はじめての教会用語辞典

 

教会で使われている用語って独特なんですよね。クリスチャンになって長い人は忘れているかもしれませんが、はじめて教会に行ったときに、みんなが話している言葉が分からなくて「えっ?何のこと」と疎外感を味わったことも多いと思います。そんな時、こっそりここを見たら、教会でみなさんが話していることもわかるはずです。なお、ここは信徒が書いているので、できるだけ神学的な論争に踏み込まずに教会生活に関わる部分を中心に書いていきますので、あしからず。

あ行

 

あいさんかい(愛餐会)

教会のみなさんと一緒に食べる食事会。日曜日の礼拝終了後にみんなで昼食を食べるのが一般的。毎週行う教会が多いですが、仙台のぞみ教会では毎月の最後の日曜日に行う。これについてはホームページのトップを見てください。初めて教会に行った人は、遠慮せずに食事をしていくと、いろいろ親交を深めることができるのでお勧めです。

あかし(証し)

「神様に助けていただいた」「神様からこんなめぐみをいただいた」という個人の宗教的体験を話し、みんなと共有することです。特別な体験があったら礼拝の中で話すこともできますので、牧師先生に申し出てください。

あぶらをそそがれた(油を注がれた)

昔のイスラエルでは、神様の言葉を伝えたり、みんなを指導したりする役目を神様から与えられた人は、オリーブ油を頭に注がれて聖別され(清め分けられて)特別な役割を果たしました。教会の人びとは牧師先生を含めて平等で「誰がエライ」というのではないけど、神様のみことばを伝える特別の役割を与えられた牧師先生を「油を注がれた人」として聖別しています。お祈りの中で「豊かな油注ぎを」と祈るのは、今日のメッセージを語る牧師先生を「神様が特別に力を与えて、よいメッセージの働きができるようにしてください」という意味ぐらいでしょうか。

あんそくにち(安息日)

 創世記2章2~3節にあるように、神様が天地を六日間で創造された時に、七日目に完成を告げられ「すべてのわざを休まれた」(創世記2:2)ことを記念し、一週間の最初の日に仕事を休み、心静かに神様と向きあう日としました。キリスト教にあっては日曜日をその日としています。でも、世界中で日曜日が休日という訳ではありません(ユダヤ教では土曜日を、イスラム教は別の基準から金曜日を安息日としています)。​

 また最近のビジネス・カレンダーは日曜日を「週末」としていますが、本来、日曜日は「週のはじめの日」であって、「週末」とは「金曜日の日没から土曜日の日没」を指す言葉なのです。

か行

 

かいいん(会員)

教会員のことです。その教会に所属しているクリスチャンのことです。会員の中には大学生や単身赴任の方のように、仙台の教会に所属しながら(会員)、別の土地に住んでいて別の教会に出席している人もいます。逆に別の教会の会員が、毎週、仙台の教会に来ていることもあります。

かんしゃ(感謝)

教会では「ありがとう」よりも「感謝です」と言われることが多いのでビックリする人もいます。教会で親切にされることは「有難い(めったいにない)」ことではないと言うことと、相手以外に神様にも言っているから「感謝です」なのでしょうかね。

きょうかいがっこう(教会学校)

「あそこの教会、幼稚園も併設しているから…」というのではありません。たいがいは礼拝の前に子ども向けのメニューで歌やゲーム、聖書のお話を通して神様のことを知ってもらおうという時間です。子どもたちだけでも参加できます。「教会学校の先生」は教会員のボランティアです。

きょうだい(兄弟)

神様が「父」で私たち人間はみんな平等な「兄弟」「姉妹」だという教会の考え方からです。佐藤さんのことを「佐藤兄弟(きょうだい)」とか「佐藤兄(けい)」とか呼んで敬称に使うこともあります。年下でも「佐藤兄」です。まあ普通には、「佐藤さん」って呼んでいますがね。

きゅうどうしゃ(求道者)

本来は「キリスト教徒になりたいと求めている人」のことを指します。でも普通に教会にいる「クリスチャンじゃない(まだ洗礼を受けていない)人」をこう呼んでいます。ですから「自分は聖書の話を聞きに来ただけで、クリスチャンになりたいわけではない」と思っていても、「いつか、一緒にクリスチャンになるといいな」と思って「求道者の方」と呼んでいますから、怒らないでくださいね。

