読んで聞かせたい聖書の話

 

​ キリスト教に関わるほっこりとしたお話や希望が持てるお話など、思わず誰かに話してみたいお話を集めた不定期連載です。お楽しみに。

記事一覧

註:仙台のぞみ教会、現在、新改訳聖書(2017年版)を公式聖書にしており、以下の記事内の引用もそれに基づいています。しかし「とりあえず聖書を見てみたい」という方は、上の「ネットで読める聖書」のボタンをご利用してください。「Bible.com」の「口語訳聖書」にリンクしています。この「口語訳聖書」は著作権が切れておりますのでネットで全文が読めるのですが、その特徴や問題点、これに対する新改訳聖書の位置づけなどは、上記「はじめての聖書選び」をお読みください。

すべての人のように(Yさん) New
 

 サーロー節子さんは、カナダ在住の被爆者(平和運動家、88歳)です。2017年に国連で採択された核兵器禁止条約が2021年1月に発効されることを受け、同条約への批准を日本政府に求める呼びかけ人として、被爆の惨劇と苦悩を語り続けています。

 広島で13歳の時に被爆した節子さんは、当時、女学校(広島女学院)の一年生でした。自分自身は助かったものの、学友35人と親族9人を原爆で失いました。原爆投下の時間は朝でしたが、投下直後の様子はまるで夕闇のようだったと節子さんは言います。そこで目撃した人たちの形相は、人間の姿ではありませんでした。その時の様子は、75年たった今でも鮮やかに残っていると節子さんは言います。現在、外国に住んでいて、ただ自分の体験を話すだけでは相手への説得力はありません。だから節子さんは、日本も戦争の加害者であったことを、腹を割って話しお詫びする気持ちがないと世界の人々と核の問題を共有することはできないと感じているそうです。平和運動をしていると、苦しいことに直面することが往々にしてあります。そんな時、節子さんは原爆でなくなった「あの人たちを犬死させてはならない」という気持ちが起きて来るそうです。そして、その繰り返しが私自身の50年、60年の生活だったと言っています。節子さんは、自分一人のためではなく「社会に貢献できる人間になること」をモットーにして歩んできたとのこと。私たちも、そんな節子さんの姿勢を見倣いたいと思います。

 キリストは「すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。」(コリント人への手紙第一9章22節)と聖書にあります。世界を救うキリストの使命は、ひとりひとりに寄り添い「すべての人のようになる」ことです。クリスチャンにとっても、それが一番必要な構えではありませんか。節子さんを見ているとその様に思います。

アドベントを迎える(Yさん
 

 子どものころ「♪諸人こぞりて むかえまつれ 久しく待ちにし 主はきませり 主はきませり 主は、主はきませり」(讃美歌112番)→YouTube「もろびとこぞりて」参照を繰り返し口ずさみ、クリスマスが来るのを楽しみにしていました。この期間、街は彩られ何やら楽しい雰囲気に満ちあふれています。でも、それは本当の「喜び」なのでしょうかアドベント(待降節)は、クリスマスの四週前の第一主日(日曜日)から始まる、キリストの降誕を待望し、主を迎える準備をする期間です→「聖書の舞台(生活・習慣)」のあ行「アドベント・クランツ」参照。しかし、一番大切な準備は「心の準備」です。イエス。キリストの救いを求める心になっているかどうか、もう一度考える期間なのです。

 アドベントは「到来」という意味で、二つの「到来」を意味しています。第一の意味は、今から二千年前に主イエス・キリストがこの世にお生まれになったことを指しています。旧約聖書で約束された救いが、イエス・キリストによって到来したという意味です。第二の意味は、再臨のことを指しています。天に変えられたイエス様が、再びこの世にやって来られるという意味で、再臨のイエス・キリストの到来を指しています。主イエス・キリストは、この世の終わりと自分の再臨のことを弟子たちに教えられた時に、「ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。」(マタイの福音書24:42)とおっしゃられました。自らを省みて、自分には神様の救いが必要であると願い、神様を受け入れるその準備ができているなら、神の御子であるイエス・キリストの到来(世の終わりにこの世を裁き、新しい世をつくるイエス・キリストの再臨)の喜びをともに味わうことができるのです。しかるに「今来てもらっては困る」ということがないように、私たちは常に自らを省み「目を覚ましている」必要があります。それが礼拝と祈りの生活であり、悔い改めの信仰です。クリスマスを待ち望むアドベントの期間を、そのように過ごしたいと思います。

