく滞在してから兄弟たちに別れを告げて、シリアへ向けて船で出発した。プリスキラとアキラも同行した。パウロは請願を立てていたので、ケンクレアで髪を剃った。」(使徒18:18)と書かれている→「聖書の舞台(生活・習慣)」のな行「ナジル人」参照。この時、パウロはコリント伝道のためにナジル人としての請願(民数記6:5)を立てていたが、ここで請願の成就として髪を剃ったのである。彼は誘惑の多い商業都市であるコリントで、自分を律するために行ったのではないか。そしてプリスキラとアキラもパウロを支えるために立ち上がった。弱さを抱える私たちは、次第に自分自身を堕落させる存在である。だからこそ御心を行う私たちは、ある種の覚悟が必要である。

 第三に「御心に委ねた歩みの恵み」について見たい。エーゲ海を船で渡ったパウロ一行は、まずエペソに到着した(18:19)。エペソに到着したパウロは、すぐに会堂に向かった。会堂で話すことは大きな恵みであると同時に、ユダヤ人の反発を一斉に受ける危険もあることが考えられた。だからこそパウロは、プリスキラとアキラを残して自分だけで向かったのである(18:19)。だが予想に反して、会堂のユダヤ人たちは「もっと長くとどまるように頼んだ」(18:20)という熱心さがあった。パウロは人々の願いを受けて伝道をしてきたが、この時はなぜか聞き入れず、「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻ってきます。」(18:21)と言ってエペソを去った。その理由は分からない。だが続く第三回伝道旅行では、エペソとその周辺への伝道が中心であった。パウロの伝道旅行は、パウロの当初の予定や願いと大きく異なって来たことが分かる。だがパウロは人の願いや計画よりも、神様の御心を求め続け、御心に歩むことで神様の栄光が表されることを確信していたのである。

 

2021年6月20日「迫害の中にある宣教」(使徒の働き18章1~11節)

 種はそのままでは変化がないが、土にまかれると成長する。イエス様は、宣教を種まきにたとえた。宣教する人が「種=みことば」の力を信じなければ、「種まき=みことばを語る」などしなくなる。私たちは、もっとみことばの力を信じるべきであろう。今日の箇所は、コリントで腰を据えて宣教をする場面である。コリントは商業都市で活気があった反面、「」コリント風(オシャレ、派手)」という言葉があるように風紀も乱れていた。

 今日、第一に「みことばを語ることの協力者」を見ていきたい。パウロの働きは、これまでも多くの協力者に支えられてきた。コリントでも「ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った」(使徒18:2)と書かれている。彼らはイタリアからのユダヤ人排除の勅命で移住してきたが、このマイナスに見える状況を神様は用い、大きな役割を与えている。「彼らの職業は天幕作り」(18:3)であった。パウロも律法学者であったが、天幕づくりの技術も身につけていたので「その家に住んで一緒に仕事をした」(18:3)のである。そして、ここにマケドニアからシラスとテモテが下って来た(18:5)。彼らはマケドニアの教会からの資金を預かってきたので、パウロは「みことばを語ることに専念」(18:5)できるようになった。このように宣教は、ひとりの努力だけでなく多くの協力者によって支えられている。

 第二に「反対者たちの妨害とパウロの反応」について見ていきたい。パウロ達の宣教は、どこに行ってもユダヤ人たちの激しい妨害にあっている。パウロは、まずにユダヤ人にこそ神様のみこころを伝えるべきだとの思いがあった(13:46)。だが彼らは心を堅くなにし、口汚くののしるだけだった。そんな彼らに向かって、パウロは「衣のちりを振り払って言った。『あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く。』(18:6)と言った。同様のことは、第一回伝道旅行の時にもあった(13:46)。その時はすぐに別の町に移動したが、この時はユダヤ人の会堂のすぐ隣に住む「ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った」(18:7)。さらに不思議なことに、口汚くののしるユダヤ人の会堂の「会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた」(18:8)のである。だからこそ私たちは、神様のみことばを語るとき予断をもってかかるべきではない。後にパウロは、神様は「試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13)と述べているが、神様はさまざまな道を備えてくださっていることを忘れてはならない。

 第三に「みことばを語るための神の励まし」について見ていきたい。ユダヤ人から排斥されたパウロに、神様は「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」(18:9-10)と幻の中で語られた。パウロの大胆な宣教を見る私たちは彼には恐れがないように思えるが、神様のことばからすると、パウロもまた内心恐れを抱いていたのだろう。しかし神様から「わたしがあなたとともにいる」と語られたことで、神様により頼んでみことばを語っていく使命を再確認した。また彼は「この町には、わたしの民がたくさんいる」との神様のことばに、再び「種=みことば」の力を実感できた。神様の約束通り、以後、パウロは危うい状況ながら危害を加えられることはなかった。

 

2021年6月13日「アテネの知られない神」(使徒の働き17章15~34節)

