• 秋山善久

 年の瀬と言いますが、年末に追い詰められて仕事を二つも三つも掛け持ちしているような感じになっています。「それは性格なんだよ。何かがくっついてるんじゃないの」と昔からの友人には笑われます。振り返ってみると、いつも何かに追われているようで、走っていないと落ち着かないところがあります。それでも不思議と体力だけは守られていて、徹夜に近いことが続いても一日休むとほとんど回復することができます。

 そんな私も数年前に検診で肺癌の疑いがかけられ入院したことがあります。そのときには、いよいよ自分も年貢の納め時だと観念しました。父は肺癌で母は胃癌で亡くなっているからです。今年はその母が召された68という年齢に達しました。最近は、スクワット100回、腕立て伏せ100回を日課にしています。それにダンベルを持ち上げたり。ターニングポイントを越えたら、前よりも元気になったような気がします。ただ健康を維持するため適度の運動をし、必要な栄養は摂っているのですが、睡眠だけはどうにもなりません。眠ろうと思ったときに眠れない。一週間の中で、何回も昼と夜が逆転しながら生活しているので、体内時計が完全に狂っている状態です。そんな年の瀬が来て、ちょっとした時間が空きそうです。ここで眠るにしても何かに追われているような夢だけはごめんです。

  • 秋山善久

 教会がある住宅街のどこからか、金木犀の香りが漂っています。小さな花は目立たないけれど、香りは独特で誰にでも見分けがつくのがいいですね。銀杏の香りとは雲泥の差といったら、銀杏に失礼になるかしらん。

 この香りを嗅ぐと、青年の頃、初めて教会にいったときのことが思い出されます。全盲であるというその牧師は、目が不自由であるとは感じさせない明るさで、ジョークを交えながら迎えてくださいました。開拓教会で、普通の家を改造したという建物は、そのことで評判になる程に教会のイメージではありませんでした。それでも高校生や青年がたくさん集まっていたので驚いたものです。それから一年ほどして、牧師の転任が決まりました。その牧師の証しをまとめた金木犀というタイトルの本が後に出版されました。目の不自由な牧師にとって、香りは非常に重要な知覚であったのですが、金木犀の香りはキリストの香りを思わせるものであったようです。金木犀の香りは、青年の頃のさまざまな出来事を思い出させます。

  • 秋山善久

 新型コロナウィルスの感染予防のため、祈祷会は教会と各家庭をオンラインで結んでしています。ズームというアプリを使うのですが、最初は戸惑っていたマイクなど事前の調整も、数を重ねるにつれて問題なく進行するようになりました。四国の大学で学んでいるT君が画面の中で話すのをみるとき、距離を感じさせない現実が不思議に思えるほどです。祈祷会はメッセージ形式ではなく、参加者が共に学ぶ形式でしています。そうしたところで情報を一方的に流すのではなく、相互の考えの交換ができることは本当にいいものです。実のところ、コロナウィルス以前には、祈祷会の参加者は全くの少数でした。それでも10年以上、教会の祈祷会に参加し続けているN兄は、いつも祈祷会の参加者が与えられるよう祈っていました。N兄は今まで通り教会に来られ、他の人はズームでの参加です。それはN兄の祈りが答えられたことでもあります。

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