秋山善久
沖縄の友人から電話がかかってきて、キャンプの準備をしていると楽しそうに話してくれました。「夏は暑すぎるし、蚊が多いからキャンプには全く不向きだからねえ」とのこと。うらやましいと言っていいのか、どうか。何にせよ、いつの時代どこにあっても困難さはつきまとうものだと思わされました。
多くの場合、そうした困難さへの向き合い方が、人生の方向性を決めていくのだと思います。壁があるから前に進めないと言ってしまうば、そこから動くことはないでしょう。申命記1章6節に「あなたがたはこの山に十分長くとどまった。あなたがたは向きを変えて出発せよ」とあります。私たちの教会が、今年の年間聖句としているものです。
イスラエルの民が約束の地を目前にして立ち塞がった壁は、そこにエジプトを脱出してから経験したことのない強い民族が住んでいるという事実でした。そのことが神とイスラエルの間に結ばれた契約を見えなくしたのです。そして38年間、民はカデシ・バルネアに留まったままでした。私たちの教会が現在の地に移って20年の月日が経ちました。そこでどれだけ前進できたかと自省しています。そして今、神の約束をどう受け止めるか。信仰によってこれまでになく前に進みたいと思っています。
秋山善久
昨年末、新型コロナウィルスとインフルエンザのダブルパンチが心配されました。1月頃にそのピークが来るのではないかということで、私も5回目の接種とインフルエンザの予防接種を受けたのでした。その効果なのかどうか、感謝なことに私自身はこれまでコロナにもインフルエンザにも感染することなく日を過ごさせていただいています。ただし、全国的にみると、このところ高齢者の死亡者数が増えていることが気になります。知り合いの中には、ワクチンを接種しないで感染し、大変な目にあったという人がいます。一方には、ワクチンに疑問をもって接種を受けていない健康な友人もいます。議論をしてみると、反対の人とはどこまで行っても平行線。さすれば接種率は、今後、一定数に固定するかも。人口の一定以上の人が免疫を持つと、感染者が出ても他の人にうつし憎くなる。これが集団免疫と言われるもので、国の政策もこうした考えを基本に据えているようです。これもウィルスが変異して免疫をスルーしたらどうなるか。そのときには元の木阿弥ということでしょうか。あまり考えたくないことですが、そんな絶望的な状況が発生したとしても、きっと抜け出ることができるに違いない。それが人間に与えられた知恵であり、体の中に仕組まれた機能であると考えている方が多いのではないでしょうか。きっとそうでしょうけれども、門外漢の者が言うのもおかしいのですが、そろそろそこにある壁を乗り越えるべきではないかと思わされるのです。自然界に備わった免疫という仕組みが偶然に出来上がったという考え方。その人間の作った壁が何かを見えなくしているのではないかと。
秋山善久
更新日:1月9日
日曜の朝、盛岡みなみ教会との合同礼拝のため、日の出前に車で仙台を出発しました。盛岡の教会の主任牧師を兼ねていることによるもので、二ケ月に一回の間隔で両方の教会をリモートで結ぶ礼拝をしています。高速道路を使うと仙台から盛岡までは2時間。でも、高速道路に乗らないで一般道を走ってみようと思いました。実は最近、車の調子が悪く心配なことがあったからです。オートマチックの変速ギアがうまく作動しないのです。そのためアクセルを踏んで加速すると、グイグイと押し上げるようなギアチェンジをする。そんなことで慎重に運転していたのですが、何とか行けるかも知れないと思ったに途端に車がガタガタと振動して警告ランプが点灯してしまいました。あわてて車を路肩にとめてエンジンをかけ直してみたのですが、黄色い警告ランプは点灯したまんま。田んぼの真ん中のような所で、狭い国道の道幅いっぱいにトラックが行き交っています。ほんとうに困ってしまったのですが、仕方なく最も近い新幹線駅がある古川までゆっくり運転して行くことにしました。実は警告ランプの意味がわからなかったのです。新幹線に乗車してからネットで調べてみると、どうやら排気系統の異常のようでした。すぐに車をとめて修理工場に運ぶように書いてあります。つくづく高速に乗ってからでなくて良かったと安堵しました。
車を運転するようになって40年以上しますが、今まで実に多くの車のトラブルがありました。高速道路でパンクしたこと、雪の山に突っ込んだこと、あげくの果てには後ろから追突されてトラックに挟まれたことまで。そうしたひとつひとつのことを振り返ると、どれも怪我無く済んだことが奇跡のように思えます。盛岡での奉仕が終わり、古川駅前に駐車してあった車に戻りました。そこからは妻の忠告に従いレッカー車で運んでもらいました。
今年もいろんなことがありそうです。でも恐れることなく前に向かって行きたいと思っています。それでも、やはり車の調子が悪いことがわかっていて盛岡まで遠出しようとしたことは間違っていました。大いに反省しています。