 まったくキリスト教的な背景を持たない人にキリスト教を語るとき、どのように語るか悩むこともある。今日の箇所は、パウロがアテネで語った場面である。この時、ローマに征服されていたアテネだが、かつてのギリシア文明の中心地として哲学や芸術にプライドを持っていた。だがパウロは、神々の像の芸術性でなく偶像崇拝の罪を見出した(使徒17:16)。そして、ユダヤ人に対して行った伝道とは違うやり方でアテネの人たちに語りかけた。

 今日は、第一に「知られない神である創造者」について見ていきたい。アテネに来たパウロは、シラスとテモテが来るのを待つつもりだったが、あまりの偶像の神の多さに心に憤りを覚え伝道をはじめた(17:16)。しかし彼は、アテネの人たちを頭から否定するのではなく、「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております」(17:22)という語りから始めた。だがギリシアの神話を肯定することから始めるのではなく、人々の心を「知られていない神」(17:23)すなわち真の創造主に向けるようにした。アテネには多くの神殿があり、多くの神々の像が祭られていた。そこで彼は、「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません」(17:24)との論理を語った。古代ギリシアの人々は人間的な神々のイメージを持っていた。だがパウロは、本当の創造主は「何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから」(17:25)と論じている。さらに人間の歴史は、神々の気まぐれな物語でなく、神が確かに導き働いておられる意味あるものだと説明した(17:26)。そして、「神を求めさせる」ために歴史だけでなく、私たちのすぐそばにおられると論じた(17:27)。

 第二に「神様のご支配」について見ていきたい。パウロは、ギリシアの伝説的な詩人エピメニデス→Wikipedia「エピメニデス」の詩を引用し「私たちは神の中に生き、動き、存在している」(17:28)と説明した。人間は自分の力や能力で生きているのではなく、神様のご支配の中で生かされているのである。さらに、ギリシア神話の中でアトラスが語った「私たちもまた、その子孫である」というフレーズを引用し(17:28)、ギリシア人に寄り添って創造主との関係について語った。そして「そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません」(17:29)と彼らの宗教の矛盾を指摘した。日本でも同じような宗教的矛盾が、数多くみられるのではないか

 第三に「神が求めておられる悔い改め」について見ていきたい。パウロは、アテネの人々の宗教的矛盾を指摘した上で、「神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます」(17:30)と話した。パウロがギリシアの人々への配慮の末に伝えたかったのが、このひと言であった。神様が人間の無知を見過ごしてきたのは許容ではなく、救いと裁きを実行するためであった(17:31)。我々も、福音を聞く前に見過ごされてきた矛盾が、福音が宣べ伝えられた時点で何らかの応答が求められるようになる。残念ながら、この時の人々の反応は芳しくなかった(17:32)。だが私たちは語られた福音を曖昧にせず、今、神様が備えられた救いの恵みに応答していきたい。

 

2021年6月6日「聖書を学ぶ喜び」(使徒の働き17章1~14節)

 今年の教会の目標は「みことばによる成長」である。私たちは、乳飲み子が乳を求めるように迷いなくみことばを求めていきたい。今日の箇所は、テサロニケとべレアの二つの町でパウロが語った時の話である→「新約聖書を読んでみよう」の「エーゲ海旅行」参照。二つの町の人々の反応は全く違った。

 テサロニケはローマの重要な港で多くのユダヤ人たちも住んでいたため、ピリピとは違ってユダヤ教の会堂もあった。だがパウロが会堂で語ったのは、そこに来るユダヤ人たちは聖書の理解があり、その聖書を基盤として論理的にイエス・キリストの福音述べるためであった。この紀元50年ごろは「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる戦争のない時代であったが、ローマの支配下に置かれたユダヤ人たちには不満があり、この状態から解放してくれる「キリスト」を熱望していた。そんな彼らにパウロが示したのは、「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかった」(17:3)という、彼らの選民意識を打ち砕くようなユダヤ人が思ってもいなかったキリスト像であった。だが、このようなキリストだからこそ、人間の罪の問題と、そのためにイエス様の十字架によって私たちの罪を取り除いてくださった神様のあわれみがある。パウロは「わたしがあなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそがキリストです」と断言した。キリスト教は、社会の状況改善以上に人間の罪の問題の解決を目指している。このパウロの言葉に対して、相反する二つの反応があった(17:4-5)と聖書にはある。パウロ達の言葉に納得した「ギリシア人」とは、民族ではなくギリシア文明の中で生きていた多様な異邦人であった。そして真っ向から反対したのが、「聖書を知っている」はずのユダヤ人であった。彼らは、聖書のみことばに基づいて反論したのではなく、ねたみに駆られた暴力で反発したのである。彼らは、パウロとシラスが見つからないとと人々の不安をあおり、二人ではなくヤソンと兄弟たちに攻撃の手を向けた(17:6-7)。パウロ達は、直接、ユダヤ人たちを批判していない。しかしユダヤ人たちは、選民思想があり、みことばの前にへりくだりができなかった。