倒れても大丈夫!(Yさん
 

 加藤一二三(ひふみ)さん(80歳)がクリスチャンであることをご存知でしたか?それもローマ教皇から騎士団勲章をいただいた棋士なのです。彼は14歳で中学生プロキシとしてデビューし、77歳で引退しました。よく63年もの長い間、続けてこられたものだと思います。しかし勝負の世界は厳しいものです。挫折はありました。30歳になった時に加藤さんは、「このままでは先がない。信仰を持つことでそれが突破できるのではないか。」と考え、その年のクリスマスに洗礼を受けたそうです。

 信仰を持つことで、突然、彼の将棋は息を吹き返し、42歳で念願の「名人」になられたそうです。聖書には「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。」(マタイの福音書6:33)とあります。加藤さんの将棋が変わったのは、信仰を持ったことで「明日のことまで思い悩むのはやめよう。神様にゆだねよう」と、そう明るく信じることができるようになったからだと思います。将棋と信仰。どちらにも揺るぎないものがあり、それを求めることが大切なのです。

 クリスチャンとなった加藤さんは、「いい将棋を指し続けてきた。それが私の誇りです」と語っていました。聖書には「神に従う人は七度倒れても起き上がる」(箴言24:16・新共同訳)と書かれています。「倒れる」のは「起き上がる」ため、「挫折する」のは「よりよく戦うため」なのです。「暗雲は必ず晴れる」「倒れても大丈夫」と克己して進むのが信仰なのです。

​命のビザ(杉原千畝)その2(Yさん
 

 千畝は大勢の人を助けるために、夜も眠らずに苦悩した。国境を超えポーランドから逃げてくる難民に対して、1940年1月31日、ついに外務省の命令に背いてビザの発行を始めた。千畝は、後にその心境を語っている。「見殺しにすることはできない。当然のことをしただけです。」と。私は、その勇気と英知、気高さに、清々しい気持ちになった。実はご夫妻はロシア正教の信徒でもあり、このような人物こそ日本人の誇りだと私は思う。

 さて「善きサマリア人のたとえ」(ルカ10:25~37)では、エリコへの道を急ぐ一人の旅人が強盗に襲われ、半殺しにされたというたとえ話が出てくる。通りかかった祭司やレビ人は彼を見ながらそのまま立ち去ったが、次にやって来たサマリア人は、彼が自分たちとは犬猿の仲であるユダヤ人であると知りながら助けた。イエスは、そのたとえ話を語られた後、「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」(ルカ10:36)と問われ、問答をしかけてきた律法の専門家に「あなたも行って、同じようにしなさい。」(ルカ10:37)と言ったという→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サマリア人」参照

 第二次世界大戦の混乱の中、自己を顧みず人間愛に満ちた決断をした千畝の功績を称えて、イスラエル政府は1985年1月に、建国に尽くした外国人に与えられる「諸国民の中の正義の人」賞を、東洋人として初めて授けた。

 ユダヤ人のことわざに「ひとりの命を救うことは、全世界を救うことと同じである」という言葉がある。先に述べたイスラエルのヤド・バシェム記念館(ホロコースト記念館)には、「記憶せよ。忘れるなかれ。」という言葉が刻まれていたが、千畝の功績もまた、心に刻まれるべきものであろう。私たちも人命第一の精神を忘れることなく、それを「心の杖」として歩んでいきたい。

​ヤド・バシェム記念館にある

杉原千畝の記念植樹(Wikipedia)

漢字でも「杉原千畝」と書かれている

​命のビザ(杉原千畝)その1(Yさん
 

 10年前、首都エルサレムの西の丘にあるヤド・バシェム記念館(ホロコースト記念館)を訪れた。そこに行く途中、「義人の異邦人」の道筋(註:「諸国民の中の正義の人/正義の異邦人」の称号がイスラエル国から授与されると、このホロコースト記念館の庭園に記念植樹がされた。現在は、数が多くなり「名誉の壁」に名前のプレートが貼られるようになった)に杉原千畝(1900~86年)の記念樹とプレートがあった。記念館は、ナチスの殺された大勢のユダヤ人を追悼するとともに、ユダヤ人を救った外国人をたたえるための記念館でもある。しかし千畝に関する資料などの展示はなかったため、その功績や生涯について理解する機会が得られず、残念で寂しい思いをした。

 千畝は、リトアニアのカナウス領事館で外交官をしていた(1938~40年)。この頃、戦争が激しくなって、ヨーロッパではヒットラーによる独裁が始まり、ユダヤ人への迫害が激しさを増していた。しかし彼らの受け入れ先はほとんどなく、命の脅威にさらされていた。

 ユダヤ民族はもともと、今のイスラエルがある地方に住んでいたが、大昔に古代ローマ帝国によって祖国を追われてからはヨーロッパ各地で散々に暮らすようになった。彼らは差別と迫害を受けながらも(旧約聖書の)律法に忠実で、それが嫌われた一因のようだった。

