聖書の舞台(人物・組織)
 

メッセージに聖書の舞台の人物や組織が出てきたら、それをフリー写真を使って解説していく「聖書の舞台」です。クリスチャンの方も、そうでない方も、聖書をより身近に感じられるようになりますように!

 

あ行

イスラエルの民

 聖書に出てくる人たちを「どう呼称するか?」は結構難しいのです。

 この絵にあるのは、アブラハムが神様から生まれ故郷のメソポタミア地方から今のイスラエルの方に行くようお告げを受け(創世記12:1~3)、おいのロトらの家族も含めた一族で旅立つ場面です。神様はアブラハムを選び、異教がはびこる中でアブラハムの子孫によって信仰を守らせ、後の時代にアブラハムの家系から救世主を生まれさせる計画を示しました。神様はアブラハムを「選びの民」とする契約を結び、ついて息子のイサク、その息子のヤコブとも契約を結びました→「失われた十部族」参照)。このヤコブに神様は、以後「イスラエル」と名乗るように告げます(創世記32:28)。このヤコブの12人の息子たちが、その後のイスラエル十二部族の祖になるのです。ですから「イスラエルの民」と言うのは、神様がアブラハムの子孫を選んだ「選びの民」であり、アブラハム、イサク、ヤコブを通じて契約を結んだ「契約の民」であり、「ヤコブ=イスラエルの12人の息子を先祖に持つ家系の人びと」 (ちなみにアブラハムやイサクには、他にも子どもがいましたが(創世記21:9、25:2、25:25)この人たちの子孫は「イスラエルの民」とは言いません) になるのです。ですから人種的にも同じで、同じ国民で、昔からアブラハムさん家のお隣に住んでしても、この家系の人でなければ「異邦人」と呼ばれます。

 なので、このホームページでは、アブラハムからイスラエル王国分裂まで→「失われた十部族」参照)と、「聞け、イスラエル」みたいに特に「選びの民」「契約の民」と言いたいときに「イスラエルの民」使おうと思います。ちなみに「イスラエル人」と言う場合は、1948年に建国された、現在のイスラエル国の国民を指すことが多ので「イスラエル人」は使いません。またダビデらの王国について聖書には名前がありませんし、世界史の教科書も「ヘブライ人の王国」と微妙にぼやかしています。歴史研究では便宜上「ヘブライ王国」としていますが、「へブル(ヘブライ)人」とは「川向うから来た奴ら」ぐらいの意味で外国人との関係では使うが、自らは誇りをもって「イスラエル人」と称していたというので、個々では分裂前の王国を「イスラエル王国」と称しています。

ヨージェフ・モルナール「カナンへの旅立ち」1850年。

うなじのこわい民

  旧約聖書では、よく神様がイスラエルの民のことを「うなじのこわい民だ」と嘆くシーンが出てきます。この「うなじ」とは首の後ろのことで、「こわい」とは「こわいご飯」のように「固い」とということです。右の(モバイル版にあっては上の)絵は、牛につけて荷車を引かせるために「くびき」です。ちょうどよいフリー素材がなかったので描いてみました。この「くびき」を付けるところが牛の「うなじ」ですが、牛が反抗的だと漁社の思うように首を曲げてくれず、まるで固まってしまったように動かなくなります。これが「うなじ」が「こわい」状態です。

 つまり「うなじがこわい」とは、「反抗的で導きたいところに進んでくれない」「頑固で不従順な」という意味です。神様にこんな風に言われるなんて、人間って大概のものですねぇ。

 

か行

カイザル(カエサル)

 「カイザルのものはカイザルに」は、ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)のことを思い浮かべます。カエサル(シーザー)は、「賽は投げられた」(alea iacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」などの言葉でも有名で、共和制ローマの最後に独裁制への道を開いて帝政のローマ帝国への礎を築いた人です。今のカレンダーの基となる太陽暦の「ユリウス暦」に名前を残した人です。イエス様の誕生より5~60年前の人です。しかし、この場合の「カエサル」とは、「カエサル家の皇帝」またはローマ皇帝」一般を指すものと考えられます。

 ローマ帝国は、カエサルの養子(実姉の孫だった)のアウグストゥスが初代皇帝で、この人は「August(8月)」が生まれ月だったので、7月に続いて8月を「大の月(31日)」にしたとの逸話をのこしています(でも、どうも7月がユリウス・カエサルから、8月がアウグストゥスからと言うのは異論があるようです)。イエス様のころのローマ皇帝は、2代目のティベリウス・ユリウス・カエサルでした。

