
仙台のぞみ教会
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中ですぐれているのは愛です。
註:仙台のぞみ教会、現在、新改訳聖書(第三版)を公式聖書にしており、以下の記事内の引用もそれに基づいています。しかし「とりあえず聖書を見てみたい」という方は、上の「ネットで読める聖書」のボタンをご利用してください。「Bible.com」の「口語訳聖書」にリンクしています。この「口語訳聖書」は著作権が切れておりますのでネットで全文が読めるのですが、その特徴や問題点、これに対する新改訳聖書の位置づけなどは、上記「はじめての聖書選び」をお読みください。
五人の女
マタイの福音書1章1~17節
学校で配られたギデオン版の聖書(→「はじめての聖書選び」)を読み始めたとき、(多くの配布聖書は新約聖書ですから)まず初めに並ぶなじみのない人名の家系図にビックリして読むのをやめる人も多いようです。なぜ、こんな読みにくい家系図から新約聖書は始まっているのでしょうか。それは、マタイの福音書がイスラエルの民を意識して書かれた(→「はじめての教会用語辞典」のは行「福音書」参照)からだと言われています。イスラエルの民は「神様に選ばれた民」としての家系の正当性を誇りに思っているので、旧約聖書で預言(→「はじめての教会用語辞典」のや行「預言」参照)された通りの家系に救世主としてイエス様が生まれたことは、とても説得力のあることなのです。そして、イスラエルの民の祖アブラハムから約束のダビデ王まで14代、ダビデ王からイスラエルの苦難のバビロン捕囚が14代、そして、そこから救世主の誕生まで14代(マタイ1:17)。イスラエルの民からすれば、そこに壮大で緻密な神様のご計画を見ることができ、感動できるというのです。
それでは異民族である私たちは、この家系に何を見たらいいのでしょうか。ここでは男系の名誉あるイスラエルの系図に挿入された五人の婦人に注目しましょう。それは、タマル(1:3)、ラハブ(1:5)、ルツ(1:5)、ウリヤの妻(1:6)、そしてイエス様の母であるマリヤ(1:16)の五人です。マリヤは別としても、マリヤのように誇りある救世主の家系に挿入された婦人は、さぞ特記したい人物なのだろうと思いますが…それでは旧約聖書を見てみましょう。
タマルは創世記38章6~30節に出てくる女性で、兄の妻でありましが、兄が死んだので当時のイスラエルの律法や慣習に基づき兄の子孫を残すために弟の妻になりました。しかし、生まれてくる子どもが自分の子どもにならないことに反発した弟は、タマルと子づくりをしようとはしませんでした(38:9)。そこで、焦ったタマルは遊女のふりをして舅のユダに抱かれて子どもをつくるという過激な行動にでました。
ラハブはヨシュア記2章1~21節に出てくる女性で遊女でした。イスラエル軍がエリコの街を包囲した時に、神様とイスラエルの民に内通し一族の安全と引き換えにイスラエルに味方した女性です。遊女と言っても当時のエリコの宗教の中では「神殿娼婦」的な立場で、現在のイメージほど蔑まれた存在ではなく、後にイスラエルの男性と結婚もしています(マタイ1:5)。しかし、どちらにせよ「律法に違反した職業」の「異邦人」であり、それを堂々と救世主の家系図に掲載しているのです。
ルツは、「旧約聖書を読んでみよう」の「ナオミ」の項目をご覧ください(→「ナオミ」)。姑を大事にし、神様に従った女性で、最後には最上級の賞賛を受けていますが(ルツ4:15)、それまでは、モアブと言う外国から来たので「モアブの女」(ルツ1:4)と呼ばれ、純血の家系を誇るイスラエルの民からしたら「異邦人の女」でした。
「ウリヤの妻」バテ・シェバは人妻でした。サムエル記第二の11章2~27節に初めて出てきます。ダビデは、王宮の屋上から沐浴している自分の部下ウリヤ妻であるバテ・シェバを見て、彼女が生理中であったにもかかわらず寝室に招き入れました(Ⅱサムエル11:4)。律法、破りまくりですね。さらにバテ・シェバが妊娠を告げると、自分の罪がばれるのを防ぐために、ウリヤと寝るように工作もしています(11:8~13)。その工作が失敗すると、今度はウリヤを激戦区の最前線に送って戦死させています(11:14~17)。このエピソードは、シャーロック・ホームズの「まがった男/背中の曲がった男 (The Crooked Man)」(古い本だと差別語のタイトルとなっています)の重要なプロットになっています(→「まがった男 The Crooked Man」)。この話はナンシーが殺される前「デイビッド!」と叫んだことが捜査を惑わすのですが、実は聖書のこのエピソードをしらないと意味が分かりません。これもお読みください。その後バテ・シェバは、ちゃっかりダビデの妻に収まっています(11:27)。ちなみに、その時の子どもは、その後、亡くなっています(12:15~23)。ダビデ王を敬愛しているイスラエルの民からしたら、バテ・シェバのことなど家系図で触れてほしくない汚点ですね。