 すでにオーストリアとチェコスロバキアはドイツに併合されて、ドイツ国内でのユダヤ人迫害は「ユダヤ人狩り」となって激しさを増していった。ユダヤ人たちは(日本経由で)ヨーロッパなどへ逃れるために、連日、日本へのビザを求めたユダヤ人が領事館の前に押し掛けた。千畝の決断は?(つづく)

​杉原千畝(Wikipediaより)

召天者記念礼拝・記念会(Mさん
 

 毎年11月の最初の日曜日、教会では先に天に召された方々を覚えつつ礼拝をします。また、礼拝後に教会墓地等で墓前礼拝をします。亡くなられた兄弟姉妹たちの写真を飾り、牧師先生のお祈りや、遺族、信徒の方々の思い出話を通して故人を追悼します。

 参考までに教会の葬儀についてふれますと、進め方は次の通りです。

 ①納棺式(出棺式)、②前夜式、③葬儀(告別式)、④火葬前式、⑤埋葬式、⑥記念会

 火葬を葬式の前に行うか、後に行うかは、その時の遺族や教会の状況で変わります。記念会も何日後にするかは、特に決まりはありません。教会では、亡くなられた方が未信者でも、喪主がクリスチャンであれば葬儀をしてもらえることもあります。また未信者であっても、本人の希望により教会で葬儀をしてほしい場合は、教会の牧師先生に相談されるとよいでしょう。

 いつの日か「死」は、まさに万人にやってきます。自分の最期がどうありたいか、召天者記念礼拝や記念会がそのことを考える機会になればと思います。信者の方は万一の備えとして「氏名」「生年月日」「受洗年月日」「所属教会や受洗した牧師先生」「愛唱讃美歌」「愛誦聖句」「信仰歴やあかし」などを記し、牧師先生に前もって預けておくとよいでしょう。

​伝道者の書3章1~2節

すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

詩編90編1~15節

主よ 代々にわたって あなたは私たちの住まいです。山々が生まれる前から 地と世界を あなたが生み出す前から とこしえからとこしえまで あなたは神です。あなたは人をちりに帰らせます。「人の子らよ 帰れ」と言われます。まことに あなたの目には 千年も 昨日のように過ぎ去り 夜回りのひと時ほどです。あなたが押し流すと 人は眠りに落ちます。朝には 草のように消えています。朝 花を咲かせても 移ろい 夕べには しおれて枯れています。私たちはあなたの御怒りによって消え失せ あなたの憤りにおじ惑います。あなたは私たちの咎を御前に 私たちの秘め事を 御顔の光の中に置かれます。私たちのすべての日は あなたの激しい怒りの中に消え去り 私たちは 自分の齢を 一息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは 労苦と災いです。瞬く間に時は過ぎ 私たちは飛び去ります。だれが御怒りの力を あなたの激しい怒りの力を知っているのでしょうか。ふさわしい恐れを持つほどに。どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに 知恵の心を得させてください。帰ってきてください。主よ いつまでなのですか。あなたのしもべたちを あわれんでください。朝ごとに あなたの恵みで私たちを満ちたらせてください。私たちのすべての日に 喜び歌い 楽しむことができるように。どうか喜ばせてください。私たちが 苦しめられた日々と わざわいにあった年月に応じて。

青空・コスモス・秋の風(Yさん
 

「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩編19編1節)

土手をかけ上がると、秋の空が広がっていた。すじ雲が流れ、刻々とその表情が変わって、西の空へ静かに溶け込んでいく。風に揺れるコスモス(秋桜)は、秋の陽をあびて柔らかそうな8枚の花びらをひらいて、深めのひだにくっきりと光りの筋を浮き立たせている。

古代ギリシャ語で秋桜は「美しい」という意味を持ち、一方では「宇宙・世界・社会」という意味も表していると知り、その清楚なたたずまいを見ていると不思議な気がする。古代ギリシャ人は、きっと「宇宙」を「美しい」ものと考え、それが現在のΚοσμήμα(Cosmima:宝石)というギリシャ語に伝えられているのだろう。秋風のおもくまま、自分の身をゆだねている小さな宇宙(コスモス)にじっと見入っている吟遊詩人が、一人たたずんでいるような風景だった。

 ゆったり歩き回って、秋を満喫しませんか。

ヨナ書(Mさん
 

今回は旧約聖書の「ヨナ書」のお話です。

 神様からニネベ(敵地アッシリアの首都)と言う街に行き、彼らの悪=罪を指摘して神様のことばを語るように命令されたヨナ。しかし、行きたくないヨナは、ニネベとは逆方向のタルシュ行きの船に乗り込みます。船はやがて嵐になり、難破しそうになりました。この原因が神様の意に背いたヨナにあることを知った船員たちは、嵐を鎮めるためにヨナを海に投げ込みました。