 マタイ22:19~22に出てくるデナリ硬貨とは、約一日分の賃金に相当するローマの銀貨で、聖書に出てくる硬貨がカエサル(シーザー)の時代ものか、それともアウグストゥスやティベリウスの時代のものかはわかりません。聖書に出てくる「カイザル(カエサル)のものは」のカエサルは、「カエサル家」を、またはローマ皇帝一般を指しているからです。もし、イエス様が取り上げた効果が当時の皇帝だったティベリウスの顔が刻まれた硬貨だとすると、右の写真(モバイル版にあっては下の写真)のようなもので、このような皇帝の顔と銘が刻まれていたことになります。この銘ですが「ティベリウス」を「TI」と略してありますが、その意味は「TI CAESAR DIVI AVG F AVGVSTVS」(崇拝すべき神の崇拝すべき子、皇帝ティベリウス)となっています(右下から反時計回りに読んでみてください)。つまり、この「カエサルの銘の入ったデナリ硬貨の銘を認める」ということは、単に政治的に「税金」をどうこう言う問題以上に、「神の子はイエスさまかティベリウスか」という宗教的な問題まで含んでいます。

ティベリウスのころのデナリ硬貨です。右下から右上へ「TI CAESAR DIVI」上から左下に「AVG F AVGVSTVS」と読めます。出典はわからなくなりました。問題があったらご一報ください。

 

さ行

​サドカイ派(サドカイ人)

 聖書で「〇〇人(びと)」という時、現在のように人種や民族を言う場合もありますが、「〇〇街の人」や「〇〇地域の人」のような使い方も、「〇〇集団の人」や「〇〇派の人」の意味もあります。聖書の「サドカイ人」は民族ではなく、「サドカイ派の人」の意味です。

 「サドカイ派」は、ユダヤ人の中の祭司階級や貴族階級などの権力者で裕福な人びとでした。神殿の権威をバックにしており、イスラエルの最高議会「サンヘドリン」70人の大多数を占めていました。彼らはローマの属国となったイエス様当時のユダヤ王国を維持する方が自分たちの地位も財産も保てるので、親ローマ保守派だったと言えます。宗教的にはモーセ五書→「はじめての教会用語辞典」ま行の「モーセ五書」参照)だけに権威を置き、ユダヤ教の律法を解釈し実生活についての様々な規定を設けた「口伝律法」を認めてはいません。現世的で「神が生活に関わっていること」「死者が復活すること」「死後のいのちがあること」「霊的存在があること」を否定していました。

 紀元66~70年の第一次ユダヤ戦争でローマに神殿が破壊されると、サドカイ派は消滅していきます。

サンヘドリン(議会)

 宗教国家であったイスラエルの最高議会で、大祭司を議長とする70人の構成員からなり(議長以外の70人で計71人という説もある)、律法、四方、行政を司どっていました。時代によって性格も少し変わるので、ここではイエス様の十字架刑を決めたローマ帝国の支配下でのサンヘドリンについて述べます。

 ローマ帝国の支配時代、イスラエルは5つの州に分けられ、そこには自治組織の「小サンヘドリン」がおかれ、中央には「大サンヘドリン」が置かれていました。これがイエス様を裁いた司法、行政、律法を司るイスラエルの「議会」です。

 それでは、ヘロデ王やローマ総督との関係はどうかというと、ローマ帝国は、ここと同じ「さ行」にある項目「取税人」にもあるように、支配した民族の自治を大切に(…というか、ややこしい内情にはノータッチ)する占領政策を行っていました。イエス様のころの総督、ローマからはポンテオ・ピラトはローマ皇帝テベリオから任命されたユダヤ州の総督です。一般に総督は、税金集めの経済的権限を持っているだけですが、ピラトの場合政治能の不安定なユダヤ州を任されるにあたって、軍事、行政、経済に渡る権限を持っていました。次にヘロデ王ですが、これはいわばローマの傀儡政権でした。そしてサンヘドリンは、死刑以外の司法権も含む、立法、行政の自治権を持っていました。このヘロデ家とサンヘドリンの関係ですが、宗教国家たるイスラエルでは大祭司の力が強いものの、ヘロデ大王の時代は、一族や配下の地方長官でサンヘドリンを固めてコントロールしていたようです。