このように新約聖書のはじめに掲載されたイエス様の系図は、イスラエルの民を喜ばせる栄光の系図とは程遠いのです。そこにどういう意味があるかは、多くの牧師先生が書かれていますので、それをご覧ください。私たちは、まず聖書を開いて確認をしてみましょう。

コナン・ドイル『シャーロックホームズの思い出』新潮文庫版、2016年。「背中の曲がった男」はここに掲載されています。
Q1:タマルの夫となった弟の名前が、同様の性的行為をすることの語源となって現在残っています。その弟の名前は?
答え→創世記3章12節
Q2:ルツは異邦人でありながら、最後には男系のイスラエルにあって最上級のほめ方で賞賛されています。彼女は「どんな嫁」と称賛されたのでしょう?
答え→創世記3章13節
Q3:不倫の中で出来たダビデとバテ・シェバの子は亡くなりましたが、その後、生まれた子どもはイスラエルの有名な王になりました。その名前は?
答え→創世記2章8節、3章24節
受胎告知
ルカの福音書1章26~38節ほか
突然、大天使ガブリエルが入ってきて、いきなり「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1:28)と妊娠を告げられる。マリヤが妊娠した時の年齢はわかりませんが、当時、男の子は5歳でシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)に入って聖書やイスラエルの歴史を学び、13歳で卒業すると成人と見做されたというので、おそらくマリヤは13~14歳でしょう。男性の場合、家族を養える見通しが立ってからの結婚でしたので、ヨセフは18歳と言うところでしょうか。いずれにせよ若い二人には、とんでもないハードルです。しかも、当時は婚約すれば法的、社会的に夫婦と見做され、1年ほどしてから一緒に暮らし始めるので、ルカの福音書では「いいなづけ」(2:5)、マタイの福音書では「夫」(1:19)「妻」(1:20)と呼んでいます。つまりマリヤの妊娠は、この婚約期間中に起きたことなので、ヨセフに心当たりがない場合は姦淫と見做され「石打ちの刑」(→「罪のない者が」参照)に処せられます。マリヤを愛していたヨセフは、マリヤを死刑にしたくなかったので内密に離縁して去らせ、自分が「嫁に逃げられた男」として世間からの恥を受ける覚悟でいました(マタイ1:19)。いい男ですね。でも結構思い悩んだようです(マタイ1:20)。そんな人間の重い悩みに対して、神様は万全のアフターサービスで臨みます。Q&Aに即しながら、聖書を開いてそれを確認してみましょう。
ちなみに、その後のマリヤについては、聖書はあまり触れていません。イエス様が12歳の時の「過越の祭り」の時に、夫ヨセフらとともに一緒にエルサレムに行ったことが書かれていること(ルカ2:41~51)や、カナの結婚式の場面(→「水をワインに」参照)に登場するぐらいです。マリヤは、大工ヨセフの妻として、イエス様の後に四人の男の子と「妹たち」とあるように二人以上の女の子を生んだようです(マタイ13:55)。敬虔な女性ではありましたが、神様のご計画は人間の理解をはるかに超えていたようで、イエス様が故郷であるガリラヤ地方で伝道しているときに、息子がおかしくなったと思って連れ戻しに来たり(マルコ3:21)、会堂で説教をしているときに心配して訪ねて来たりして(マタイ12:46)、まるで普通のお母さんのようです。十字架の直前には弟子のヨハネに託され(ヨハネ19:26~27)、後の人生は他の子どもたちと一緒に敬虔なキリスト教徒として生きました(使徒1:14)。
一方、マリヤの夫であるヨセフのその後についての記述はもっと少なくて、イエス様が12歳の時の「過越の祭り」のところで書かれているだけです(ルカ2:41~51)。十字架の直前に弟子のヨハネに母マリヤを託していることから(ヨハネ19:26~27)、イエス様がおとなになった時には、もう生きていなかったようです。

ベアート・アンジェリコ「受胎告知」1434年
Q1:心当たりもないのに婚約者が妊娠。一番衝撃を受けたのは夫のヨセフでしょうが、そのヨセフに神様はどんなことをされたのでしょうか?
