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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 11月16日

 県立図書館の自動ドアが開かないので、閉館したのかとがっかりした矢先、貼り紙が目にとまりました。左側のドアを、手で押してお入りくださいとあります。ははーん、これが例の熊対策なのかと気付きました。先日、テレビで見た、熊が自動ドアから施設に入ってきた映像が思い出されます。あれが図書館だったら、おそらくパニックになっていたでしょう。

 このところ図書館の周辺には、熊の目撃情報が多数寄せられています。隣接する宮城大学の校内にも熊が出ました。町内の回覧板でも熊に警戒するよう、呼びかけられているので、ちょっとした外出でも緊張感があります。熊だと思って110番があり、警官が駆けつけたら黒猫だったなんて笑い話まで。それだけ皆が熊に怯えている証拠でしょう。

 今年になって、全国的に熊が出没するようになったのは、自然環境に大きな変化があったからに違いありません。熊が食べるブナの実が不作で、冬眠を前に食料不足になっているとのこと。熊の側からすれば、生態系が壊されて生存が脅かされている現状では、「俺たちはどこへ行ったらいいのだ」となるのでしょう。人権はあっても、熊権はないのですから。

 聖書にも熊が出てきます。預言者エリシャのことを、子どもたちが禿げ頭とからかったときのことです。そのとき、二頭の雌熊が出てきて、42人をかき裂いたというのです。(列王記第二2:23~25)悲惨なこの事件の原因が、子どものからかいであると指摘されています。そのことでは、決して侵してはならない聖なる領域があることを教えられます。そこを軽んじたり、踏み込んでしまうことへの警告と解釈したらいいでしょうか。

 とにかく熊と遭遇したときには、金太郎のように相撲をとったりしないで、慎重に身を避けるようにしたいと思います

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 10月30日

更新日:11月1日

 インフルエンザが流行っているというので、念のため体温をはかってみました。すると、数値がずいぶん低いのです。朝、昼、晩とはかり直してみたのですが、多少の変化はあっても、やはり低いことに変りがない。気になってネットで調べてみると、低体温症の部類に入るとのことです。

 トカゲやヘビみたいな変温動物でもあるまいに、気温の低下に巻き込まれて、動けなくなったらどうしよう。一瞬ドキっとしました。それはないとして、体温が低いのは自律神経の不調によるものらしく、そのままだと免疫の働きが弱まってウィルスに感染しやすくなったり、癌の発生率が上昇するとありました。原因として考えられるのが、不規則な生活、寝不足、ストレス、運動不足などがあげられています。言われてみれば、なるほどと納得するものばかり。特に不規則さは10年来のことで、友人にはいつも叱られています。

 対処療法をと思ったのですが、体温を上げる薬というのはないものなのですね。ネットからの知恵によると、新陳代謝を向上させ、血行を良くして体を温めることが最善とのこと。そのために生姜がいいみたいでした。生姜オールというのを作って飲んでいます。

 考えてみると、体温が常に一定であるというのは、すばらしいシステムだと思わされます。臓器によって温度の違いがあっても、体温は36.6度ぐらいになる。これは、人の中に5000種類もある酵素が働く最適な温度なのですから。

 寒くなってきたので、温風ヒーターを引っ張り出してきました。昨年まで調子が良かったのに、調整をしないとそのままでは具合の悪いところがあります。自律して人の中に組み込まれているものと、人の知恵によって作り出すものの違い。これだけは何ともなりません。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 10月20日

 透き通った秋の空の下を、トンボが飛び交っているのが目にとまります。季節の移ろいを一番感じるのは、こうした虫たちの営みであるように思います。夏であれば鬼ヤンマ。子どもの頃、網を縦横に振り回しながらも、ちっとも捕れないことにイライラした記憶があります。塩辛トンボは、どこにでもいて簡単に採取できました。トンボの目の前で人差し指をグルグル回し、トンボが頭を回したところをパッと捕まえる。そして尻尾をちぎって、そこに猫じゃらしなどの草の茎を突っ込んで飛ばす。そんな遊びが流行っていました。子どもとは言え、何とも残酷な部分を内にもっていました。

 赤トンボにそんなことをしなかったのは、学校で赤トンボの歌を歌ったからかもしれません。おそらく子どもながらに、いとおしい気持があったのでしょう。

 ちなみに、作詞をした三木露風は、カトリックの洗礼を受けたクリスチャンです。生涯にキリスト教の信仰を基にした詩集や信仰書などを出版しています。4番には彼の信仰があらわされているとも。

 「ゆうやけこやけの あかとんぼ とまっているよ さおのさき」 

 竿の先にとまっている赤とんぼは、彼が生涯崇めた十字架の主イエスを描写しているというのです。

 今、わたしはそのようにトンボを見ているかというと、そこまでは思いが至ってはいません。ただ、幼虫のときにはヤゴであったのが、成虫となってトンボになっている姿には心を惹かれるものがあります。その昆虫としての変体は、キリスト者の聖化を連想させるからです。泥の中で生きていた者が、キリストにより姿が変えられて、神の国を自由に飛び回るときが来る。トンボは、そんな希望を覚えさせてくれます。

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