 福音書には、サンヘドリンがイエス様を裁いて(ルカ22章66~71節)のあと、ローマ総督ピラトのもとに連れて行ったのは(ルカ23章1節)、サンヘドリンが神殿内での涜神罪を除いて死刑判決を下す権限がなかったためで、このとき彼らはイエス様を死刑にするために必死にローマ帝国への反逆の証拠を得ようとしています(→2020年3月22日のメッセー参照)。そして、そのピラトがイエス様をヘロデ王にまわしたのは(ルカ23章7節)、属国内部のややこしい宗教や民族問題に触れないというローマの支配の方針からだったのです。

 

士師(しし/さばきつかさ) New

 神様の言葉と命令を受けたモーセが、イスラエルの民をエジプトから引き連れ40年→「旧約聖書を読んでみよう」の「出エジプト(で海を割る話)」参照、モーセは約束の地の途中で死ぬのですが、その後を引き継いだヨシュアがイスラエルの民を引き連れ神様の命令で「約束の地」→「聖書の舞台(国・場所)」のら・や・わ行「約束の地」参照に入り、そこの先住民に次々に打ち勝ってカナンの地に住むようになりました。その後、イスラエルの民は神様のみに従い統一した中央政府や王を持たずに、十二の部族→「旧約聖書を読んでみよう」の「失われた十部族」参照がそれぞれの土地に分かれ住むようになりました。初めはよかったのですが、ヨシュアらの世代が死に「を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代」(士師記2:10)になると、「イスラエルの子らは主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルに仕えた。」(2:11)→「聖書の舞台(生活・習慣)」のか行「カナン人の宗教」参照とあるように、堕落の道を突き進みます。しかも内戦あり、カナンの地を奪われた周辺諸民族との戦争ありで、大変な状況になっていました。これはイスラエルの民が神様に逆らい悪を行った結果で、一時はとんでもない残虐な罪を犯したベニヤミン族を(19章)神様がほとんど根絶やしにされるという事態に陥りました(20~21章)。

 しかし、そんなイスラエルの民にも神様はあわれみをかけ、危機になるたびにイスラエルの民を導くために、神様が直接命令を下した「士師」と呼ばれる人々を送りました。300年の間に断続的に、オテニエル、エフデ、シャルガム、エフデ、デボラ、ギデオン、トラ、エフタ、イブツァン、エロン、アブドン、サムソンの十二人が立てられました。士師たちは「立派な指導者」と言うわけではなく、中には道徳的に問題があった人物もいたりしましたが、時に応じて神様がイスラエルを導くために使われた人々です。

 そのうち、イスラエルの民は「他民族のように王がいないから混乱するのだ」と考え、本来、神様に立ち戻り神様を中心とした国を作るべきなのに「私たちをさばく王を私たちに与えてください。」(Ⅰサムエル8:6)と神様に願うようになりました。神様は、「王はきっと民を隷属させるようになるぞ」「その時に泣き叫んでも知らないぞ」と言ったのですが(8:11~18)、民は言うことを聞かず王を願ったので、初代サウル王が立てられ、ダビデ王やソロモン王に続くイスラエル王国になったのです。

取税人

 取税人と言うのは、ローマが支配地を支配するために、占領された民族からの非難を浴びず税金を取り立てるためにつくりだした役職です。まずローマは支配地で取税人を募集し、入札で一番高い値を付けたものを任命していました。取税人はローマから給料は貰っていません。それでは、どのようにしていたのか。ローマが決めたのは税金の額と納入期日で、どのように集めるか、いつ、どれだけ集めるかは取税人にまかされていました。取税人はローマの権威をバックにして好きなだけ税金を集めることができ、ローマに納めた残りを自分の収入としていたのです。そのため取税人の中には大変金持ちになった者もいました。

 一方、ユダヤ人からしたらどうだったのでしょうか。「神に選ばれた民族」というプライドのあるユダヤ人からしたら、ローマの権威をバックに同胞から汚くお金を集める取税人は、ローマ支配に対する恨みつらみを一身に引き受ける存在でした。お金はある。しかしユダヤ人社会から疎外された存在、それが取税人でした。イエス様が取税人マタイを十二使徒にして側に連れて歩いたり、取税人ザアカイを呼び止めて彼の家に「泊まることになっています」と言い放ったことは、周りにいるユダヤ人にとっては驚くべきことだったわけです。