答え→マタイの福音書1章20~24節
Q2:若い二人が天使が妊娠を告げた言っても、普通は親戚や世間の人は信じてくれそうにありません。神様はマリヤの奇跡を親戚や世間が納得するように何をなされたのでしょうか?
答え→ルカの福音書1章8~25節、57~66節。
Q3:さらに言えば若いマリヤが、ひとりで不 安を抱えつつ妊娠期間を過ごすのは、そう耐えられるものではありません。そのマリヤに聖書のことを教えたり、心身をケアしたり、不思議な経験を共有したりできる絶妙のカウンセラーを神様は送り込んでいます。それは誰でしょう?
答え→ルカの福音書1章36、39~40、56節
きよしこのよる
ルカの 福音書2章1~20節など
学校で「きよしこのよる」を習った時、こんな歌詞ではなかったでしょうか?
♪きよしこのよる 星はひかり 救いの御子は 御母の胸に 眠りたもう 夢やすく
でもプロテスタントの讃美歌は、一部、歌詞が違っています。
♪きよしこのよる 星はひかり 救いの御子は 馬舟の中に 眠りたもう いとやすく
イエス様のお母さんである「マリヤさん」を「人類全体の罪から離れた超人間的な存在(無原罪の御宿り)」、「神様であるイエス様に取り次いでくださる存在」と言うのは、それまでの民間信仰をベースに9世紀ごろから表れた理論で、15世紀のバーセル公会議でカトリックの教義としていったん認められたものも、その後、いろいろな意見もあり、結局、1853年にカトリックの教義として認められたものです。マリヤさんは、イエス様を生んだ後、ヤコブ、ヨセフ、ユタ、シモンの四人の息子(マタイの福音書13章55節、マルコの福音書6章3節)と、少なくとも2人以上の娘(マタイの福音書13章56節)を生んで、大工のヨセフの妻として生きています(カトリックでは「兄弟」ではなく「従兄弟姉妹」「異母兄弟姉妹」と解釈しているようです)。とても「超人間的な存在」には見えません。イエス様も「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」(マタイ13:57)と嘆いていらっしゃいますし、ご自身との宗教的な関係も否定されています(ヨハネ2:3~4)。まあマリヤさんは神様を信じた敬虔な方でしたし(ルカ1:38)、マリヤさんも兄弟たちも、後にはイエス様を神の御子として信じて従っていますから(ヨハネ19:25など)…「尊敬できるクリスチャン」ではありました。
そしてもう一つ「馬舟」です。多くのみなさんのイメージでは「馬小屋」で絵本なんかの挿絵もそのように描かれていることが多いのですが、実は当時のイスラエルで木造やレンガ造りの「馬小屋」を特別に作れるのはかなり金持ちだったようです。普通の人は洞窟などを利用して(マタイ2:11には「その家」とありますし、教派によって異論はあります)、そこで馬をつないでいたようです。そして飼い葉桶も木製ではなく石を彫りぬいた四角いものでした。ちょうど、右の(モバイル版では上の)絵で青い服のマリヤさんが腰かけているのがそれです。ジメジメとした洞窟、冷たい石の四角い箱は馬の唾液で汚れ、そこに入れられた飼い葉の上に寝かせられた新生児。かなり悲惨な状況ですね。それ以上に悲惨なイメージは、「洞窟の中の石の箱」つまり当時のイスラエルにおける「お墓」の状況なのです。「人類の罪を背負って十字架につけられ、死にて葬られるために生まれた救い主」が、この歌に歌われているわけですね。
ちなみに「ジングルベル」は、11月のサンクス・ギビング・デイのために作られた冬の歌で、クリスマスとは何の関係もない歌です。

ヘラルト・ダヴィト「三賢者の礼拝」1515年。
Q1:星を見て運命を読む「マギ」(後の「マジック」の語源)たちは、聖書では何と表現されているでしょうか?