 第二に、べレアの教会について見ていきたい。暴動を避けるため「兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをべレアに送り出した」(17:10)。パウロ達は、テサロニケでユダヤ人たちにひどい目にあったにもかかわらず、べレアでもすぐに会堂に行った(17:10)。そこに彼らの福音への強い思いがある。だがべレアのユダヤ人たちは「テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」(17:11)。彼らは、聖書を学ぶことに熱心さがあった。聖書を批判したテサロニケのユダヤ人たちは、聖書を学ぶことがなかったのだろう。パウロ達は、「聖書を知っている」ユダヤ人たちが福音を深く理解できれば、多くの異邦人たちにもその理解が広がると考えたのである。「それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた」(17:12)と聖書にはある。わざわざべレアまで来て妨害をしたテサロニケのユダヤ人たちと(17:13)、何という違いだろうか。しかし、そのようなテサロニケのユダヤ人たちも、後にみことばを受け入れた結果、テサロニケの教会は、「すべての信者の模範」(テサロニケ1:7)となるまでに成長していった。

 

2021年5月30日「闇に響く賛美」(使徒の働き16章25~40節)

 私たちの人生で最も大切なことは、どんな闇の中にあっても光に向かって歩むことである。いろんな困難や悲しみに直面しても、クリスチャンはそこに希望を見出すことができる。今日の箇所は、無実の罪でパウロとシラスが牢に入れられた場面である。

 今日は、第一に「闇の中で捧げられた賛美」について見ていきたい。パウロとシラスは、ピリピの町の地方長官たちに理不尽な罰を受けた(使徒16:23)。その後、牢に入れられ足枷まではめられた(16:24)。牢に入れられた直後は激痛で身体も動かなかったことだろう。しかし、彼らはそれに対する不満を吐くのではなく、時が過ぎて「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた」(16:25)と聖書には書かれている。それは、このマケドニアで福音宣教を通じて、リディアの家をはじめ神様を信じる人が出始めたことに対する抑えがたい喜びから生まれる賛美であろう。そして、真夜中に発せられた歌声にも関わらず、その賛美に牢の囚人たちも聞き入っていた(16:25)。パウロとシラスの「神様とともに生きる生き方」が、囚人たちの心に響いたのではないか。

 第二に「人生の転換をした看守」について見ていきたい。神様の救いは、私たちの弱さを通して働かれる。神様は、牢に入れられた弱い彼らを賛美の心を受け入れ、その御業を人々に示すため地震を起こして扉を開いた(16:26)。この時、揺り動かされた「牢獄の土台」(16:26)とは、当時の権勢を誇っていたローマ帝「新約聖書を読んでみよう」の「ローマと教会」参照の土台を象徴しているのではないか。その時、看守は牢の扉が開いて囚人たちの鎖が外れているのを見たため(16:27)、自らの失態に追い込まれ自殺しようとした(16:27)。だがパウロは、看守に「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ(16:28)。それを聞いた看守は「明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した」(16:29)とある。そもそも看守には、囚人を牢から出す権限はない。だが看守は、ローマ帝国をはるかに超えるそこに権威を見出したのである。彼は「『先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った」(16:30)が、それはローマによる責任の追及から救われるという話ではなく、人間としてもっと根源的な救いについて問うたのである。これに対して、二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(16:31)と答えた。ローマという権威ではなく、主イエスを土台として歩む人生を看守に勧めたのである。看守と家族は、真夜中にも関わらず全員がバプテスマ→「はじめての教会用語辞典」のは行「バプテスマ」参照を受けた(16:33)。闇の中で死ぬしかないと考えた看守を、家族とともに心から喜ぶ状態に変える(16:34)のが福音の力である。

 第三に「闇の力に対するキリスト者のあかし」ついて見ていきたい。地震は局地的だったようで、長官たちは昨晩の出来事を知りもせず、「懲らしめた」ことに満足して釈放しようとした(16:35)。これに対して、パウロは「長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました」(16:37)と述べた。これは長官たちの誤りを問い詰めるのが目的ではなく、彼らが受けたような理不尽な扱いから、この地に生まれつつある教会を守るためであった。長官たちは彼らを恐れ(16:38)、二人をなだめた(16:39)。パウロは、福音宣教を守るため世の力に毅然と立ち向かったのである。

 

2021年5月23日「約束の助け主」(ヨハネの福音書14章12~21節)

 今日はペンテコステの記念礼拝となる→「聖書の舞台(生活・習慣)」のは行「ペンテコステ」参照。この日は、イースターから五十日を数えた日で→「聖書の舞台(生活・習慣)」のあ行「イースター」参照、キリスト教会では聖霊が下ったことを記念して行われる。聖霊が働かなければ、人間は罪の自覚もできずみことばの理解もかなわず、私たちの信仰は成り立たない。今日の箇所は、イエス様が「約束の助け主=聖霊」が与えられることを弟子たちに話した場面である。