 だが、声をかけられたマタイやザアカイからしたら、それまで疎外されてきたのですから、イエス様の愛がひとしお身に染みたことでしょう。

ソロモン王 NEW

 ソロモン王は、イスラエルの3代目の王でダビデ王→「旧約聖書を読んでみよう」の「ダビデとゴリアテ」参照の子どもです。ソロモン王が神殿で儀式を行った夜、神様がソロモンに現れて「あなたに何を与えようか。願え。」(歴代誌第二1:7)と言われたとき、彼は富や財宝、長寿ではなく、神様の民をさばく(正しく判断して統治する)「知恵と知識を私にください。」(1:10)と願ったことから、神様はそれを良しとされて「知恵と知識」に加え「後の王たちにもないほどの富と財宝と栄誉」(1:12)を与えられました。このあたりは「旧約聖書を読んでみよう」のページに詳しく書きましたので→「旧約聖書を読んでみよう」の「ソロモンの箴言」参照、ここでは少し歴史について書いてみましょう。

 イスラエルはダビデやソロモンのころに領土が最大になりますが、これはダビデ王が神様から与えられた「約束の地」→「聖書の舞台(国・場所)」のら・や・わ行「約束の地」の「第一」参照を勝ち取るため、せっせと周辺諸国と戦争をして領土を広げたためでした。しかし、ソロモン王は父ダビデのような拡大政策をとらず、内政と治安の安定に力を注ぎました。その結果、今のアジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸をつなぐ商業の要所としてイスラエル王国は発展し、ソロモン自身も莫大な富を得ることになりました。ソロモンの政治の前半は、神様に従う知恵のある王様が経済的な発展をもたらしたことになります。

 ソロモンは父ダビデの遺志を受け継ぎ、その頂点の時期に、それまで簡素な天幕であった神殿を石造りの強大で豪華なものにするための建築を開始します。その完成の時のソロモンの祈りは列王記8章にしるされていますが、本当に神様の前に忠実な王様の祈りです。しかし、その建築の家庭で在留異国人を強制労働させただけでなく(Ⅰ列王記9:21)、イスラエル人も労働に駆り出しました(5:14)。その他に払えなかった代金の代わりとして20の町を他国に売り渡したり(9:11)、労働者を神殿だけでなく自分の宮殿(9:15)や嫁いできたエジプト王の娘の家などを建てるのにも働かせました(9:24)。こうして、徐々に人々の不満が高まっていったのです。

 またソロモンは、周辺国との戦争を避けるために周辺の国々との政略結婚をすすめましたが、その結果、700人の妻と300人の側女を抱えることになりました(11:3)。そして年をとるにつれて、この妻たちが持ち込んだ異国の宗教に心を赦し、妻たちと同じように忌まわしい儀式をして→「聖書の舞台(生活・習慣)」のか行「カナン人の宗教」参照神様からどんどん離れて行ったのです(11:1~8)。当然、神様はソロモンに怒りをけられましたが(11:9)、父ダビデとの約束に免じてソロモン自身には手を下さず、その子孫から王国を引き裂くと宣言されました(11:12)。ソロモンの晩年は多くの敵対者が絵を悩まし、ソロモン家の執事長だった(11:28)ヤロブアムが、ソロモンの死後、ソロモンの子れレハブアム王に逆らってイスラエル⑫部族の10部族を率いて「北イスラエル王国」を創設し、子牛崇拝と自分で勝手に任命した祭司(12:32)自分で勝手に考えた儀式(12:33)をもって王国の宗教としました。このような神様に見捨てられた状態は、北イスラエル王国が滅びるまで続きます。

シメオン・ソロモン「ソロモン王」(部分)1870年。

 

た行

ダビデの子

 聖書でイエス様のことを「ダビデの子よ」と叫んでいる箇所が多々あります。

 このダビデと言うのは、イエス様より1000年ほど前のイスラエルの王様で、神様はダビデ王の子孫に救い主(メシア)を誕生させるという約束をされました。そのことは、当時のイスラエルの人は教養としてみんな知っていたので、2019年3月3日のメッセージの中で盲人たちが「ダビデの子よ」と叫んでいるのは「あなたがこそ救い主です」と言っているのと同じことになります。それから、ダビデの「子」ですが、これは今でいう「子=息子」ではなく「子孫」のことです。現在、これにあやかる「ダビデ(ディビッド)の子孫(+ソン)」という名字もあって、アメリカの有名なバイクメーカーの「(ハーレー)ダビッドソン(ディビッドソン)」などが有名ですね。

