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2024年10月~最新のメッセージ

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 2024年10月20日「最初の王サウル」

​以前のメッセージ・ダイジェストはこちらをご覧ください。

2024年10月20日「最初の王サウル」(Ⅰサムエル9:1~17)

 私たちは人生に迷うとき神様から導きを求めるが、それは実生活の中で神様の実感する良い機会である。前回のメッセージで、信仰集合体であったイスラエルの民が王権を求めた話をしたが、それは神様による導きの否定と同義であった。しかし神様は、民の願いを受け入れて王権を立ててあげた。

 今日は第一に「不信仰な民を導かれる神様の業」について見ていきたい。実は、この「ベニヤミン人」はイスラエルの十二部族のひとつを意味するが、この時代のイスラエルの中で特殊な立ち位置であった。ベニヤミン族のよこしまな者たちが犯した事件がもとで(士師19:16-30)、他の十一部族と対立して内戦となり(20:1-48)滅ぼされかけた(21:1-25)。その結果、数の上でも立場的にも「最も小さな部族」(Ⅰサムエル9:21)でしかなかった。神様は、そんな部族から王を選ぼうとされた。他の十一部族からしたら、それは思ってもみない選択肢だった。ただ神様に選ばれることになるサウル自身は、人間的な見方からすると王となるような資質を備えていた。彼はベニヤミン族の有力者キシュの息子で、美しく身体も立派な若者であった(9:1~2)。このサウルは、雌ろば探しの旅の中で手を尽くしたにもかかわらず八方ふさがりになったとき(9:5)、しもべの進言によって「神の人」に頼ってみようとの意見に従った(9:6-10)。これが神様に祈り導きを求める発想が、サウルに芽生えたきっかけである。

 第二に「神様のみこころに導かれていくサウル」について見ていきたい。サムエルのところに行くこととしたサウルは、「もし行くとすると、その人に何を持っていこうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持っていく贈り物もない。何かあるか」(9:8)と言った。つまり、このときのサウルは何もない状況を見つめていた。しかし、このしもべは「神の人がいる」(9:6)「四分の一シェケルの銀がある」(9:8)という状況を見つめていた。この状況で与えられたものを見つめて町に上ると、「水を汲みに出てきた娘たち」(9:11)に出会い、娘たちはサムエルが「この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました」(9:12)と答えた。ある状況を信じて神様の導きを求めるとき、明らかに神様が働かれたような状況に導かれていった。私たちはどうしようもない状況に陥り迷うこともある。しかし、そんな状況の中でたしかに神様が導かれている。あとはタイミングの問題である。

 第三に「サウルが王として示されていく出来事」について見ていきたい。一方、民が王を求めているもののどうしたらいいかわからない状況のサムエルの方にも、神様は導かれた。神様はサムエルに「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ」(9:16)と示された。サウルの視点から見たら、雌ろばを探すために旅をして、雌ろばを見つけるためにサムエルに会いたがっただけである。王になるために来たわけではない。しかしサムエルに語られた神様のみこころは、王となる人を「ベニヤミンの地からあなたのところに遣わす」(9:16)というものであった。さらに「神様から離れて王政を求めたイスラエルの民に、神様は王を与えるのか」分からなかったサムエルに対しても、「あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ」(9:16)と、民の救済のためにあったというみこころを伝えた。その上でさあ、わたしがあなたに話した者だ。この者が私の民を支配するのだ」(9:17)と述べた。今後、王が立てられたらサムエルの役割も縮小され、民は王様を見ていくようになる。しかしサムエルは、神様のその導きに従順に従った。このことはイスラエルの大きな転換であったが、そこには私たちの目に見えない大きな神様の働きと導きがあった。

2024/10/20

2024年10月13日「王を求める声」(Ⅰサムエル8:1~10、19-22)

 イスラエルは神様への礼拝を中心とした信仰の共同体であったが、士師の時代になるとほころびが目立ってきた。祭司エリの時代に神様の契約の箱が奪われて帰ってきてサムエルの時代に信仰の復興が行われたが、サムエルが歳をとると再びイスラエルの体制にほころびが出て来るようになった。

 今日は第一に「王を求めたイスラエルの民」について見ていきたい。サムエルは一生の間、イスラエルをさばいてきたが、晩年になってその一部を息子たちが担うようになった(Ⅰサムエル8:1-2)。しかし息子たちの信仰は「利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた」(8:3)と、サムエルとは程遠いものであった。サムエルは、祭司エリの息子たちが信仰の道から外れたため、神様の契約の箱を奪われ悲惨な最期を遂げたことを知っている。それを見てきたサムエルは、当然、息子たちを信仰の道に歩ませようとしたが、必ずしも成功しなかった。しかも、そんな息子たちを「さばきつかさ」に任命したことは、サムエル最大のミスであった。これはクリスチャンの家庭においても、教会においても起こりうることである。もちろん教会は世襲ではないが、教会での行動が形だけの儀式に陥ることは現に避けなければならない。また多くのクリスチャンの家庭が信仰の継承の難しさを感じている。