答え→マタイの福音書2章1節
Q2:有名な逸話ですが、この「マギ」たちがイエス様の誕生にあたっておくった贈り物は何だったのでしょう?
答え→マタイの福音書2章10節
Q3:この「マギ」たち以外に、イエス様の誕生に立ち会った人たちがいました。それは誰でしょうか?
答え→ルカの福音書2章8~20節
イエス様の職業
マルコの福音書・他
ノン・クリスチャンの人からは「えっ?イエス・キリストって宗教家でしょう?」という声が聞こえそうですし、クリスチャンの人からは「イエス様って大工さんだったのでしょう?」という声が聞こえてきそうです。たしかにマルコの福音書では、生まれ故郷のユダヤ教の会堂で説教をはじめた時、故郷の人たちが「この人は大工ではありませんか。」(6:3)と驚いて言っています。でも、イスラエルって石造りの神殿や日干し煉瓦の家のイメージがありますよね(右(モバイル版にあっては上)写真を参照)。そこで大工さんっていうのは、どういうことでしょう。実は「大工」の言語は「テクトーンτεκτων」の訳語で、日干し煉瓦の家をつくる職人の他に木工職人、家具職人、船大工から神殿を設計、建築する人、あらゆる種類の職人、はては作曲家までもが「テクトーン(技術者)」だったようです。でも、ナザレという田舎(→聖書の舞台(国・場所)のな行「ナザレ」参照)で神殿建築家や作曲家はなさそうですから、普段は木製品を作ったり、頼まれて家や船や家具を直したりする職人さんだったのではないでしょうか。今の若い人が持っている「丸ごと一件の家をいつも建てている人」という「大工」とはちょっと違います。「ちょいと、ドアの立て付けが悪くなったから見てよ」とか「椅子がガタガタするから直して」とかに「はいよ」と応えていた様子が目に浮かびます。イエス様は早くに父ヨセフを亡くしているようですし、下に少なくとも弟妹が6人はいましたから(→新約聖書を読んでみよう「受胎告知」参照)、長男として一家の稼ぎ頭だったのかもしれません。
その他の人というと、イエス様が最初に弟子にした「アンデレ」と「シモン(ペテロ)」の兄弟ですが、彼らはガリラヤ湖の漁師だったとあります(マルコ1:16)。そこでイエス様に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)と誘われて、弟子となりました。また直後、彼らの漁師仲間だった「ゼベタイの子ヤコブとその兄ヨハネ」(マルコ1:19)を弟子にしましたが、彼らも漁師でした。アンデレとシモンについてはわかりませんが、このヤコブとヨハネの兄弟は雇い人も船ももっている漁師だったので(1:20)、経営者的な裕福な漁師だったと思われます。彼らの母ですが、マタイ27:56とマルコ15:40を突き合わせてみると「サロメ」だったことが分かります。このサロメさんがイエス様の母マリヤの姉妹だとすると、この二人はイエス様のいとこにあたります。
十二使徒で職業のわかっている人は少数派です。「収税所にすわっているマタイという人」(マタイ9:9)を弟子としたとあるので、まず「マタイ」は取税人です。さらに「熱心党と呼ばれるシモン」(ルカ6:14)ですから「シモン」は、職業ではありませんが熱心党員ということになります。このお弟子さんたちは、政治信条的には天敵の間柄でした(→聖書の舞台(人物・組織)のな行「熱心党」参照)。その他の十二使徒の職業についての記述は、聖書にはありません。イエス様の十字架の後に使徒に加えられたマッテヤ(使徒1:26)、バルナバとパウロ(14:14)のうちで仕事が分かっているのがパウロで、テント職人として生計を立てていたことが分かります(18:3)。ただ生まれながらローマの市民権を持っていたり(22:28)、当代随一のユダヤ教のラビ(宗教家/神学者)であるガマリエル一世に師事していたり(22:3)していましたので、かなり裕福な家庭の出だと思います。テント職人になったのは、キリスト教徒になってからではないでしょうか。