こうどく(交読)

「購読」(買って読むこと)でも「講読」(解説されながら読むこと)でもありません。礼拝の中などで、司会者と会衆(礼拝に参加している人)が聖書を一節ずつ交互に読んでいき、みんなで聖書の言葉を分かち合うことです。読む箇所が偶数節ならいいのですが、奇数節だと最後は「会衆が読む」→「会衆と司会者が同時に読む」となります。連続で読むのを忘れてミスったりすることが多いんですよね。

ございてんの(御在天の…)

お祈りの中でよく聞きますが、慣れてないと何のことかわかりませんよね。これは「天におられる」という意味です。そして天におられるのは「父なる神様」(ま行の「みちち・みこ・みたま」の項目を参照)ですので、その前につく言葉です。

​さ行

 

さんびか(讃美歌)・せいか(聖歌)

神様をたたえる歌の歌集です。オリンピックの表彰で流れる曲も讃美歌です。ただ聖書とちがって絶対的なものでもなく、仏教のお経のように、それ自体「ありがたがるもの」でもありません。讃美歌も時代によってどんどん変わっていきまし、いろんなバージョンがあります。

しまい(姉妹)

これは「か行」にあった「兄弟」と対になる言葉で、女性信徒のことを指します。「鈴木姉妹」や「鈴木姉」のように敬称としても使います。ただ女性の場合は、各場合は「鈴木姉」と書きますが、牧師先生を表す「秋山師(し)」と語感が同じなので「鈴木姉(し)」と呼ばず「鈴木姉妹」と呼ぶことの方が多いですね。ちなみに、相手が年下でも「兄」「姉」です。

しつじ(執事)

教会によって(教義的にはややこしいのですが)「役員」「執事」「長老」などの、教会員からなる執行部を置いている場合があります。仙台のぞみ教会の場合は「役員」を使っています。教会の執事さんもいろいろなご奉仕はしますが、執事さんに「これ、紅茶をお持ち」と言っても「あら嬉しい、みんなにお出しするのを手伝ってくれる」と言われるのが落ちです。

しゅ(主)

神様のことです。聖書の中であまり「神様」と呼ばないのは、神道の「八百万の神」と区別するためでもあります。日本にキリスト教が入ってきた戦国時代には「天主」という呼び方もしたそうです。「主よ」と教会のひとが祈っていたら「神様!」と言うことなのですね。ただ、ここの「メッセージダイジェスト」では、クリスチャンでない方も読まれるので、特に必要のない時以外は「神様」「イエス様」で統一しています。

じょきょうし(助教師)

「女教師」に聞こえますが「助教師」です。私たちの日本同盟基督教団では「正教師」資格をとって洗礼を授ける資格のある牧師先生になる前の先生のことを指します。

しんと(信徒)

クリスチャンで、牧師さんじゃないひとのことです。

しんらいしゃ(新来者)

はじめてその教会に来た人を「新来者」と言い、礼拝の直後にみんなの前で紹介をされたり、自己紹介を求められたりします。「それはちょっと…」と思ったら、あらかじめ受付の時に行っていただければスルーしてもらえますから、恥ずかしがり屋のあなたもご安心を。

せいさんしき(聖餐式)

毎月第一週にする教会が多いです。公に洗礼を受けたクリスチャンだけの儀式ですので、初めての方は興味津々で見守っていてください。詳しくは(→「はじめての礼拝(礼拝編)」)をご覧ください。

せいしょ(聖書)

旧約聖書39冊、新約聖書27冊の66冊からなる、神様から私たちに向けたメッセージです。書かれた年代は1,600年の開きがあり40人以上が筆者になっているのですが、その内容に驚くほど一貫性のあるのは、神様が背後にいらして霊感を与え「代筆」させたからです。日本語の聖書にはいろんな翻訳の種類があり(→「はじめての聖書選び」)、仙台のぞみ教会では「新改訳聖書」と言うのを使っています。書かれた神様の言葉自体が大切なのであり、モノとしての聖書自体は神聖なものではありません。みなさん自分の聖書に書き込みやメモを入れて汚く使っていらっしゃいます。ただ、神聖なモノではないのですが、一般常識としてモノは大切に使いましょう!