 今日は、まず「父の名によって求める聖霊」について見ていきたい。聖霊は、聖霊を求める祈りの中で与えられる。復活のイエス様は、聖霊が与えられるように「待つ」ことを求めたが、果たして私たちはこの一週間、聖霊を待ち望んだことがどれだけあったのか。イエス様は「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます」(ヨハネ14:13)と、求めて祈ることの重要性を弟子たちに教えた。私たちも祈る時には、最後に「イエス様の名によって…」とつける→「はじめての礼拝(礼拝編)」の「祈祷」参照。だが、それは単なる手順以上の重みを持つ。日常生活でも、誰かの名を使って求めるとき、その人との信頼関係や、その人の人格を汚さないような責任がつきまとう。私たちはイエス様の名によって「何でも」(14:12)求めることができるが、そのように父なる神様に祈れることが、どんなにすごいことか再認識する必要がある。さらに祈りは、私自身の心の中にしまっていた、神様に働いてほしい現実の課題を明らかにしていくことでもある。このように、私たちの側からは祈りによって、神さま側からは聖霊を通じて(14:16)、互いの関係が深められていくのである。

 この聖霊は、「もう一人の助け主」(14:16)とされている。この聖霊は「世はこの方を見ることも知ることもない」が、「あなたがたは、この方を知っています」と同時に、将来「この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになる」(14:17)と二重の表現をしている。弟子たちは、イエス様とともにいて神様の聖霊によるたくさんのわざを見てきた。その上で、弟子たちの中にも同じ聖霊が住むようになるというのである。当時のユダヤ人からすれば、聖なる神様が汚れた人間の中にするなどとは、考えられないことであった。だがイエス様の十字架によって汚れた私たちが清められ、私たちは内側から清められた。そのような考えられない出来事が起こったのが、ペンテコステなのである。

 さらにイエス様は、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます」(14:18)と宣言した。そして「あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。」(14:19)と述べ、天に上られたイエス様の再臨まで聖霊がともにいて働いてくださることを意味する。このヨハネの福音書は、1世紀の後半に書かれた。だからヨハネは、ペンテコステの出来事も知っている。この時、ペテロもパウロも、すでに殉教していた。「キリストの再臨はあるのか?」と問う人もいたことだろう。しかしヨハネは、キリストは今もともにいると明確に述べている。ペンテコステは歴史的出来事で、私たちが轟音とともに聖霊が下る様子(使徒2:2)を体験できるわけではない。しかし聖霊はすでに下っていて、日々の生活の中で聖霊が働かれて、神様は確かにともにおられる。その一つひとつの出来事を私たちが受け止めるには、神様との関係を深める祈りを大切にする必要がある。

 

2021年5月16日「河原での祈り会」(使徒の働き16章11~24節)

 来週はペンテコステ→「聖書の舞台(生活・習慣)」のは行「ペンテコステ」参照であり、私たちの教団ではこの日を「世界宣教デー」とも定めている。福音宣教の広がりは、神の国の広がりであり、福音の恵みに多くの人が預かることである。先週、パウロとシラスが幻に導かれ、アジアからヨーロッパに福音が広がった場面であった。その最初の教会がピリピの教会であったが、この教会が福音宣教を支え(ピリピ4:15)、その後の重要な拠点となる。その教会の発端が「河原での祈り」であった。

 今日は、第一に「紫布商人リディアの回心」について見ていきたい。ピリピは「マケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった」(使徒16:12)と描写されている。この町はローマ色が強く、これまでのように福音宣教をするためにユダヤ人の集まる会堂を探して行くことはできなかった。そこでパウロ達は、門の外にある河原に集まって祈っていた女性たちに話をした(16:13)。その中でリディアは、「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」(16:14)ため、パウロの述べる福音が心に入って行った。聖書のことばは、ただ話す―聞くだけでは心に反発を覚える人が多い。そこに聖霊に働きが必要となる。そして、その背景には「祈り」がなければならない。ペテロとヨハネが「美しの門」で足の不自由な人を癒したときも、祈りの場に向かう途中であった(3:1)。さてリディアであるが、紫布の商人であった(16:14)。彼女と家族はパウロ達からバプテスマを受け、家庭に泊まって欲しい(ピリピでの伝道の拠点にして欲しい)と言い出すほどの喜びに満たされた(16:15)。パウロ一行は突然の申し出に戸惑ったようだが、同時に伝道旅行の大きな助けにもなったことだろう。その後も、この一家は伝道をずっと支え続けた(ピリピ1:5)。