 ここで聖書雑学を二つ。

 右上の写真(モバイル版では左上)はミケランジェロの有名なダビデ像ですが、これは少年時代のダビデ王(王になる前)です。ペリシテ人(パレスチナ?)の巨大な戦士ゴリアテ(これもアニメ「天空の城ラピュタ」の巨大な飛行戦艦の名前になっていますね→「ダビデとゴリアテ」)に投石器だけで戦いを挑んだ羊飼いダビデ君の姿なのです(真ん中の写真。モバイル版では下左)。肩にかけているのは「手拭い」でなく革の投石器ですね→Wikipedia「ダビデ」の「ダビデとゴリアテ」の絵を参照)

 そしてトランプのスペードのキングは、ダビデ王がモデルだそうです(右下の写真。モバイル版では右上)。ちなみにハートが「カール大帝(フランク王国/神聖ローマ帝国)」、ダイヤが「カエサル(シーザー)(ローマ帝国)」、クラブが「アレクサンダー大王(マケドニア)」です。西洋世界では、これらに並ぶ超有名な王様だったということです。

shutterstock/Pixaby

123RF

トマス

 イエス様が十字架につけられ、死にて葬られ、三日目によみがえられた後、断続的に弟子たち(十二弟子以外にも)の前に現れた時、イエス様を目撃した他の弟子たちに「私は、その手に釘の後を見、私の指を釘の所に差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」(ヨハネ20:25)と言い切ったのが、このトマスです。つまり十字架に釘で打ち付けられた穴があり、わきの下に槍で刺された穴がないと、本物のイエス様と認めないという訳ですね。なので「疑いのトマス」と呼ばれています。右(モバイル版にあっては上)の絵は、その後、イエス様がトマスの前に表れて「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい。」(20:27)と言われてしまったりしています。それでも「うへぇ~滅相もございません」と言わずに、それでは遠慮なくと差し入れているのがトマスの可愛い所です。トマスは、その直後イエス様に「あなたは、わたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(20:27)と言われています。

 こう見ると、疑い深くてお調子者のように見えますが、十字架の前は「私たちも行って、主とともに死のうではないか。」(11:16)と熱血に他の弟子に言ったり、上に書いたように確かめて本物とわかったとたん「私の主。私の神。」(20:28)と言ったりしているところを見ると、イエス様が好きすぎて、十字架につけられたことがショックで、でも復活したと信じられたとたん感激しているように私には思えます。

ドゥッチオ・ディ・ブオニンセーニャ作イエスに触れるトマス(部分)」1308-1311頃。

 

な行

熱心党

 イエス様の弟子にも「熱心党員シモン」がいますが、端的に言うと民族主義テロリストです。イエス様の誕生から30年ほど前、ヘロデ大王(先代のヘロデ王)の時代に結成され、反ローマの過激派勢力として活動していました。イエス様の使徒の中に「取税人マタイ」がいますが、これは熱心党からすれば「ローマの狗」でした。ローマは広範な土地の諸民族を支配するために、「ある程度、宗教や文化の独自性を認める」「ローマ皇帝に直接不満が向かないように間に傀儡政権を置く」などの工夫をしていました。取税人も一つで、「重税の不満が直接ローマに向かない制度」です。例えば、ローマが「年10万円」の税を上納するように取税人に命じると、取税人は「15万円」でも「20万円」でも好きに税を徴収し、ローマに「10万円」を納めればよいのです。そのため取税人は簡単に蓄財はできましたが、一方で庶民の恨みを直接買う仕事でした。

 

は行

バラバ

 バラバは、民衆の圧力に屈したローマ総督のピリポがイエス様の代わりに釈放した死刑犯です。

 イエス様を死刑にするように最高議会(大サンヘドリン)に申し出られたローマ総督のピラトは、イエス様に死罪に当たる罪が見つからないと三度(ルカ23:4、14、22)も説明しています。さらに彼は、民衆がねたみからイエス様を死罪にしようとしたことに気付いており、彼の妻も止めているので(マタイ27:18~19)、何とかイエス様を死罪にすることを止めようとして、いつも祭りの特赦でひとりだけ囚人を赦免していたことを思い出し、民衆にイエス様を赦免する提案をしました。しかし民衆は、熱狂的にイエス様の十字架を求めて騒いだので、最終的に「この人の血について、私には責任はない。自分たちで始するがよい。」(マタイ27:24)と責任を放棄し、罪のないイエス様を死刑にさせました。