 嵐はおさまりましたが、ヨナは神様によって大きな魚に飲み込まれ、三日三晩、魚の腹の中に閉じ込められました。ヨナは魚の腹の中で神様への悔い改めの祈りを捧げ、神様はヨナを魚の腹から出してくださいました。

 そんなヨナに、ニネベに行って神様のことばを告げるようにとの神様の命令がありました。神様は「あと四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と予言するのです。ヨナは、その神様のことばをニネベの人々に伝えたのですが、ニネベの人々はヨナの語る神様のことばを信じて悔い改め、悪の道から立ち返ったため、神様はニネベの街に災いを下すことを思いとどまられました。しかし、ヨナはこれが面白くなかったのです。ニネベは、ヨナたちイスラエルの民の敵国アッシリアの首都ですから、そのまま滅べばよかったのにと思い、神様にあたりました。もし四十日以内にニネベが滅びなかったら、自分は神様に逆らって神様のことばを誤って伝えたと思われますから「生きているより死にたい」とまで言い放ちました。そんなヨナに、神様は一本のとうごまの木を与え、その木でたとえ話をして、神様がいかにニネベの街や人を愛しておられるか告げたのです。神様がイスラエルの敵であるニネベの街の人々さえ愛しておられることを知ったヨナは、神様の愛がどれほど多くの人々に向けられておられるのかを知ったのです。

 ヨナにとって、神様から命じられた敵国の首都ニネベを助けるためのことばを伝える役目は、実に行きたくない、逃げ出したいようなことがらだったことでしょう。私たちにもそんな経験がいっぱいありますよね。私たちも「これさえなかったら…」「できれば通りたくない…」という思いをすること、いっぱいありますよね。そんな時、ついつい神様よりも自分の思いを優先させたくなります。私たちは、そこで逃げ出さずに神様に従う道を選べるでしょうか。それとも、ヨナのようにささやかな抵抗を試みるのでしょうか。試練に立ち向かうことを通して、神様は私たちを鍛えようとしておられます。その先に神様の栄光が著されるのです。

 神様から逃げ出したり、大嫌いなニネベの人たちが速やかに回心したことを内心面白くないと神様にあたったりするヨナは、実に人間的で、とても親しみやすい部分がありますね。私たち自身の弱い部分を見せられているみたいです。だからこそ、とても身近に感じられるのかもしれません。

​藤本四郎『魚に飲み込まれたヨナ』日本聖書協会、2009年

ヨナ書2章7節

私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私はを思い出しました。

ヨナ書2章9節

しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを捧げます。私の誓いを果たします。救いはのものです。

ピリピ人への手紙2章13~14節

神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。

一羽の雀さえも(Yさん
 

 去る8月31日、わたしは大腸がんの検査のために内視鏡を受けました。四年前にポリープをとったことを思い出し、前日はよく眠れず、当日も血圧も上がって困惑しました。しかし、何とか無事に検査はパスし、安心して自宅に帰ることができました。

 私の自宅のすぐ目の前には、木々に囲まれた大きな公園があります。そこから鳥のさえずる声が聞こえてきた時に、私の心に、次の御言葉が響いてきたのです。「雀の一羽…あなたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたはたくさんの雀よりも優れたものです。」(マタイ10章29~31節)。

 神様は、その一羽の雀さえ見守り、助けてあげるようなお方です。しかも神様は、私たちの弱さ、愚かさをご存知です。神様は、私自身の髪の毛の数さえ分かっておられ、私たちがどのような人間であるかも一人ひとりを見守っておられます。何とすごいことでしょう。主イエス様は、その御言葉の真実を証しするために、私たちのために十字架へと上がられ犠牲となられました。そのことを通して、私たちのいのちがいかに尊いものであるかを証明してくださったのです。

 私は、この出来事を通じてあらためてそのことを知りました。神様には「感謝」と言うより他にありません。

Photo-ac

マタイの福音書10章29~31節

二羽の雀は一朝リオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから、恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。

サムソンとデリラ(Mさん
 

 今回は、士師記13~16章にある「サムソンとデリラ」のお話です。

 神様の使いがマノアとその妻に現れ、男子が生まれることを予告します、生まれたこの名はサムソン。ナジル人(神様の特別に聖別された人)であり、イスラエルをペリシテ人から救うと預言されました。同時に、その子の頭に剃刀を当ててはならないと注意されていました。