 第二に「占いの霊に取り付かれた若い女奴隷」について見てみたい。この女奴隷に出会ったのも祈りの場に行く途中であった(使徒16:16)。彼女は「占いの霊」に支配されていたと同時に、「主人たち」にも搾取されていた(使徒16:16)。この女はパウロ達を指して「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」(16:17)と言っているが、これは信仰告白ではない。だが、女奴隷の言葉は「真実」なので否定することもできない。それゆえ、彼女の行動は福音宣教を阻むことになっていたので、パウロはついに「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け」(16:18)と言った。表面的にキリスト教信仰に見えながら、まったく異なる意図で神様のことばを語るものもいることに、私たちも注意したい。さてパウロの言葉で「ただちに霊は出て行った」(16:18)が、今度は女奴隷を利用して金儲けができなくなった主人たちが、パウロとシラスを訴えた(16:19)。だが彼らは本当のことを言わずに、「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております。」(16:19-20)との言い訳を行った。この当時、クラウディウス帝がユダヤ人を追い出すような勅令を出していたが、それを利用したのである。長官は、ローマの市民権を持つパウロ達を裁判もかけずに罰した(16:22)。これは後で問題になる(16:37)。だが、この時に彼らはキリストのためにむち打たれることを選んだ。パウロは最後年に、この苦しみによって福音の大いなる前進したと綴っている(ピリピ1:12-14)。

 
 

2021年5月9日「マケドニアの叫び」(使徒の働き16章1~10節)

 私たちは、信仰の中で神様からチャレンジを受けることがある。しかし、それに取り組んでいくときに道が開ける。この異邦人伝道も、キリスト教が世界へ広がるためのある種のチャレンジであった。パウロは、第一回の伝道旅行で出会った教会を励まそうと第二回の旅行を計画したが、最初からバルナバとの衝突という困難があった。その結果、アジアではなくヨーロッパへキリスト教が広がることとなった。

 今日は、第一に「新しい同伴者テモテ」に注目して見ていきたい。聖書は「それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた」(使徒16:1)とある。このリステラは、第一回の伝道旅行で町の人達に石打ちに誰半死半生の芽にあった場所である(14:19)。しかしパウロは、その危険を冒してでもその町の教会のその後の様子を確かめに行きたかった。そこで出会ったのがテモテである。彼の祖母と母は、パウロの第一回伝道旅行でキリスト教を信じ、それが家族であるテモテに定着した(Ⅱテモテ1:4-5)。「彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で評判の良い人であった。」(使徒16:2)と、その信仰は成長した。パウロの喜びはどれほど大きかったことであろう。パウロは、テモテを異邦人伝道に連れて行きたがった。その理由として、彼の信仰だけでなく、彼がユダヤ人とギリシア人の子どもで(16:3)あり異邦人世界への懸け橋となり得るからであった。そしてパウロは、割礼を信仰の必要条件とはしていなかったが(15:2)(ガラテヤ5:6)、頑ななユダヤ人たちにテモテの語る福音に耳を傾けさせるために、あえて「彼に割礼を受けさせた」(使徒16:3)のである。それはユダヤ人に対する愛の配慮からであった。パウロは以前の仕打ちを恨むのではなく「町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えた」(16:4)多くの人々を信仰に導いた(16:5)。

 第二に「示された宣教の幻と決断」について見ていきたい。パウロ達は「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った」(16:6)と迂回して進もうとしたが、「ミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許さなかった」(16:7)という事態が起きた。彼らは前回の伝道旅行で尋ねた諸教会がある小アジアを通り過ぎて、アドリア海の近くの「トロアス(トロイのこと)」(16:8)からマケドニア(いまのギリシャなど)へと導かれた(16:9)。神様はパウロに「一人のマケドニア人が立って、『マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願する」(16:9)を見せた。パウロ達が当初思っていた道は閉ざされ、まったく考えもしていなかったマケドニアへの旅行が示されたが、その先には神様が大いなる業を示される新たな道が開けていた。ちなみに「私たち」(16:10)とあるから、「使徒の働き」の著者のルカも随伴していたのだろう。パウロは、自分の思いを優先したのでも、幻を見て盲目的に決断したのでもなく、この幻のこと一行と話して、神様の御心がどこにあるのか冷静に話し合い神様の導きを選らんだ。そこに彼らの信仰がある。私たちも、「上手くいかない現実」だけをみるのではなく、神様がその人にふさわしい道を与えられた御心をよく考え、神様の大いなる御業を自らの歩む道で体験していきたい。

2021年5月2日「第二回伝道旅行」(使徒の働き15章30~41節)

 ツバメが卵からかえる季節である。どんな生き物でも成長して巣立つ姿を見ることは喜ばしい。この使徒の働きの著者のルカは、エルサレムから福音が広がりローマに伝えられる様子を、喜びをもって伝えている。先週までに見てきた第一回伝道旅行は、福音がユダヤ人以外の異邦人に伝えられた出来事であった。

 今日、第一に「伝道旅行に至った経緯とエルサレム教会の励まし」について見ていきたい。前回の礼拝では「エルサレム会議」について見てきた。会議では、バルナバとパウロが異邦人伝道について報告し、イエス様の兄弟ヤコブが異邦人伝道は聖書に述べられたことを語った。そしてアンティオキア教会の混乱を治めるために、エルサレム教会からの手紙を託された(使徒15:30)。聖書には、異邦人を含むアンティオキア教会の「人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。」(15:31)とある。エルサレム教会の人々は、自分たちを異邦人の「兄弟」(15:23)と呼び、「それ以上のどんな重荷も負わせない」(15:28)と述べた。そしてユダとシラスを、遠いアンティオキア教会に送った(15:32)。薪が集まって燃えるように、教会どうしの励ましあいによって信仰は大きく燃え上がる。

