新約聖書を読んでみよう

​ 旧約聖書に預言された救世主イエス様の誕生から終末までが書かれた新約聖書です。小さいころどこかで聞いたイエス様のお話がたくさん。それから、多くの人がキリスト教と出会う結婚式のお話も。ギデオン版聖書などで家のどこかにあるかもしれませんから、ぜひ手元にある聖書を開いてみましょう。

 
【新約聖書】から

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​黄色の囲みは最新記事、囲みなしは予告記事です。

註:仙台のぞみ教会、現在、新改訳聖書(第三版)を公式聖書にしており、以下の記事内の引用もそれに基づいています。しかし「とりあえず聖書を見てみたい」という方は、上の「ネットで読める聖書」のボタンをご利用してください。「Bible.com」の「口語訳聖書」にリンクしています。この「口語訳聖書」は著作権が切れておりますのでネットで全文が読めるのですが、その特徴や問題点、これに対する新改訳聖書の位置づけなどは、上記「はじめての聖書選び」をお読みください。

 
五人の女

マタイの福音書1章1~17節

 学校で配られたギデオン版の聖書→「はじめての聖書選び」を読み始めたとき、(多くの配布聖書は新約聖書ですから)まず初めに並ぶなじみのない人名の家系図にビックリして読むのをやめる人も多いようです。なぜ、こんな読みにくい家系図から新約聖書は始まっているのでしょうか。それは、マタイの福音書がイスラエルの民を意識して書かれた(→「はじめての教会用語辞典」のは行「福音書」参照)からだと言われています。イスラエルの民は「神様に選ばれた民」としての家系の正当性を誇りに思っているので、旧約聖書で預言(→「はじめての教会用語辞典」のや行「預言」参照)された通りの家系に救世主としてイエス様が生まれたことは、とても説得力のあることなのです。そして、イスラエルの民の祖アブラハムから約束のダビデ王まで14代、ダビデ王からイスラエルの苦難のバビロン捕囚が14代、そして、そこから救世主の誕生まで14代(マタイ1:17)。イスラエルの民からすれば、そこに壮大で緻密な神様のご計画を見ることができ、感動できるというのです。

 それでは異民族である私たちは、この家系に何を見たらいいのでしょうか。ここでは男系の名誉あるイスラエルの系図に挿入された五人の婦人に注目しましょう。それは、タマル(1:3)、ラハブ(1:5)、ルツ(1:5)、ウリヤの妻(1:6)、そしてイエス様の母であるマリヤ(1:16)の五人です。マリヤは別としても、マリヤのように誇りある救世主の家系に挿入された婦人は、さぞ特記したい人物なのだろうと思いますが…それでは旧約聖書を見てみましょう。

 タマルは創世記38章6~30節に出てくる女性で、兄の妻でありましが、兄が死んだので当時のイスラエルの律法や慣習に基づき兄の子孫を残すために弟の妻になりました。しかし、生まれてくる子どもが自分の子どもにならないことに反発した弟は、タマルと子づくりをしようとはしませんでした(38:9)。そこで、焦ったタマルは遊女のふりをして舅のユダに抱かれて子どもをつくるという過激な行動にでました。

 ラハブはヨシュア記2章1~21節に出てくる女性で遊女でした。イスラエル軍がエリコの街を包囲した時に、神様とイスラエルの民に内通し一族の安全と引き換えにイスラエルに味方した女性です。遊女と言っても当時のエリコの宗教の中では「神殿娼婦」的な立場で、現在のイメージほど蔑まれた存在ではなく、後にイスラエルの男性と結婚もしています(マタイ1:5)。しかし、どちらにせよ「律法に違反した職業」の「異邦人」であり、それを堂々と救世主の家系図に掲載しているのです。

 ルツは、「旧約聖書を読んでみよう」の「ナオミ」の項目をご覧ください→「ナオミ」。姑を大事にし、神様に従った女性で、最後には最上級の賞賛を受けていますが(ルツ4:15)、それまでは、モアブと言う外国から来たので「モアブの女」(ルツ1:4)と呼ばれ、純血の家系を誇るイスラエルの民からしたら「異邦人の女」でした。

