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2026年01月~最新のメッセージ

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2026/01/04

2026年1月4日「愛に始まる新しい業」(ヨハネ13:1〜15)

 2026年の最初の主日礼拝である。私(牧師)は、最近、黙示録2章4節の「あなたは初めの愛から離れてしまった」という箇所が気になっている。これはエペソの教会が出来て60年たったころ、また原点に戻って「初めの愛」について考えていきたい。

 今日は第一に「足を洗うことの中に示されたイエス様の愛」について見ていきたい。聖書には「世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された」(ヨハネ13:1)と書かれている。これは直接付き添ってきた弟子たちだけでなく、イエス様を信じたあらゆる人を意味している。イエス様は「足を洗う」という行動で、最後まで愛を示された。ヨハネはこの時、弟子たちの中で一番若い青年で、その時点ではイエス様の行為がよくわからなかったが、後年、歳を取ってその重みが理解できたのではないか。この時、イエス様はユダの裏切り(13:2)も十字架のことも知っておられたが、自分がどこから出てどこに帰ろうとしているのか知っておられたため(13:3)、確信を持って愛を証しされた。私たちの平安は、愛を持って受け入れてくださる方によってもたらされる。

 第二に「足を洗うことと罪の赦し」について見ていきたい。この時の様子を、作者であるヨハネは、この時の様子(13:4-5)を息遣いに触れるような描写を行っている。当時、サンダルで旅をし土埃で汚れた足を洗うのは奴隷の仕事でので、イエス様が自らの手で自分たちの汚れた足を洗っている姿は衝撃的だろう。だから、ペテロは思わず「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか」(13:6)「決して私の足を洗わないでください」(13:8)と発言している。だが「イエス様の足洗い」は、私たちが取り除くことができない罪を取り除きイエス様との新しい関係が築かれることの象徴的な行為であった。だからイエス様は「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります」(13:8)とペテロに話された。だが、このことばを表面的に捉えたペテロは「主よ、足だけでなく。手も頭も洗ってください」(13:9)と申し出たが、イエス様は「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです」(13:10)と話された。イエス様は、ペテロが裏切り、離反し、後に悔い改めて聖徒としての働きまで見通していた。クリスチャンは水浴(バプテスマ)によって「きよめられ」でも、罪を犯さないわけではなく常に足洗い(悔い改め)が必要である。それがイエス様の業なのである。

 第三に「イエス様の業にならう弟子の姿」について見ていきたい。イエス様は「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません」(13:13)と述べている。イエス様は「今は分からなくても、後で分かるようになる」(13:7)と述べ、分かるようにまで「待つ」ことをしてくださる方である。分からないからほおっておくのではなく、それまではみことばに従ってイエス様を模倣すべきであろう。私たちは、人生の中で自分がどのような方向で歩んでいけばいいかわからないこともある。そんなとき、イエス様はたがいに愛を持って「足を洗い合う」イエス様を思い出し、それを模範として歩んでいきたい

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