 第二に「同伴者をともなった対立」について見ていきたい。彼らがアンティオキア教会に到着して数日後(16:36)、教会が喜びと活気に満ちていたとき、パウロはバルナバに「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか」(15:36)と、第一回伝道旅行のルートをたどることを提案した。しかし、その旅行にマルコを連れていくかどうかで二人が対立した(15:37-38)。パウロは、パンフィリアで帰って行ったマルコの伝道にかける熱意に対して不信感を持っていた(15:38)。一方、バルナバにとってマルコはいとこであり(コロサイ4:10)であり、一度の失敗で若いマルコの可能性をつぶしたくない思いがあったのだろう。エルサレム会議では聖霊に導かれて異邦人との壁も乗り越えた人々が、なぜ、このようなことを乗り越えられなかったのか。だが、著者のルカは、そんな人間臭い対立を隠さずに記述している。二人のこの対立は伝道に関する熱心さが対立したまでで、利己心からの対立ではない。神様は、人間の限界を理解し、その個性を基盤にし、それを豊かに用いられるのである。

 第三に「働き人の分裂がもたらしたもの」について見ていきたい。対立の結果「バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、パウロはシラスを選び」(使徒15:39-40)出発することとなった。海路と陸路、第一回伝道旅行の踏襲と逆回り、まったく異なるルートを通ることになった。この時、渦中のマルコはどう感じたか。このマルコは、伝道旅行から帰った後の十年間に消息は分からない。つぎに出てくるのは、後にパウロがローマの獄中から出した手紙で、教会が彼を「受け入れるように」述べられている(コロサイ4:10)。そして、この十年の間に「マルコの福音書」を執筆している。神様が、彼を通して人類にもたらした業は大きい。一方、パウロは、シラスとともに第一回伝道旅行とはまったく違う地域に導かれた。もし伝道途中で帰ったマルコを同伴していたなら、そこへは行けなかっただろう。神様は私たちの考えを超えて、人間の個性や弱さを通して大いなる業をなしてくださる。

 

2021年4月25日「とり払われた重荷」(使徒の働き15章13~29節)

 私たちの教団は、会議で話し合いをしながら物事を決める「合議制」を守ってきた。「神様に従うといいながら会議で決めるのですね」「一致を求めると『拒否権』が働きませんか」と問われることもある。だが、私たちは会議自体に聖霊が働いていて私たちを一致に導いてくださるという信仰に基づいている。これは初代教会の中でも起こっていたものである。パウロとバルナバの異邦人伝道は、守旧的な立場の教会員との分裂を起こしかねなかった。

 今日は、第一に「合意にいたった御言葉の確証」について見ていきたい。エルサレム会議では「多くの論争」(使徒15:7)があった。異邦人伝道は、ユダヤ人たちにとって自分たちの民族や人生の基盤が失われるような出来事であった。神様の律法を忠実に守ってきた者ほど、その傾向が強かった。だがペテロが語り(15:7-11)、バルナバとパウロが語り(15:12)、最後にイエス様の人間的な兄弟のヤコブが語った→Wikipedia「ヤコブ(イエスの兄弟)」。その立場は重かったが、彼は「兄弟たち、私の言うことを聞いてください」(15:13)と謙遜に語り始めた。彼は、旧約聖書のアモス書(アモス9:11)を引用し、「わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す」(使徒15:16)ということはイエス様の十字架であり、イエス様の「名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになる」(15:17)であると説明した。つまり異邦人伝道をし、律法の規定を異邦人に求めなくなるのは、神様が昔から計画されてきたことだというのである。自分たちの考える信仰や価値観から出られずに、神様がなす業に目を向けないのは本末転倒なのである。

 第二に「重荷をとり払った決議」について見たい。ペテロは「私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。」(15:10)と述べた。当時、旧約聖書にある神様の律法以外に、口伝律法という多くの律法が建てられユダヤ人の生活を縛り付けていた。だが「神の民」としての自尊心と、それから外れると神様の祝福がないという恐れから、律法を守ってきた。だから「律法を守っていない異邦人が神様の祝福に預かれる」という考えは、とうてい受け入れられるものではなかった。だがヤコブは、異邦人への祝福は、異邦人の努力ではなく神様の恵みとしてなされているといった(15:14-19)。ただユダヤ人が誤解をしないように、異邦人に「偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです」(15:20)とだけ取り決めた。これらは本来、イエス様の福音とは関係ないが、膨大な律法の中からこれを残したのは、さまざまな価値観や弱さを持つ教会の人々への配慮であった。