 「ウリヤの妻」バテ・シェバは人妻でした。サムエル記第二の11章2~27節に初めて出てきます。ダビデは、王宮の屋上から沐浴している自分の部下ウリヤ妻であるバテ・シェバを見て、彼女が生理中であったにもかかわらず寝室に招き入れました(Ⅱサムエル11:4)。律法、破りまくりですね。さらにバテ・シェバが妊娠を告げると、自分の罪がばれるのを防ぐために、ウリヤと寝るように工作もしています(11:8~13)。その工作が失敗すると、今度はウリヤを激戦区の最前線に送って戦死させています(11:14~17)。このエピソードは、シャーロック・ホームズの「まがった男/背中の曲がった男 (The Crooked Man)」(古い本だと差別語のタイトルとなっています)の重要なプロットになっています→「まがった男 The Crooked Man」。この話はナンシーが殺される前「デイビッド!」と叫んだことが捜査を惑わすのですが、実は聖書のこのエピソードをしらないと意味が分かりません。これもお読みください。その後バテ・シェバは、ちゃっかりダビデの妻に収まっています(11:27)。ちなみに、その時の子どもは、その後、亡くなっています(12:15~23)。ダビデ王を敬愛しているイスラエルの民からしたら、バテ・シェバのことなど家系図で触れてほしくない汚点ですね。

 このように新約聖書のはじめに掲載されたイエス様の系図は、イスラエルの民を喜ばせる栄光の系図とは程遠いのです。そこにどういう意味があるかは、多くの牧師先生が書かれていますので、それをご覧ください。私たちは、まず聖書を開いて確認をしてみましょう。

コナン・ドイル『シャーロックホームズの思い出』新潮文庫版、2016年。「背中の曲がった男」はここに掲載されています。

Q1:タマルの夫となった弟の名前が、同様の性的行為をすることの語源となって現在残っています。その弟の名前は?

答え→創世記3章12節

Q2:ルツは異邦人でありながら、最後には男系のイスラエルにあって最上級のほめ方で賞賛されています。彼女は「どんな嫁」と称賛されたのでしょう?

答え→創世記3章13節

Q3:不倫の中で出来たダビデとバテ・シェバの子は亡くなりましたが、その後、生まれた子どもはイスラエルの有名な王になりました。その名前は?

答え→創世記2章8節、3章24節

 
受胎告知

ルカの福音書1章26~38節ほか

 突然、大天使ガブリエルが入ってきて、いきなり「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1:28)と妊娠を告げられる。マリヤが妊娠した時の年齢はわかりませんが、当時、男の子は5歳でシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)に入って聖書やイスラエルの歴史を学び、13歳で卒業すると成人と見做されたというので、おそらくマリヤは1314歳でしょう。男性の場合、家族を養える見通しが立ってからの結婚でしたので、ヨセフは18歳と言うところでしょうか。いずれにせよ若い二人には、とんでもないハードルです。しかも、当時は婚約すれば法的、社会的に夫婦と見做され、1年ほどしてから一緒に暮らし始めるので、ルカの福音書では「いいなづけ」(2:5)、マタイの福音書では「夫」(1:19)「妻」(1:20)と呼んでいます。つまりマリヤの妊娠は、この婚約期間中に起きたことなので、ヨセフに心当たりがない場合は姦淫と見做され「石打ちの刑」→「罪のない者が」参照)に処せられます。マリヤを愛していたヨセフは、マリヤを死刑にしたくなかったので内密に離縁して去らせ、自分が「嫁に逃げられた男」として世間からの恥を受ける覚悟でいました(マタイ1:19)。いい男ですね。でも結構思い悩んだようです(マタイ1:20)。そんな人間の重い悩みに対して、神様は万全のアフターサービスで臨みます。Q&Aに即しながら、聖書を開いてそれを確認してみましょう。