 神様に祝福されつつ成長した彼は、神様の導きによって宿敵のペリシテ人の娘と結婚することになりました。これはサムソンがペリシテ人の中に入り込み、彼らを滅ぼすためでした→「聖書の舞台(生活・習慣)」のか行「カナン人の宗教」参照。ペリシテ人もこのような習慣を持っていた)。サムソンの身に危機が迫る時、何度も「主の霊が激しく彼の上に下った」と聖書に書かれていますが、神様は常に彼とともにいてくださったのです。

 ペリシテ人たちは、遊女デリラを使って何とかしてサムソンを油断させようとします。そのデリラの執拗な問いに負けて、ついに彼は怪力の秘密を話してしまいます。サムソンは、髪の毛がそり落とされたら力が失われて弱くなってしまうことをデリラに教えてしまいました。その結果、彼は捕らえられて両眼をえぐられ、足枷をかけられ、牢屋で臼をひかされるどん底の生活になったのです。その後、デリラによってそり落とされたサムソンの髪の毛は再び伸びはじめたころ、再び神様に祈ったところ最後に力を取り戻し、最後にはペリシテ人の神殿を破壊して三千人もの敵を巻き添えにする活躍をし、自らも一緒に死んで一生を終えました。

 聖書は、髪の毛が伸びていたころのサムソンが、「ろばのあご骨で、千人を撃ち殺した」(士師記15:16)と記しています。こんなことは普通には考えられないことですが、彼は神様が与えてくださった真新しいあごの骨をもって主の栄光を現わしました。私たちも神様が与えてくださるものを喜んで用いることのできるものでありたいです。しかし、デリラの膝枕で寝ている時に髪の毛をそられた後のサムソンは、「彼の力は彼を離れた」(士師記16:19)ため普通の人になってしまいました。でも彼は「主が自分から離れたことを知らなかった」(士師記16:20)のです。そしてサムソンは、捉えられて惨めな境遇になったのは先ほど話した通りです。神様からの賜物がなければ、私たちもただの人です。自分に備わったものが当たり前のものではありません。神様の愛と慈しみによって、私たちが生かされていることにあらためて感謝したいですね。

参考絵画

ダイク「サムソンの捕縛」美術史美術館(ウィーン)、1628~1630年。

ルーベンス「サムソンを策略するデリラ」ナショナルギャラリー(ロンドン)、1609年。

レンブランド「目をえぐられるサムソン」シュテーデル美術館(フランクフルト)、1636年。

​映画やオペラにもなっています。ご興味のある方はぜひご覧になってください。

セシル・デミル監督

映画「サムソンとデリラ」1949年

士師記13章24節

この女は男の子を生み、その子をサムソンと名づけた。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。

士師記15章16節

サムソンは言った。「ろばのあごの骨で、山と積み上げた。ろばのあごの骨で、千人を撃ち殺した。」

士師記16章28節

サムソンは主を呼び求めていった。「神、主よ。どうか私に心を留めてください。ああ神よ。どうか、もう一度だけ私を強めてください。

第二の誕生日(Yさん
 

 1958年6月17日、私は仙台市の広瀬川でバプテスマ(洗礼)を受けました→「はじめての教会用語辞典」のさ行「洗礼」参照。この「第二の誕生日」から数えて、今年(2020年)で「満62歳」となりました。梅雨空の寒い日だったと記憶しています。この時、教会の兄弟姉妹が歌った讃美歌516番の「♪主イエスを知りたる うれしきこの日や」が神様のものとなったこの身へのエールのように聞こえたことが、つい昨日のことのように思い出され、再び熱い思いがこみ上げてきました(筆記者注:ちなみにこの讃美歌516番は、ずいぶんアレンジされていますが映画「天使にラブソングを2」で使われた有名なゴスペルソング”Oh Happy Day”でもあります)。

 これまでの人生をふり返っていろいろな喜びや哀しみがありましたが、その中で最もつらかったことは、一緒に仕事をしていた先輩に裏切られたことです。詳細はお話いたしませんが、信頼していた方だけに、その悔しさや悲しさは容易に癒しがたく、長い間苦悩しました。単に裏切られただけでなく、生活も一変しなければならなかったからです。しかし、ある日「ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」(マタイ6:34)という御言葉に気付いて目が覚めました。

 クリスチャンとなった時、私はキリストのからだの一部とされたのです。私の代わりに死んで罪との縁を切ってくださったのですから、もう私のいのちは自分のものであって自分のものではありません。イエス様から頂いたいのちなのです。そう気づかされました。そして、どのような場合でもそのことを忘れずに、前向きにプラス思考で歩むことこそが受洗者(クリスチャン)の生涯だと思うのです。聖書には「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。」(ローマ12:1)とあるように、「第二の誕生日」からの私は神様のために生きています。

広瀬川(大橋付近)