せんれい(洗礼)

キリスト教の大切な儀式で、神様に従いクリスチャンになることを公に誓うことです。聖書では「バプテスマ」と表記され、そのように呼ぶ教会もあります。風呂桶のような水槽を使って水につかることが多いですが、教会によって額に水をつけるだけの教会もあります。うちの教会員で、別の教会で洗礼を受けた方は、大昔、広瀬川につかって洗礼を受けたそうです。寒そう!

そうがく(奏楽)

礼拝の中でピアノやオルガン、エレクトーンを演奏することです。ある教会ではドラムやエレキギターを礼拝の中で使っていました。これも「奏楽」になりますね。

た行

 

ちょうろう(長老)

「さ行」にあった「執事さん」と同じようなものと考えてください(細かく話すとややこしくなるので)。ちなみに「長老」と言っても高齢者ばかりではありません。ある教会で20代のうら若き女性長老にお会いしたこともあります。

とおりよきくだ(通り良き管)

お祈りの中で「通り良き管として」という言葉が出てきます。牧師先生は礼拝で自分の考えを述べたり、上から目線で道徳を解いたりしているのではなく、「神様の言葉をそのまま伝える」役割をする方です。ですから、自分の人間的な考えでゆがめたりしない「通り良き管」として御言葉を伝えるのが一番なのですね。

とりなし

自分自身の事ではなく、他の人のために神様にお願いすることです。「とりなしの祈り」とかの使い方をします。

な行

 

のんくりすちゃん(ノン・クリスチャン)

クリスチャンじゃない人のことです。

は行

 

ばぷてすま(バプテスマ)

洗礼のことです。聖書の中では「バプテスマ」と書かれています。ギリシャ語です。

ふくいん(福音)

「聖書の教え」という方がクリスチャンではない方には分かりやすいかもしれませんが、本来は「イエス様によってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ」のことです。英語だと"Good News"以外に、ゴスペル・ソングの「ゴスペル(Gospel)」やギリシャ語由来の「エバンゲリオン(Evangelion)」(εὐ=良い、αγγέλιον=知らせ)と言います。どこかのアニメで見たような言葉ですね。ちなみに仙台のぞみ教会が所属している日本同盟基督教団の英語名は、The Evangelical Alliance Mission (直訳すると「福音的な宣教の同盟」)と言います。

ふくいんしょ(福音書)

イエス様の生涯にわたる言行を記録したもので、マタイが記した「マタイの福音書」、マルコが記した「マルコの福音書」、ルカが記した「ルカの福音書」、ヨハネが記した「ヨハネの福音書」の、新約聖書の頭から四つを指します。それぞれちょっとずつ性格が違いますし、強調して書かれている部分の取り上げ方も違います(例えば「マタイ」「ルカ」はイエス様の生誕を書いているが、「マルコ」「ヨハネ」はイエス様がおとなになって活動をはじめられてからのことを書いている)。性格も「マタイの福音書」はイスラエルの民に向けて書かれたと言われ、いきなイエス様の家系図から説明されています。イスラエルの人は旧約聖書で預言されていたキリストの系譜を知っていますので、その人たちには説得力があったのです。これに対して「マルコの福音書」は、もともとローマの高官であった「テオピロ」という人に説明するために書かれたものですから、イスラエルの民以外の人にもわかるように書かれています。さらに「ヨハネの福音書」は神学的に書かれています。ただ「私はイスラエル人ではないから、マタイの福音書は読まなくていいんだ」ということはなく、四福音書は等しく大事なものです。

ふくいんは(福音派)

ニュースだと(アメリカの政治や宗教を解説をするとき)「キリスト教右派」や「キリスト教原理主義者」みたいに使われていますが、ぜんぜん違います。キリスト教の教えが、時代や上部団体の取り決め、牧師先生の解釈で変わるのではなく、「聖書に書いてあることは現代でも変わらず通じる真理である」と考えるのが「福音派」です。仙台のぞみ教会の所属する日本同盟基督教団は「福音派」になります。初心者の方も、教会のことや教会員のやり方に疑問を持ったら「聖書にはこう書いてあるけど、それ、どうなの?」といつでも質問してみてください。一緒に聖書を読んで考えて直していきましょう。

ほうし(奉仕)