 ちなみに、その後のマリヤについては、聖書はあまり触れていません。イエス様が12歳の時の「過越の祭り」の時に、夫ヨセフらとともに一緒にエルサレムに行ったことが書かれていること(ルカ2:4151)や、カナの結婚式の場面→「水をワインに」参照)に登場するぐらいです。マリヤは、大工ヨセフの妻として、イエス様の後に四人の男の子と「妹たち」とあるように二人以上の女の子を生んだようです(マタイ13:55)。敬虔な女性ではありましたが、神様のご計画は人間の理解をはるかに超えていたようで、イエス様が故郷であるガリラヤ地方で伝道しているときに、息子がおかしくなったと思って連れ戻しに来たり(マルコ3:21)、会堂で説教をしているときに心配して訪ねて来たりして(マタイ12:46)、まるで普通のお母さんのようです。十字架の直前には弟子のヨハネに託され(ヨハネ19:2627)、後の人生は他の子どもたちと一緒に敬虔なキリスト教徒として生きました(使徒1:14)。

 一方、マリヤの夫であるヨセフのその後についての記述はもっと少なくて、イエス様が12歳の時の「過越の祭り」のところで書かれているだけです(ルカ2:4151)。十字架の直前に弟子のヨハネに母マリヤを託していることから(ヨハネ19:2627)、イエス様がおとなになった時には、もう生きていなかったようです。

ベアート・アンジェリコ「受胎告知」1434年

Q1:心当たりもないのに婚約者が妊娠。一番衝撃を受けたのは夫のヨセフでしょうが、そのヨセフに神様はどんなことをされたのでしょうか?

答え→マタイの福音書1章20~24節

Q2:若い二人が天使が妊娠を告げた言っても、普通は親戚や世間の人は信じてくれそうにありません。神様はマリヤの奇跡を親戚や世間が納得するように何をなされたのでしょうか?

答え→ルカの福音書1章8~25節、57~66節。

Q3:さらに言えば若いマリヤが、ひとりで不安を抱えつつ妊娠期間を過ごすのは、そう耐えられるものではありません。そのマリヤに聖書のことを教えたり、心身をケアしたり、不思議な経験を共有したりできる絶妙のカウンセラーを神様は送り込んでいます。それは誰でしょう?

答え→ルカの福音書1章36、39~40、56節

​きよしこのよる
 

ルカの福音書2章1~20節など

学校で「きよしこのよる」を習った時、こんな歌詞ではなかったでしょうか?

♪きよしこのよる 星はひかり 救いの御子は 御母の胸に 眠りたもう 夢やすく

でもプロテスタントの讃美歌は、一部、歌詞が違っています。

♪きよしこのよる 星はひかり 救いの御子は 馬舟の中に 眠りたもう いとやすく

 イエス様のお母さんである「マリヤさん」を「人類全体の罪から離れた超人間的な存在(無原罪の御宿り)」、「神様であるイエス様に取り次いでくださる存在」と言うのは、それまでの民間信仰をベースに9世紀ごろから表れた理論で、15世紀のバーセル公会議でカトリックの教義としていったん認められたものも、その後、いろいろな意見もあり、結局、1853年にカトリックの教義として認められたものです。マリヤさんは、イエス様を生んだ後、ヤコブ、ヨセフ、ユタ、シモンの四人の息子(マタイの福音書13章55節、マルコの福音書6章3節)と、少なくとも2人以上の娘(マタイの福音書13章56節)を生んで、大工のヨセフの妻として生きています(カトリックでは「兄弟」ではなく「従兄弟姉妹」「異母兄弟姉妹」と解釈しているようです)。とても「超人間的な存在」には見えません。イエス様も「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」(マタイ13:57)と嘆いていらっしゃいますし、ご自身との宗教的な関係も否定されています(ヨハネ2:3~4)。まあマリヤさんは神様を信じた敬虔な方でしたし(ルカ1:38)、マリヤさんも兄弟たちも、後にはイエス様を神の御子として信じて従っていますから(ヨハネ19:25など)…「尊敬できるクリスチャン」ではありました。