コリント人への手紙第一12章12~13節

ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。

マタイの福音書6章34節

ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

ローマ人への手紙12章1節

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

ノアの箱舟(Mさん
 

 今回は皆さんにもなじみの深い「ノアの箱舟」のお話です。およそのあらすじは次の通りです。(創世記6~8章)

 人が大地に増えはじめると同時に人の悪が増大し、神様の前に堕落したので、神様は悔やみました。そこで神様はそんな人間たちを滅ぼそうとなさいましたが、神様の心にかなっていたノアだけがその災いから救われ、逃げることができました。

 ノアは神様から、箱舟を作るように命じられました。そしてノアの家族全員と、すべての生き物の中からそれぞれつがいで二匹ずつ(動物によっては七つがいずつ→創世記7章2節)連れて船に入るように命じられました。神様は四十日四十や大雨を降らせ、作られた生き物すべてを消し去りました。その後も百五十日間、水は地表を覆い続け、その後、減少していきました。の母箱舟の窓を開いて鳩を放ったところ、その鳩はオリーブの若葉をくわえて戻り、それによってノアは水が引いたことを知ります。こうして、ノアと箱舟にいたものだけが生き残ったのでした。

 この箇所を読むと、ただ神様の御言葉に従いわき目もふらずに巨大な箱舟を建築したノアの信仰心にまず目が行きます。ノアが箱舟に入り終わった時、神様が箱舟の扉を閉めました。ノアは閉じ込められたことにより、長時間船内にとどまらなければならず、ただ神様の約束を待ち望むしかありませんでした。どんなに不安で孤独なことだったでしょう。いつになったら船から出られるのか、本当に出られるのかわからないまま時を過ごすのです。それは信仰の試みであり、このことを通してノアは、ひたすら神様を信じ待ち望むことの大切さを教えられます。しかし、そんな時も神様はノアとともにおられ、その不安や孤独をやわらげ、癒し、平和を与えてくださっていたに違いありません。

 私たちは、早く結果を欲しがります。しかし神様は、しかるべき時が来るまで耐え忍ぶことを学ばせてくださる方なのです。神様を疑い、信じられなくなる時もあることでしょう。しかし、そんな時こそ神様の御言葉に生き、待ち望む者でありたいですね。

参考絵画

ミケランジェロ「ノアの洪水(システィーナ礼拝堂天井画部分)」システィーナ礼拝堂(バチカン)、1512年。

ミレイ「箱舟への鳩の帰還」アッシュモーリアン美術館(英オックスフォード)、1851年。​

ドレ「ノアの箱舟」アッシュモーリアン美術館(英オックスフォード)、1851年。​

日本聖書協会・藤本四郎『ノアのはこぶね』日本聖書協会、2009年。

​創世記6章22節

​ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。

​創世記7章16節

入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、は彼のうしろの戸を閉ざされた。

創世記8章1節

神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。

ソロモンの知恵(Mさん
 

箴言、伝道者の書、雅歌を書いたとされるソロモン。

「ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五百首もあった。」(列王記第一4章32節)

 

今回は旧約聖書からそのソロモンの知恵と判断の有名な箇所を見てみます。

 

「神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ、わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。」(列王記第一3章11~12節)

 「そのころ、二人の遊女が王のところに来て、その前に立った。

 その一人が言った。『わが君、お願いがございます。実は、私とこの女には同じ家に住んでいますが、私はこの女と一緒に家にいるとき、子を産みました。私が子を産んで三日たつと、この女も子を産みました。家には私たちのほか、だれも一緒にいた者はなく、私たち二人だけが家にいました。ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。この女は夜中に起きて、このはしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って自分の横に寝かせ、死んだ自分の子を私の懐に寝かせました。朝、私が子供に乳を飲ませようとして起きると、どうでしょう、その子は死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、なんとまあ、その子は私が生んだ子ではありませんでした。』

 すると、もう一人の女が言った。『いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのがあなたの子です。』先の女は言った。『いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。』女たちは王の前で言い合った。

 そこで王は言った。『一人は「生きているのが私の子で、死んだのがあなたの子だ」と言い、また、もう一人は「死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ」と言う。』王が『剣をここに持って来なさい』と言ったので、剣が王の目に差し出された。

 王は言った。『生きている子を二つに切り分け、半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。』すると生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君、お願いです。どうか、その生きている子をあの女にお与えください。決してその子を殺さないでください。』しかしもう一人の女は、『それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください』と言った。そこで王は宣告を下して言った。『生きている子を初めのほうの女に与えよ。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親である。』

 全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」(列王記第一3章16~28節)

 「神はソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。」(列王記第一4章29節)

 

 「彼の知恵のうわさを聞いた世界のすべての王たちのもとから、あらゆる国の人々が、ソロモンの知恵を聞くためにやってきた。」(列王記第一4章33節)