教会のために働くことです。「司会のご奉仕」「奏楽のご奉仕」「清掃のご奉仕」「昼食(準備)のご奉仕」などと使います。もちろん牧師先生も教会員のひとりですから「礼拝説教のご奉仕」をしていることになります。

​ま行

 

まじわり(交わり)

教会にいるみなさんのどうしの交流のことです。初めて教会に行って「お交わりを」と言われたのだけど何すればいいの?と戸惑うところです。いろんな深い意味はありますが、まあ初めて行った礼拝後にこう言われたら「自己紹介を」、ちょっと慣れたら「お互いの近況報告をして、お互いのために祈らない?」だと思ってください。

みちち・みこ・みたま(御父・御子・御霊)

はじめて耳で聞くと何のことかわかりませんが、字にすると想像できると思います。「みちち(御父)」は天におられる神様、「みこ(御子)」はイエス様、そして「みたま(御霊)」は聖霊の状態で働かれる神様。「三位一体(さんみいったい)」の神様をそれぞれこう呼ぶことがあります(「三位一体」については「油を注がれた」(→「あ行」を参照)方に聞いてくださいね)。「おんこイエスさま」と「御(おん)」で呼ぶ教会もあります。

みな(御名)

これは、お祈りの最後の方で「イエスさまの御名を通して」のように聞くことがあります。「はじめての教会(礼拝編)」で、祈りは「①祈る宛て先としての神様」「②祈りの本文」「③送信ボタンとしてのイエス様」の3つのパーツからなると説明しました。この③で「神様と人間の仲介者としてのイエス様の名前で祈らないと神様に届かない」ということから、「イエス様の御名を通してお祈りします」と締めくくっているのです。

もーせごしょ(モーセ五書)

旧約聖書の最初の五つ「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「申命記」「民数記」をモーセ五書と言います。ユダヤ教の人たちは13歳までにこれを丸暗記し、また神様の命令通り身体に身につけているそうです(出エジプト記13:9、申命記6:8、11:18)。ユダヤ教の方の額と腕の箱を写真で見たことがあると思います。筆者(信徒です)は永年「あの箱の中にはミニチュアの旧約聖書が入っている」と思っていたのですが、調べてみると中に入っているのは神様がイスラエルの民に特に名指しで念を押した部分である「出エジプト13:1~10」「出エジプト13:11~16」「申命記6:4~9」「申命記11:13」を記した4つの細片が入っているとのことでした。

ら・や・わ行

 

れいはい(礼拝)

これはクリスチャンの方の方が「えっ?」って思われたかもしれません。でも、ある役員の方が「私、初めて教会に誘われた時に『礼拝にいらしてください』と言われて、何しに行くのかわからなかった」と言っていました。クリスチャン生活が長いと全然気づかなかったのですが、「なるほど」ですね。礼拝は、週の始めの朝(週は日曜日からはじまるのが正式ですよ)神様の御前に出て(教会に行って)神様を讃美してみ言葉を聴くことです…と言っても、何のことやらわからないので、具体的には(→「はじめての礼拝(礼拝編)」)みたいなことをするのだと思ってください。

やくいん(役員)

「さ行」の「執事」「た行」の「長老」に同じ(ようなもの)です。仙台のぞみ教会では「役員」を置いて、月に一度「役員会」をしています。

よげんしゃ(預言者)

世間でよく見かける「予告」の「予(あらかじめ)」を使う「予言者」(未来のことを見通す人)ではなく、「預金通帳」の「預(あずかる)」を使う「預言者」の方です。神様の言葉を「預かる」人で、もちろん神様が未来のことを予告したら預言者も「予言」はしますが、その他に「神様がこんな忠告をしている」という今現在の言葉も「預かる」こともあります。

ワーシップ・ソング

直訳は「讃美の歌」ですが、特に現代的な讃美の曲を指します。1960年前後から教会は若者への伝道のために現代的な音楽や若者の交わりに力を入れるようになり、その中でつくられたのが「ゴスペル」や「コンテンポラリー・ワーシップ・ソング」などです。現代のポップソングのような曲が多く元気が出ます。

ここをご覧のクリスチャンの方、教会に行っているノンクリスチャンお方、「自分はこんなのが分からなかったぞ!」というのがございましたら、ぜひとも「メール」「コメント欄」をご利用の上、教えてください!

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