使徒には数えられていませんが、イエス様に同行してその行動を側で見て、後に福音書を書いたルカは、パウロから「愛する医者ルカ」(コロサイ4:14)と呼ばれていますので医者だということがわかります。現在、築地にある有名な聖路加国際病院(→Wikipedia「聖路加国際病院」参照)は、この「医者ルカ」から付けられた名前です(「聖路加」を「せいろか」と読むのは間違い、正式には「せいるか」と読む)。十字架が上につけられ、旧病棟の建物が上から見ると十字架になっているのはそのためです。

イスラエルのヤッファ市にある歴史的建物区(Pixabay)
水をワインに
ヨハネの福音書2章1~11節
イエス様が初めて公の場で奇跡を示された有名な場面です。カナという街で行われた結婚式で、水をワインに変えられたエピソードです。神学的には「律法の時代(=水による洗礼)から福音の時代(=キリストの十字架(血)による救い)への移行」を表すとのことですが、ここは信徒が書いていますので説明は控えさせていただき、うまく説明してあるページのご紹介にとどめます(→「しろうと哲学者トリス氏の生活と意見」)。
ここでは聖書を開きながらひとつ一つ確認する読み方をしてみましょう。カナは現在のガリラヤ湖と地中海の中間にあった街で、イエス様の実家のあるナザレの街の北隣にあります。この当時の結婚式は、今のようにきっちり時間が決められていたのではなく、いつ行ってもいつ帰ってもよいような宴会が数日続いたようです(→聖書考古学「婚約者」)。以下の引用は、『新聖書辞典』が聖書から拾った当時の結婚式の様子です。花嫁は「花嫁衣裳を着(詩45:13-14)、宝石を身につけ(イザ61:11)、飾り帯(エレ2:32)やベール(創24:65)をまとった。」、花婿は「栄冠(花輪)をかぶり(イザ61:10)盛装した。」と服装が想像できます。そして「花嫁には付き添うおとめたちがおり(詩45:14)、花婿には、つきそう友人たちがいた(ヨハ3:29)」と(p.440)、今のブライズメイド(右のモバイル版にあっては上の写真)みたいな役割の人もいたのですね。
この結婚式、弟子のひとりでカナの街出身のナタナエル(使徒バルトロマイは「タルマイの子」という意味で、ナタナエルが本人の名前だと考えられている)の親戚筋か、マリヤさんが台所を仕切っていることから(2:3)イエス様の親戚筋の式だったかも知れません。さて、このワインですが、ローマと同じとすると水で割って飲んでいたようで(→「カエサルが飲んだワインの味は?」)、普通は素焼きの甕にいれて発酵が進まないように松脂や塩水を混ぜることもあったようです。高品質のワインは小さなツボに入れていたので、結婚式に出されたのは大甕の方でしょうから、いろんな混ぜ物をしたワインを水で割って飲むので、あまり美味しかったとは言えません。イエス様の出された大きな石の水がめ(バスタブ半分ぐらいの容量)のワインに、宴会の世話役が「だれでもはじめに良いぶどう酒を出し、人びとが十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」(2:10)と褒めちぎったのも、(聖書的な意味は別にあるとしても)当時の慣習として納得です。
ちなみに、この水がめも「きよめの水」を入れるためのもので、普通、ワインは素焼きのツボに入れました(→「世界ふれあい街歩き」の「写真ギャラリー」の59~64枚目)。イエス様は「きよめの水」を「ワイン(血)」に変えられたのですね(→「つい人に話したくなる聖書考古学」4「水くみは『石かめ』に」)。

花嫁とブライズメイド(PhotoAC)