 そしてもう一つ「馬舟」です。多くのみなさんのイメージでは「馬小屋」で絵本なんかの挿絵もそのように描かれていることが多いのですが、実は当時のイスラエルで木造やレンガ造りの「馬小屋」を特別に作れるのはかなり金持ちだったようです。普通の人は洞窟などを利用して(マタイ2:11には「その家」とありますし、教派によって異論はあります)、そこで馬をつないでいたようです。そして飼い葉桶も木製ではなく石を彫りぬいた四角いものでした。ちょうど、右の(モバイル版では上の)絵で青い服のマリヤさんが腰かけているのがそれです。ジメジメとした洞窟、冷たい石の四角い箱は馬の唾液で汚れ、そこに入れられた飼い葉の上に寝かせられた新生児。かなり悲惨な状況ですね。それ以上に悲惨なイメージは、「洞窟の中の石の箱」つまり当時のイスラエルにおける「お墓」の状況なのです。「人類の罪を背負って十字架につけられ、死にて葬られるために生まれた救い主」が、この歌に歌われているわけですね。

 ちなみに「ジングルベル」は、11月のサンクス・ギビング・デイのために作られた冬の歌で、クリスマスとは何の関係もない歌です。

ヘラルト・ダヴィト「三賢者の礼拝」1515年。

Q1:星を見て運命を読む「マギ」(後の「マジック」の語源)たちは、聖書では何と表現されているでしょうか?

答え→マタイの福音書2章1節

Q2:有名な逸話ですが、この「マギ」たちがイエス様の誕生にあたっておくった贈り物は何だったのでしょう?

答え→マタイの福音書2章10節

Q3:この「マギ」たち以外に、イエス様の誕生に立ち会った人たちがいました。それは誰でしょうか?

答え→ルカの福音書2章8~20節

 
イエス様の職業

マルコの福音書・他

 ノン・クリスチャンの人からは「えっ?イエス・キリストって宗教家でしょう?」という声が聞こえそうですし、クリスチャンの人からは「イエス様って大工さんだったのでしょう?」という声が聞こえてきそうです。たしかにマルコの福音書では、生まれ故郷のユダヤ教の会堂で説教をはじめた時、故郷の人たちが「この人は大工ではありませんか。」(6:3)と驚いて言っています。でも、イスラエルって石造りの神殿や日干し煉瓦の家のイメージがありますよね(右(モバイル版にあっては上)写真を参照)。そこで大工さんっていうのは、どういうことでしょう。実は「大工」の言語は「テクトーンτεκτων」の訳語で、日干し煉瓦の家をつくる職人の他に木工職人、家具職人、船大工から神殿を設計、建築する人、あらゆる種類の職人、はては作曲家までもが「テクトーン(技術者)」だったようです。でも、ナザレという田舎(→聖書の舞台(国・場所)のな行「ナザレ」参照)で神殿建築家や作曲家はなさそうですから、普段は木製品を作ったり、頼まれて家や船や家具を直したりする職人さんだったのではないでしょうか。今の若い人が持っている「丸ごと一件の家をいつも建てている人」という「大工」とはちょっと違います「ちょいと、ドアの立て付けが悪くなったから見てよ」とか「椅子がガタガタするから直して」とかに「はいよ」と応えていた様子が目に浮かびます。イエス様は早くに父ヨセフを亡くしているようですし、下に少なくとも弟妹が6人はいましたから(→新約聖書を読んでみよう「受胎告知」参照)、長男として一家の稼ぎ頭だったのかもしれません。