 このとき助かったバラバのその後については、聖書に記述はありません。ただ、十字架につけられて当然の存在でありながら、すんでのところでイエス様を身代わりにして十字架を逃れた私たち人類すべてがバラバなのかもしれません。このバラバにちなんで、もと暴力団員だった方がイエス様に触れてから改心し、伝道師となってその後多くの同じような方々を救いに導いた実話があります。このお話は2001年に故・渡瀬恒彦が主演して「親分はイエス様」という映画にもなりました。

パリサイ派(パリサイ人)

「親分はイエス様」グルーヴコーポレーション、2001年。

 これも特定の人種や民族ではなく、党派と言う意味の「〇〇人」です。

 「パリサイ派」は、上に出てきたサドカイ派→さ行「サドカイ派」参照とちがって中産階級の商売人が多く、「シナゴーグ」という市中の礼拝所で「ラビ」と言われるユダヤ教の先生が教える「生活に直結した律法の教え」を守っていくことを誇りとしていました。彼らの宗教観はサドカイ派とは反対に、「日々の生活に神様は関わっている」「死者の復活はある」「死後の世界とさばきはある」「霊的な存在はいる」というものでした。庶民の間で手本となる存在として人気がありましたが、パリサイ(分離する者)の名の通り、律法を守らない(守れない)ものを忌み嫌っていました。安息日だろうが羊の世話をし、野外では律法通りの清めを行わずものを食べる羊飼いの所に天使たちがあらわれ、救世主の誕生を教えるなどというのは、パリサイ派からしたら「ありえない」ことだったのです。

 紀元70年の神殿崩壊後は、生活の中の「口伝律法」を発展させて書物化し、現在のユダヤ教の基となっています。

ピラト

​ ローマ帝国がパレスチナに駐在させていた第5代目の行政長官で、紀元26~36年の間、この地位にありました。聖書では「総督」と言われています。彼はポンティオ(ポンティ)家というローマの名門氏族の出で、通常は税金を集めたりする経済的な存在だった総督の役割りに加え、支配が困難なパレスティナを納めるために、皇帝ティベリウスから行政や司法、軍事の権限も持たされて派遣された人物です。

 教会で唱える「使徒信条」(→「はじめての教会(礼拝編)」参照)に名前を残す唯一のローマ人ですが、その内容が、イエス様が「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」ですから不名誉なことです。聖書ではなく歴史家のフラウィウス・ヨセフスによればエルサレムにローマのやり方を強引に持ち込んだり、神殿を血でけがしたり、神殿に納めるお金をローマ水道の建設費用にしたりして、ユダヤ教に対してかなり強引なことをして反感を買っていたようですが、聖書で、イエス様に罪がないとし宗教的な判断を避けようとしたり、民衆に押し切られて「この人の血について、私には責任はない。自分たちで始末するがよい。」(マタイ27:24)と逃げたピラトと、イメージが違うようです。聖書に「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。」(ヨハネ19:12)と激しく突き上げを食っていることから、彼は自分の政治生命に危機感を抱いていたことがわかります。『新聖書辞典』(いのちのことば社、1985年)によれば、ユダヤ人たちにそれまでのピラトの強引な手法をたびたびローマ本国に訴えていたので、このころのピラトはユダヤ人たちを恐れていたのだろうと考えています。

 ピラトのその後は聖書には書かれていませんが、4世紀の歴史家エウセビオスが『教会史』第2巻で、「ピラトが自殺したことを、オリンピックの競技を記録したギリシアの著作者たちが伝えている」と記しているようです。ただ伝聞な上、事件から三百年以上離れているのでわかりません。 

ヘロデ

 幼子イエス様を殺そうとしたヘロデ(マタイ2:13)(下記説明の(1))と、サロメにヨハネの首を与えたヘロデ(マタイ14:1~12)(下記説明の(2))と、ペテロを捕らえたヘロデ(使徒12:4)(下記説明の(4))は、全部違う人物です。実は聖書には、この3人以外に後2人の合計5人が王家のヘロデとして登場します。

 (1)ヘロデ大王。イエス様の生誕の所で出てくるヘロデ。ミカ書でも預言された「イスラエルの支配者」が出現したことを東方の三博士から聞いた(マタイ2:4~7)ヘロデは、その時に生まれた可能性のある国中の男の子を皆殺しにしました(マタイ2:16)。