 子どもの命を救うため、とっさに身を引く決意をした実の母親。素晴しいさばきをされたソロモンによって本当の母親がどちらか、明白になります。現代では、幼い子が実の両親に虐待され命を落としたというニュースに、耳を疑い、言葉を失います。命の尊さを何と思っているのでしょう。なぜそんな痛ましい事件が起きるのか。私たちは、人間にとって大切な、愛や慈しみの心を育むことを忘れてはならないし、また、神様の教え、授かる知恵や勇気を身に着けて歩いていきたいものです。私たちは、神様から何を与えられて生きているでしょう。いつもみ言葉に聞き従う従順さを失わないように、そして与えられた賜物を十分に生かしていきたいと願っています。

 ニコラ・プッサンによる油彩画「ソロモンの審判」(ルーブル美術館)もご覧ください。対照的な双方の母親の表情がよく描かれています。

​二コラ・プッサン「ソロモンの審判」1649年

みんな仲良く(Yさん
 

 今、アメリカ中部ミシガン州で起きた白人警官による黒人男性暴行死事件の怒り、抗議デモが、世界中に広がっています。

 そのニュースを見るたびに、私は75年前のことを思い起こします。あの時の朝鮮人(現在の北朝鮮、韓国)の子どもたちが「いじめっ子」によるいじめあって、苦しみ、戦う姿、恐ろしさを忘れることはありません。当時の私は、小学一年生。「どうして朝鮮人の子たちだけがいじめられるの?」と疑問に思っていました。しかし担任の女先生は、隣組の朝鮮人の子をクラスに取り込み、“みんな仲良く友達“になるように努めて、熱心に教育されました。

 「好きな食べ物だけ食べれば、良いというのではありません」「世界の国中はいろいろな人々がいるのです」「クラスで毎日、顔を見合わせていても、その人の哀しみはわかりません」など、聖書から様々なことを親切に教えてくださいました。

 私が、数えきれない苦しみ、つらさを乗り越えることができたのも、Y先生のご指導の賜物と心から感謝しております。「他の人のことより、あなたは何をしたのか?」というキリストの問いに、どうか耳を傾けてください!

土門拳「おしくらまんじゅう」1953年

マタイの福音書54344

「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する人のために祈りなさい。

ローマ人への手紙14章1~3節

信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。ある人は何を食べても良いと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べる人も食べない人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。

マタイの福音書7章3節

あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気づかないのですか。

父の日について(Mさん
 

◆起源◆

 父の日も母の日と同様、アメリカの教会で父母への感謝のために、その娘たちによって行われた記念会が発端です。ソナラ・スマート・ドットという女性は、自分の通う教会の牧師に頼み、母の亡き後ソナラと5人の兄を男てひとつで育ててくれた敬愛する父親に感謝する礼拝を、父の誕生月だった6月にしてもらいました。1909年6月19日(第三日曜日)のことです。その後数十年という年月を経て、リチャード・ニクソン大統領により、6月の第三日曜日が、アメリカの国民の祝日として定められました。

 「母の日」のシンボルフラワーがカーネーションなのに対し、「父の日」の花はバラです。母の日と同じように、父の日も、健在な父には赤いバラを送ります。ちなみにソナラのお父さんは、この時はすでに召されていたので、彼女は墓前に白いバラを供えたとか。

 日本では1981年、日本ファーザーズ・デイ委員会が「ベスト・ファーザー イエローリボン賞」という企画を展開し、イベント化され、黄色いバラや、黄色いリボンが巻かれたプレゼントが贈られるようになって一般化したようです。お花を贈るのであれば、バラのほかに、父の日のイメージカラーとなった黄色の「ひまわり」を贈るのも人気です。

 父の日には、お父さんに日頃の感謝を込めてプレゼントを贈ったり、感謝の言葉を伝えましょう。また亡くなられたお父さんへ、在りし日を偲んでお墓参りをされてはいかがでしょうか。

(引用元:profoto)

箴言4章1

子どもたちよ、父の訓戒に聞き従え。耳を傾け、悟りを得よ。

​出エジプト記20章12節

あなたの父と母を敬え。あなたの神、が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。

エペソ人への手紙6章4節

父たちよ。自分の子どもを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。

 
ペンテコステ(聖霊降臨記念日)(Mさん

 新約聖書の「使徒の働き」第二章には、ペンテコステの出来事が記されています。イエス様が十字架につき復活されてから50日目、すなわち五旬節(旬は10日と言う意味)の日に、イエス様を信じ心をひとつにして祈っていた弟子たちは、ご聖霊を受けました→「はじめての教会用語辞典」のま行「みちち・みこ・みたま(御父・御子・御霊)」参照。ペンテコステはその出来事を記念するキリスト教の祝祭日です。ペンテコステは宗派によっても異なりますが、復活祭から数えて50日目の日曜日、今年は5月31日になります(「イースター」が年によって違うため→「聖書の舞台(生活・習慣)」のあ行「イースター」参照)。