 その他の人というと、イエス様が最初に弟子にした「アンデレ」と「シモン(ペテロ)」の兄弟ですが、彼らは漁師だったとあります(マルコ1:16)。また直後、彼らの漁師仲間だった「ゼベタイの子ヤコブとその兄ヨハネ」(1:19)を弟子にしましたが、彼らも漁師でした。アンデレとシモンについてはわかりませんが、このヤコブとヨハネの兄弟は雇い人も船ももっている漁師だったので(1:20)、経営者的な裕福な漁師だったと思われます。彼らの母ですが、マタイ27:56とマルコ15:40を突き合わせてみると「サロメ」だったことが分かります。このサロメさんがイエス様の母マリヤの姉妹だとすると、この二人はイエス様のいとこにあたります。

 十二使徒で職業のわかっている人は少数派です。「収税所にすわっているマタイという人」(マタイ9:9)を弟子としたとあるので、まず「マタイ」は取税人です。さらに「熱心党と呼ばれるシモン」(ルカ6:14)ですから「シモン」は、職業ではありませんが熱心党員ということになります。このお弟子さんたちは、政治信条的には天敵の間柄でした(→聖書の舞台(人物・組織)のな行「熱心党」参照)。その他の十二使徒の職業についての記述は、聖書にはありません。イエス様の十字架の後に使徒に加えられたマッテヤ(使徒1:26)、バルナバとパウロ(14:14)のうちで仕事が分かっているのがパウロで、テント職人として生計を立てていたことが分かります(18:3)。ただ生まれながらローマの市民権を持っていたり(22:28)、当代随一のユダヤ教のラビ(宗教家/神学者)であるガマリエル一世に師事していたり(22:3)していましたので、かなり裕福な家庭の出だと思います。テント職人になったのは、キリスト教徒になってからではないでしょうか。

 使徒には数えられていませんが、イエス様に同行してその行動を側で見て、後に福音書を書いたルカは、パウロから「愛する医者ルカ」(コロサイ4:14)と呼ばれていますので医者だということがわかります。現在、築地にある有名な聖路加国際病院(→Wikipedia「聖路加国際病院」参照)は、この「医者ルカ」から付けられた名前です(「聖路加」を「せいろか」と読むのは間違い、正式には「せいるか」と読む)。十字架が上につけられ、旧病棟の建物が上から見ると十字架になっているのはそのためです。

イスラエルのヤッファ市にある歴史的建物区(Pixabay)

 
水をワインに

ヨハネの福音書2章1~11節

 イエス様が初めて公の場で奇跡を示された有名な場面です。カナという街で行われた結婚式で、水をワインに変えられたエピソードです。神学的には「律法の時代(=水による洗礼)から福音の時代(=キリストの十字架(血)による救い)への移行」を表すとのことですが、ここは信徒が書いていますので説明は控えさせていただき、うまく説明してあるページのご紹介にとどめます→「しろうと哲学者トリス氏の生活と意見」)

 ここでは聖書を開きながらひとつ一つ確認する読み方をしてみましょう。カナは現在のガリラヤ湖と地中海の中間にあった街で、イエス様の実家のあるナザレの街の北隣にあります。この当時の結婚式は、今のようにきっちり時間が決められていたのではなく、いつ行ってもいつ帰ってもよいような宴会が数日続いたようです→聖書考古学「婚約者」。以下の引用は、『新聖書辞典』が聖書から拾った当時の結婚式の様子です。花嫁は「花嫁衣裳を着(詩45:13-14)、宝石を身につけ(イザ61:11)、飾り帯(エレ2:32)やベール(創24:65)をまとった。」、花婿は「栄冠(花輪)をかぶり(イザ61:10)盛装した。」と服装が想像できます。そして「花嫁には付き添うおとめたちがおり(詩45:14)、花婿には、つきそう友人たちがいた(ヨハ3:29)」と(p.440)、今のブライズメイド(右のモバイル版にあっては上の写真)みたいな役割の人もいたのですね。