 第二に「民の要求に隠された不信仰」について見ていきたい。このような状況でイスラエルの長老たちは、「さばきつかさ」に代わって王を立てるよう要求した。たしかに信仰が継承されていない息子たちにさばかれるよりは、王を求めることは自然かもしれない。しかしサムエルは、そこに大きな問題が潜んでいるのを感じ取ったので(8:5)、祈りの中で神様に導きを求めた(8:6)。これに対する神様の答えは「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから」(8:7)というものであった。「神様に祈り、律法に基づいて祭司がさばく」体制から王政へと移行するということは、神様の権威を拒否して王の権威を最上とするとんでもない転換であった。しかもイスラエルの民は「ほかのすべての国民のように」(8:5)というように、神様に導かれてきた生活を完全に否定し「神様を知らない他の国民のようになりたい」という考えを心に抱いたことになる。彼らは神様から離れる悲惨について、まったく実感を持っていないことが分かる。そこで神様は、「王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう」(8:20)のような幻想を持っている彼らに、王が立てられた場合の自己中心的な王の統治の悲惨な状態を伝え、民を愛と恵みを与え正しく導いてきた神様と真逆であった。そしてその状態は、簡単には元に戻せないと警告をした(8:18)。

 第三に「民の声を聞きいれた神様」について見ていきたい。イスラエルの民が間違った要求をしているのなら、神様はそれを拒否するのが自然に思える。しかし神様は、サムエルに「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ」(8:7)と命じられた。それは、例え神様がサムエルを通して説得しても着きれない民の心のかたくなさに対応されたよう見見える。事実、神様がサムエルを通して王がいかに自己中心的で、王政を選ぶことで民は王の奴隷になると微に入り細に入り説明しても、「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です」(8:19)と返している。これは神様の「妥協」なのか。そうではなく、神様がかたくなな民に、さらに神様がへりくだって厳しいながらも民が自ら気付き立ち返るまでの忍耐を神様が選ばれたのではないか。全生涯をかけてイスラエルを神様に立ち返らせようと尽力してきたサムエルにとって、受け入れがたい状況であった。最後に集まってきた民に「それぞれ自分の町に帰りなさい」(8:22)という言葉にさみしいサムエルの思いが感じられる。それでも神様の御心を受け入れるサムエルの信仰を、そこに見ることが出来よう。

2024/10/13
2024/10/06

2024年10月6日「エベン・エゼルの碑」(Ⅰサムエル7:1~12)

 先週、日本同盟基督教団の会議があり、教会の将来について話し合った。私たちの教会の歴史を振り返っても様々な停滞や後退などの時期もあった。このときのイスラエルも「神の契約の箱」は帰ってきたが、それでイスラエルの信仰が復興したわけではなく、停滞の時期であった。

 今日は第一に「失われた二十年」について見ていきたい。帰ってきた「神の契約の箱」は、二度と奪還されないように「キルヤテ・エアリム」の丘の上で保管された。たしかに敵から守るにはよい場所だが、イスラエル人が気軽に訪れることができず、神様との関係は停滞し二十年がたった。その結果、異教の神々がイスラエルの社会に蔓延した。その一方で、生ける神様に対する渇望は高まっていた(Ⅰサムエル7:2)。失われた二十年は、その一方でサムエルを通して神様のことばが受け入れられる下地が準備されていた時期だともいえる。時が満ちたとき、サムエルは「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます」(7:3)と、全イスラエルに悔い改めを求めた。バアルやアシュタロテは、この時期に、この地方に広まっていた神々であり、その異教信仰は過去にもしばしば神様の怒りの対象となっていた(士師記2:13)。しかし神様は、イスラエル人を滅ぼすことはせず、愛と忍耐をもって導いてこられた。

 第二に「危機の中での信仰」について見ていきたい。このような状況の中で「イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた」(Ⅰサムエル7:4)という行動をとり始めた。これに応えてサムエルは、イスラエル人をミツパに集め、人々は霊的な渇きを満たすために断食と祈りをもって神様に祈り悔い改めた(7:6)。ペリシテ人にとっては、このイスラエル人の行動は「自分たちと異なる神様に祈る」「神の契約の箱の下に全イスラエルが集結する」という反乱行為に映ったのであろう。現代日本でも、キリスト教信仰を持っただけなのに「先祖伝来の宗教を捨てて家族をないがしろにした」と思われてしまった方も少なくはない。ペリシテ人の拒絶反応もよく似たものであった。このときは「神の契約の箱」が奪われたときの戦いよりも兵士の数は少なくなり、ペリシテ人との兵力差もさらに開いていた。そんな中でイスラエルが採った行動は、以前のように「神の契約の箱」を押し立てて人間の驕りを持って攻めていくことではなく(4:3)、サムエルを中心に民全体が祈ることであった(7:8)。そこに神様と向き合い神様のことばに従おうとする、イスラエルの信仰の成長が見て取れる。私たちも日常生活の中で神様を意識することは残念ながら少ない。しかし危機的状況になったときにギリギリの中で神様のことばに立つ選択をする。そのことで信仰の成長も行われるのも事実である。

 第三に「信仰による勝利と感謝のあかし」について見ていきたい。サムエルは「乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげものとして主に献げた」(7:8)という行動をとった。これはイスラエル人が罪にまみれていることを認め、神様の前に贖いを求めたのである。これに対して神様は、イスラエルの民に答えた。ペリシテが攻め込んできたのは、この儀式をしつつ全イスラエルが祈り求めている無防備な状態のときである。人間的には最悪な状態であるが、神様は「ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱した」(7:9)。一方、イスラエル人は雷鳴を神様の力と確信でき、勇気をもってペリシテ人を打ち負かせた。この戦いの直後にサムエルは、「一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』」(7:12)と、神様に対する信仰とあかしとして記念をした。それは、単にペリシテ人に勝利したことを記念したのではなく、イスラエルの信仰の回復となったあかしであった。

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