 この章では、私たちは「一緒に集まって御霊が注がれるのを待つ」と言う礼拝の活動や、また「他国のいろいろな言葉で神の御業を語る弟子たちの姿」に宣教(伝道)の使命を見出すことができます。罪を悔いてバプテスマ(→「はじめての教会用語辞典」のさ行「せんれい(洗礼)」参照)を受け、ご聖霊に満たされるようになるという約束は、神様が召された人なら誰でも与えられているます。また、神のみ言葉が与えられ、それに従うこともご聖霊の働きによるものなのです。

さらに、信者となった人々が一つになって必要に応じてものを分配したり、喜びと真心をもって食事をともにし、祈り賛美するという箇所から、私たちキリスト教の教会活動の原点が見えてくるのではないでしょうか。

使徒の働き2章1~4節

 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろな言葉で話し始めた。

使徒の働き2章33節

​ ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。

関連する絵画を見たい方には、グレド・レーニ「聖霊降臨」(1606年・バチカン美術館)やエル・グレコ「聖霊降臨」(1605年・プラド美術館)をおススメします。

 
他の人のために(Mさん

 新型コロナウイルスの流行とともに、気が付くとマスクや消毒液がドラッグストアから姿を消し、なかなか買い求めることができなくなりました。手持ちのマスクは少し持ち合わせていましたが、なかなか手に入らないので不安を感じることがありました。そんな中、友人が手に入ったマスクを分けてくれたり、手作りしたものを教会のある姉妹がわけてくださったり、それは本当に感謝なことでした。

 例えば「あなたのこと、とても心配しているよ。思っているよ。」そう言われると嬉しいものです。なおかつ、言葉だけではなくそこに行動が伴って、相手に気持ちを表すことが出来たらどんなに素晴らしいことでしょう。言葉に行いが伴うときの愛の力は、人を幸せな気持ちにしてれます。幸せな気持ちになったその人が、今度は別の誰かに心を配れるといいですね。目には見えなくても大切なものがありますが、気持ちを形にして表すのも大事なことだと思うのです。

 自然災害時にいち早く駆け付け、様々な後片付けを手伝うボランティアの方々がいます。また災害時の避難生活の中で、少ない食べ物をさらに分け合って食べた経験のある方もいらっしゃるでしょう。しかし、そうしたいと思っても誰もが同じようにそうできるわけではなく、なかなか難しいことかもしれません。しかし自分だけがよければそれでよいのではなく、助けを必要としている周りの人にも優しい眼差しを向け、行動に移せるようにしたいものです。自分のできる範囲で無理なく。​

ヨハネの手紙第一3章18節

子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。

箴言3章27~28節

あなたの手に善を行う力がある時、受けるべき者にそれを控えてはならない。

あなたに物があるとき、隣人に向かって、「帰って、また来なさい。明日あげよう」と言うな。

箴言11章24~25節

気前良く施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでかえって乏しくなる者がある。

おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される

 
母の日について(Mさん

◆起源◆

 その起源は世界中で様々で日付も異なりますが、母の日は日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日です。中でもアメリカでは以下のアン・ジャービスへの教会での追悼にさかのぼり、5月の第二日曜日にお祝いし、日本もそれに倣っています。

 南北戦争中「母の仕事の日」と称し、敵味方を問わず負傷兵の衛生状態を改善するために、地域の女性を結束させたアン・ジャービスという女性がおりました。彼女の死後、その娘のアンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈ったのが、日本やアメリカでの母の日の起源とされています。

 今では一般的に、元気で生きておられるお母さんへ→赤いカーネーション( 花言葉は「愛情),亡くなられたお母さんへ→白いカーネーション( 花言葉は「尊敬」)を贈っているようです。(出典:フリー百科事典Wikipedia)

「お母さんに感謝を伝える」と言っても、何らかの理由で感謝を伝えたい人は不在かもしれません。けれど今伝えることのできる人は、あなたの気持ちを伝えましょう。伝えたくとも不在のお母さんには、心の中で思いを馳せて、あらためて感謝の念を捧げましょう。いずれもお母さんへの深い愛情、尊敬をこめ、感謝をもって贈りたいですね。

エペソ人への手紙6章1~3節

子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。

『あなたの父と母を敬え。』これは約束を伴う第一の戒めです。「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。

​申命記5章16節

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、主があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。

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