 (2)ヘロデ・アンティパス。マタイの14章やマルコの6章に出てくるヘロデで、宴会の踊りの褒美に少女サロメが望んだバプテスマのヨハネの首を与えた人物です。ヘロデ大王の子どもで、イエス様の十字架の時のヘロデもこの人です。

 (3)ヘロデ・ピリポ。ややこしいのですが、この少女サロメの実父がヘロデ・ピリポです。ヘロデ・アンティパスの異母兄弟で(マルコ6:17)、妻ヘロデヤとの間に娘サロメがいました。しかし、ヘロデ・アンティパスに妻ヘロデヤをとられてしまいました。

 (4)ヘロデ・アグリッパⅠ世。ヘロデ大王の孫で、ヘロデ・アンティパスの甥っ子にあたります。使徒ヤコブを剣で殺し(使徒12:2)、パウロを捕らえて牢に入れました(使徒12:4)。

 (5)ヘロデ・アグリッパⅡ世。(4)のヘロデ・アグリッパⅠ世の子ども、ヘロデ大王からするとひ孫になります。使徒25:13の「アグリッパ王」と言うのがこれにあたります。

 

ま行

モアブ人 New

 アブラハムの甥ロトがソドムとゴモラの地から逃れ→「旧約聖書を読んでみよう」の「ソドムとゴモラ」参照、そこで子孫を残すため娘たちと寝て、姉の方が生んだ子供がモアブである(創世記19:30~37)。このモアブを祖先とすると言われているのがモアブ人で、アブラハムを祖先とするイスラエルの民→「聖書の舞台(人物・組織)」のあ行「イスラエルの民」参照とは遠い親戚関係にありました。彼らはエルサレムから司会を渡った東側の高原地帯にす住み、後にモアブ王国も築きました。現在はヨルダンのカラク県にほぼ相当します。

 当初、神様もイスラエルの民もモアブ人を「ロトの子孫」として丁重に扱い敵対していませんでしたが(申命記2:9)、エジプトから北イスラエルの民の多さに恐れたモアブ王バラクは(民数記22:3)、バビロニアの占い師バラムを招いてイスラエルの民を呪わせようとして失敗すると(22~24章)、バアルイスラエルの男たちを誘惑しバアルの儀式→「聖書の舞台(生活・習慣)」のか行「カナン人の宗教」参照を行わせようとしたのです(25:1~3)。そのため神様の命令でモアブ人は十代先の子孫までも「主の集会」から排除されるようになりました(申命記23:3~4)。なりましたつまり、モアブ人はイスラエルの民から忌み嫌われる存在となったのです。

 士師記の時代はモアブ人がエリコ周辺を18年間支配したり(。士師記3:12~14)、それを士師のエフデが取り戻したり(3:15~30)の小競り合いはありましたが、ルツ記の時代は特に何も争っていなかったようです。しかし、その反面、モアブをはじめとする周辺の宗教が入り込み、神様への信仰が揺らいでいました(10:6)。

 モアブとの対立が鮮明になったのはイスラエル王国の時代で、特にダビデ王の時代にはモアブ王国を属国化しました(Ⅱサムエル8:2)。ソロモン王の死後モアブは再独立を果たしますが、その後は、イスラエルの分裂やアッシリアやバビロンなどの周辺国の強大化→「旧約聖書を読んでみよう」の「失われた十部族」参照にともなって翻弄されたようです。

 バビロン捕囚から解放された後→「旧約聖書を読んでみよう」の「失われた十部族」参照のエズラ記やネヘミヤ記では、士師記の時代の出来事からモアブ人は徹底的に嫌われていたようです(エズラ記9章、ネヘミヤ記13:1~2)。

 

ら・や・わ行

ユダヤ人

 もともとは、イスラエルの十二部族の内の「ユダ族」を称する言葉でしたが、バビロン捕囚あたりから「イスラエルの十二部族」全部を指すようになりました。人種や民族的なものではなく、家系と宗教で定義されます。イエス様のころの話を書くときは、特別な意味を持たせたいときは「イスラエルの民」を使いますが、普通には「ユダヤ人」で書こうと思います。

 A.D.70年にエルサレムが破壊されてからは家系図が失われたので「イスラエルの民のお母さんから生まれた」ことでしか、家系を保証するものがなくなりました(お父さんだと疑いの余地があるのですね)。現在は、イスラエルの「帰還法」では「ユダヤ人の母から生まれたユダヤ教徒」と「正式な手続きをとってユダヤ教に改宗した者」を「ユダヤ人」と呼びます。ちなみにイスラエル国のユダヤ人は「ユダヤ人」「イスラエル人」の両方で呼べますが、ユダヤ人以外のイスラム国民は「イスラエル人」とだけ呼ばれます。もちろん「ユダヤ人」はイスラエル国以外にもたくさんいます。