貧しい者は幸いです
マタイの福音書5章3~12節
クリスチャンが「清く、正しく、美しく」とか「規則正しい生活をし、社会奉仕にも熱心」というのは、実は明治の初めにアメリカやカナダから日本に入ってきていた「メソジスト」というプロテスタントのグループのイメージです。まず日本には、幕末に「ヘボン式ローマ字」で有名なヘボンらが入って英語塾をつくり、後の明治学院大学やフェリス女子大学になりました。その次にやってきたのが「メソジスト」のグループで、先にあげたイメージが学校、軍隊、病院の性格となじんだので、多くの学校を創立しました。今の青山学院大学、関西学院大学、麻布中学などです。ちなみに「〇〇学院」と名のつく学校の「学院」とは、キリスト教の修道院とラテン語学校のことを意味します(ちなみに中国で「学院」とは日本語の「学部」にあたります)。各地方のお嬢様大学に「学院」がつく名前が多いのは、「清く、正しく、美しく」のキリスト教教育の賜物です。それらの学校のイメージが、この聖書の箇所に「貧しくとも心豊かに生きる」的なイメージを与えたのではないでしょうか。しかし聖書には「心の貧しい者は」と書いてあり、経済的に豊かでも「貧しい者」はいるのです。
実は、この「貧しい」には、「経済的に貧しい」と言う意味とは別の言葉が使われています(いろんな牧師先生が解説をしていらっしゃいます)。「どうしようもなく惨めでどん底」と言う意味でしょうか。では、なぜ「貧しい」ことが幸いなのでしょうか。「心豊かな」人より「心の荒れた人」を褒めているわけではないですよね。これについては、このページにある「放蕩息子」(→「放蕩息子」参照)をご覧くださるとよくわかります。放蕩息子は、①父親(神様をたとえている)から離れ→②遺産があって金持ちだった時は楽しかった(でも本当の豊かさではない)→③お金が無くなると周りから人がいなくなった(本当の自分は空っぽの存在)→④どん底の生活に落ちた(どうしようもなく惨めでどん底)→⑤そこでやっと父親(神様)との回復を思い立ったという流れでしたね。この放蕩息子は、たしかに惨めになったけれども、その経験を通して「お金を持っていても自分がいかに空っぽだったか」「父親(神様)と生きる生活がいかに幸せだったか」「父親(神様)との関係の回復がいかに重要だったか」を知ることができたのです。すんでのところで、そのことに気づいて「本当にラッキー(幸い)だったよね」とは思いませんか。
それでは、クリスチャンは清貧でお金を儲けてはいけないのでしょうか。質素にシンプルに生きることもありだと思います。でも同じマタイの福音書に「あなたがたも、自分の子どもがパンをくださいと言うときに、だれが石を与えるでしょうか。また、子どもが魚をくださいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょうか。」(7:9~10)とありますし、ソロモンの話にもあるように(→「ソロモンの箴言」参照)にあるように、神様は私たちが経済的にも豊かになることは幸せだと考えていらっしゃいます。そして、アメリカの大富豪カーネギーのようにガンガン稼いで、ガンガン世のために使うことを生きがいにしているクリスチャンもいます(アメリカのこのようなクリスチャン生活については→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』参照)。それも良いでしょう。でも、それは自分の才能や境遇により頼んで自分が豊かになっていると勘違いせず、自分は空っぽだけど「神様との関係を回復させる必要が分かった」と気づくことが前提です。それに気づくことを、イエス様は「幸いです」と言っているのです。

ニューヨークの有名なコンサートホール「カーネギー・ホール」