 第三に「異邦人協会への説明」について見ていきたい。エルサレム会議は、結論が出たことで終了した訳でなく、それを関係する諸教会に伝えるための膨大な努力がなされた(15:22)。単なる決定だけではなく、それを自分たちの「全会一致で決め」(15:23)て共有した(15:23)。しかも人間的な結論ではなく、「聖霊と私たちは、次の必要なことのほかには、あなたがたに、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました」(15:28)と、聖霊によって導かれた結論であると述べている。エルサレム会議は、初代教会に新たな福音宣教の道を開いた。私たちも、自分の視点で信仰を続けるでなく、聖霊によった新しい働きに導かれることを恐れずに信仰の道を歩みたい。

 

2021年4月18日「福音で改められた慣習」(使徒の働き15章1~12節)

 キリスト教信仰は、御言葉による新しい生活の変化をもたらす。自分のこれまでの価値観や習慣が大きく変えられる。今日の箇所は、通称「エルサレム会議」と呼ばれる重要な会議で、福音がユダヤの一宗教からすべての民に分け隔てなく伝えられるものとなった。

 今日は、第一に「救いの理解に対する対立」について見ていきたい。発端となったのは、アンティオキア教会に下ってきたユダヤ人たちが「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒15:1)と教えたことにある。もし、これが迫害であれば教会の人達は一丸となって対処できたが、これらのユダヤ人(おそらくエルサレム教会の中心的な人)たちは律法について詳しい人々であった。アンティオキアの教会は異邦人が多く、またパウロとバルナバはこれまで聖霊の導きにより異邦人伝道に尽力してきたため「パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じた」(15:2)。それゆえ「この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった」(15:2)のである。ユダヤ人は悪意があったわけでなく、彼らにとって小さいころから刷り込まれてきた考え方に基づいて、異邦人をモーセの律法→「聖書の舞台(生活・習慣)」のら・や・わ行の「律法」参照に導こうとしていた。一方、パウロは律法の重要性は認めていたが、それは福音に導かれるための「養育係」でしかないと捉えている(ガラテヤ3:24-25)。そこで、これらについてきちんと考えておく必要があった。

 第二に「エルサレム会議の開催」について見ていきたい。パウロとバルナバたちは「教会の人々に送り出され」(使徒15:3)て旅し、その道中では異邦人の土地を通って宣教をして多くの人々を救いに導いた(15:3)。この福音宣教こそ、クリスチャンの喜びである。彼らの異邦人伝道の喜びは、エルサレム教会の使徒たちや長老たちとも分かち合うことができた(15:4)。だが、これを快く思わないパリサイ派→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照は「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」(15:5)と主張した。その背景には、モーセの律法を守ることを通して保っていた民族のアイデンティティが失われるという恐怖であった。だが、それは、イエス様の十字架の贖いの意味やすべての人に開かれた福音を受け入れられないということである。使徒たちは、この問題を正式な会議で議論することとなった(15:6)。だが、それは多数決ではなく、聖霊に導かれ神様の御心を確認していく会議であった。

 第三に「ペテロによる神の業の証し」について見ていきたい。多くの論争の後、ペテロは神様の意志で異邦人伝道が始まったことを話した(15:7)。だが、ユダヤ人にとってモーセの律法や割礼に結びついた信仰が否定されることは恐怖であった。しかし、本当に結びつかなければならないのは、神様の福音にではないか。彼は異邦人伝道が神様の御心であることは、ペテロの主張ではなく神様自身が証しされていると述べた(15:8-9)。神様は「私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださった」(15:9)のである。ペテロは「私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか」(15:10)と問いかけている。モーセの律法があっても人間は罪ある者であり続けた。だから古い自分の価値観や生き方を捨てて福音に導かれる必要がある。私たちは、そうした福音の中に自分自身が日々再構成される必要がある。

 

2021年4月11日「パウロの宣教報告」(使徒の働き14章19~28節)

 先週はイースター礼拝だった。イエス様の十字架で福音が終わったのではなく、そこから新しい宣教の歴史がはじまった。私たちも教会は2002年の2月に献堂式を行い、3月31日のイースターが礼拝のはじまりであった。

 今日は、第一に「宣教に伴った苦難」について見ていきたい。パウロの伝道旅行は順風満帆だったのではなく、たびたび苦難に直面していた。その苦難を彼はどのように受け止めて行ったのか。この時、アンティオキアとイコニオンから、パウロとバルナバを迫害するだけのためにやってきて、悪い風評を流して群集を抱き込んだ。「テモテへの手紙」のテモテはリステラの出身であり、この時のパウロのうわさも聞いていたのであろう(Ⅱテモテ3:11)。彼らはパウロを石打にし、死んだと思われたパウロを町から引きずりだした(使徒14:19)。だが彼は死んではおらず、再び町に入って行った(14:20)。そこには自分を半殺しにした人々への怒りはなく、町の人々へ福音を伝えたいという愛と使命だけがあったのだろう。