 ローマ帝国に滅ぼされ、全世界に散ったユダヤ人は、様々な民族と混じった結果、いろいろな外見的要素を備えています。またキリスト教に改宗した音楽家のメンデルスゾーン、マーラー、詩人のハイネ、無神論者の哲学者マルクス、精神分析学者フロイトも、先の定義では「ユダヤ人」ではないのですが、ユダヤ人・ユダヤ教徒の家系ということで「ユダヤ人」と呼ばれることもあります。

ヨセフ(ヤコブの息子)

 「ヤコブの息子」のヤコブとは「イスラエルの民」の所で書きましたが、イスラエルの祖アブラハムの孫にあたる人物です。ヨセフはヤコブの十二人の息子の下から二番目で、ヤコブが年を取ってからの子どもだったので(創世記37:3)他の兄弟よりも父親に可愛がられていました。またヨセフは、翌神様のお告げを夢で与えられていたのですが、「見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、あなたがたの束が周りに来て、私の束におじぎしました。」(37:7)とか、「また、私は夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」(37:9)と兄たちの嫉妬も考えずに口にするような空気の読めなかった子のようです。結果、兄たちに殺されようとしたときに、兄のひとりユダが殺すまでもない(37:26)と言い、結果としてイシュマル人の奴隷商人に売られて(37:28)エジプトで奴隷として買われたのです。

 ヨセフは、エジプトでパロ(ファラオ=王のこと)の侍従長ポティファルの家に買われるのですが、神様がヨセフに恵みを与えたので、やることなすこと成功し、ポティファルの家は富み栄え、ヨセフはポティファルの信用厚く、善財産の管理を任される執事になったのです(39:1~6)。しかし美男子であったヨセフに、ポティファルの妻が色目を使ったのですが、それをヨセフがはねのけたため、ポティファルの妻が「私にいたずらしようとした」(39:17)と騒いだため、ポティファルに王の囚人を収容する牢に入れられたので(39:20)。

 そこでも神様はヨセフを恵まれたので、ヨセフは監獄の長に気に入られ囚人を監督する役目を与えられたりしました(39:21~23)。囚人の中に王の怒りを買って収容されていた献酌官の夢を説き明かしてあげるのですが(40:5~15)ですが、やがて元の職務に復帰した献酌官がパロが夢のお告げに悩まされていたとき「夢を説き明かすへブル人の若者がいる」とパロに告げて(40:12)、パロの夢の説き明かしをするようになりました。パロの夢は、エジプトに七年の豊作の後、七年のひどい飢饉が来るというものでした(40:29~31)。これを神様の働きだと確信したパロは、わずか三十歳のヨセフ(41:46)にエジプトでナンバー2の地位を与えて、全県を支配させたのです。ヨセフは要作の間に食糧をせっせと買い集めてストックし、飢饉の時の放出することでエジプトの災害を乗り切ったのです

 飢饉は周りの国々にも襲いかかり、周りの国々はエジプトのヨセフの所に穀物を買いに来るようになりました(41:57)。その中にヤコブや兄弟たちの一族もいたのです。エジプトの大臣があの弟ヤコブだと知らない兄弟たちは畏れかしこみます。ヤコブははじめは思うことがあったのですが、やがて和解し「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」(45:8)と言います。そこには空気を読まず夢のお告げを兄たちに自慢していた子ども時代のヨセフの姿ではなく、苦労を重ねた末に神様にへりくだるヨセフの姿がありました。ヨセフは父ヤコブや一族のものをエジプトに呼び寄せて、父が死ぬまで面倒を見、死んでからは、故郷の地に埋葬するという親孝行をしたのです。

 2019年12月22日のメッセージの中の、「イエス様の父ヨセフと、このヨセフは似ている点が多い」と牧師先生がおっしゃっていたのは、「名前が同じ」「夢でお告げがあった」「エジプトへ行って帰ってきた」「イスラエルの救いのキーパーソンとなった」という表面的なものだけではなく、ユダヤ人として旧約聖書のヨハネの話を話を聞いて育ったヨハネは、夢に現れた御使いの預言(マタイ1:20)をしっかりと受け止めることができたということもあると思います。

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