 第二に「神の恵みにゆだねた働き」について見ていきたい。パウロは、翌日「バルナバとともにテルベに向かった」(14:21)。二人は迫害のなかった「この町で福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子」(14:21)にすることができたが、なお再び大変な目にあった「リステラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返し」(14:21)た。これらの町には生まれたばかりのクリスチャンたちが多くいたので、二人は「弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、『私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない』と語った。」(14:22)のである。彼らには、自分たちへの迫害の恐れより、動揺し恐れている弟子たちをフォロー・アップすることの方が大切だと考えていた。私たちは「苦しみ」は「幸い」の対極と考え、「どうして信仰しているのに、こんな苦しみがあるのか」と考えがちである。しかし聖書は、「苦しみを通して神の国に入る」と述べている。なぜなら福音の中には、イエス様の十字架と復活があるからである。だから私たちは、苦しみを受け止めて、その中に希望を見出していくことが必要だというのである。そしてパウロ達は、そのように話した上で「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈」り(14:23)、生まれたばかりの教会を「その信じている主にゆだねた」(14:23)のである。

 第三に「教会での宣教報告」について見ていきたい。バルナバとパウロの働きは、アンティオキア教会から派遣されたものであったため(13:4)、第一回の伝道旅行はアンティオキア教会に帰った(14:26)。彼らは、伝道旅行で生まれた教会を神様にゆだねて去ったが(14:23)、その伝道旅行全体もアンティオキア教会の祈りと神様の恵みに支えられてきた。だから彼らは、アンティオキア教会の人々に報告した。私たちの教会も開拓段階で教団全体に支えられていたため、私(牧師)もその報告のため全国の教会を訪問した。その中で、いかに私たちの教会が祈られてきたことを実感した。パウロは、自分たちの働きではなく「神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」(14:27)を報告した。異邦人が多くいて周りのユダヤ人から迫害を受けていたアンティオキア教会にとっても、二人を送り出して祈り支えたことは大きな励みになったことだろう。

 

2021年4月4日「イースターの驚き」(マルコの福音書16章1~8節)

 今年は去年に引き続きコロナ下のイースターとなった。今、世界では生活や仕事、人との交流などで様々な変革にあるが、私たちには変わることのない神のことばがある。そして、その中心がイエス様の復活である。マルコの福音書のマルコはペテロの弟子であり、ペテロから聞いたことを書いたものである。イエス様の復活は、誰もが予想だにしてこなかったものであった。だからマルコは、この復活の出来事について驚きをもって伝えている。

 今日、第一に「復活の出来事の女たちの驚き」について見てみたい。この福音書の冒頭は「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」(マルコ1:1)からはじめられた、福音を伝えることを目的に書かれた。そしてマルコの福音書は、他の福音書とは異なり弟子たちの受け止め方についてはほとんど書かれていない。ペテロ方聞いて書いたマルコは、ペテロについて裏切りを自覚させられて「泣き崩れた」(14:72)ところまでしか書いていない。同様に復活の出来事を知った女たちの記述も、気が動転して逃げ帰った姿だけが書かれている(16:8)。マルコ福音書は、ペテロや女たちのその後の回心や活躍を書かず、ただイエス様の復活だけに焦点を当てている。墓に行った「マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメ」(16:1)のは、十字架の場面も(15:40)、墓に埋葬される所も見届けていた(15:47)。この時の彼女たちの行動からは、イエス様への思慕の情が感じられるが、イエス様の復活については全く信じていなかったことが分かる。だから、その驚きは大変なものであった。

 第二に「御使いによる知らせの驚き」について見てみたい。女たちは墓の封印について懸念していたが(16:8)、到着してみると「目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた」(16:4)と聖書には書かれている→「聖書の舞台(生活・習慣)」のは行「墓と埋葬」参照。「目を上げる」とは、実際に大きな石を見上げることとだけではない。かつて絶望にあったアブラハムに、神様は「さあ、天を見上げなさい」(創世記15:5)と呼びかけられたように、神様に目を向けることも意味している。女たちは、中にいた「青年」(マルコ16:5)が誰かは分からない。しかしマルコは「真っ白な衣をまとった」(16:5)と書くことで、彼が御使いだったと伝えている。御使いは「あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう」(16:6)と言っているが、実際に女たちが墓の中をうろついて捜し回っていたのではない。「十字架につけられた普通の人」としてのイエスを求めているかという問いである。そして御使いは「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」(16:6)という新しい復活のイエスを捜すように述べている。そこに神様の御業の本質と、復活のイエス様を求めることに私たちの信仰がある。

 第三に「復活のいのちの驚き」について見ていきたい。御使いは、女たちに「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」(16:7)と弟子たちに伝えるように言った。弟子たちはかつて、ガリラヤで伝道を開始したイエス様に出会った→「新約聖書を読んでみよう」の「イエス様の職業」参照。だが今、ガリラヤで待っているのは復活のいのちのイエス様なのである。弟子の一人であるペテロは、それを聞いて反応したからこそ、イエス様への裏切りを乗り越えて、伝道に命を懸け大活躍することができた。しかしマルコは、それを伝えていない。ただ復活の出来事の驚きのみを伝えている(16:8)。私たちも、そこに目を向けたい。