 この結婚式、弟子のひとりでカナの街出身のナタナエル(使徒バルトロマイは「タルマイの子」という意味で、ナタナエルが本人の名前だと考えられている)の親戚筋か、マリヤさんが台所を仕切っていることから(2:3)イエス様の親戚筋の式だったかも知れません。さて、このワインですが、ローマと同じとすると水で割って飲んでいたようで→「カエサルが飲んだワインの味は?」、普通は素焼きの甕にいれて発酵が進まないように松脂や塩水を混ぜることもあったようです。高品質のワインは小さなツボに入れていたので、結婚式に出されたのは大甕の方でしょうから、いろんな混ぜ物をしたワインを水で割って飲むので、あまり美味しかったとは言えません。イエス様の出された大きな石の水がめ(バスタブ半分ぐらいの容量)のワインに、宴会の世話役が「だれでもはじめに良いぶどう酒を出し、人びとが十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」(2:10)と褒めちぎったのも、(聖書的な意味は別にあるとしても)当時の慣習として納得です。

 ちなみに、この水がめも「きよめの水」を入れるためのもので、普通、ワインは素焼きのツボに入れました→「世界ふれあい街歩き」の「写真ギャラリー」の59~64枚目)。イエス様は「きよめの水」を「ワイン(血)」に変えられたのですね→「つい人に話したくなる聖書考古学」4「水くみは『石かめ』に」

花嫁とブライズメイド(PhotoAC)

貧しい者は幸いです
 

マタイの福音書5章3~12節

 クリスチャンが「清く、正しく、美しく」とか「規則正しい生活をし、社会奉仕にも熱心」というのは、実は明治の初めにアメリカやカナダから日本に入ってきていた「メソジスト」というプロテスタントのグループのイメージです。まず日本には、幕末に「ヘボン式ローマ字」で有名なヘボンらが入って英語塾をつくり、後の明治学院大学やフェリス女子大学になりました。その次にやってきたのが「メソジスト」のグループで、先にあげたイメージが学校、軍隊、病院の性格となじんだので、多くの学校を創立しました。今の青山学院大学、関西学院大学、麻布中学などです。ちなみに「〇〇学院」と名のつく学校の「学院」とは、キリスト教の修道院とラテン語学校のことを意味します(ちなみに中国で「学院」とは日本語の「学部」にあたります)。各地方のお嬢様大学に「学院」がつく名前が多いのは、「清く、正しく、美しく」のキリスト教教育の賜物です。それらの学校のイメージが、この聖書の箇所に「貧しくとも心豊かに生きる」的なイメージを与えたのではないでしょうか。しかし聖書には「心の貧しい者は」と書いてあり、経済的に豊かでも「貧しい者」はいるのです。

 実は、この「貧しい」には、「経済的に貧しい」と言う意味とは別の言葉が使われています(いろんな牧師先生が解説をしていらっしゃいます)。「どうしようもなく惨めでどん底」と言う意味でしょうか。では、なぜ「貧しい」ことが幸いなのでしょうか。「心豊かな」人より「心の荒れた人」を褒めているわけではないですよね。これについては、このページにある「放蕩息子」→「放蕩息子」参照)をご覧くださるとよくわかります。放蕩息子は、①父親(神様をたとえている)から離れ→②遺産があって金持ちだった時は楽しかった(でも本当の豊かさではない)→③お金が無くなると周りから人がいなくなった(本当の自分は空っぽの存在)→④どん底の生活に落ちた(どうしようもなく惨めでどん底)→⑤そこでやっと父親(神様)との回復を思い立ったという流れでしたね。この放蕩息子は、たしかに惨めになったけれども、その経験を通して「お金を持っていても自分がいかに空っぽだったか」「父親(神様)と生きる生活がいかに幸せだったか」「父親(神様)との関係の回復がいかに重要だったか」を知ることができたのです。すんでのところで、そのことに気づいて「本当にラッキー(幸い)だったよね」とは思いませんか。

 それでは、クリスチャンは清貧でお金を儲けてはいけないのでしょうか。質素にシンプルに生きることもありだと思います。でも同じマタイの福音書に「あなたがたも、自分の子どもがパンをくださいと言うときに、だれが石を与えるでしょうか。また、子どもが魚をくださいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょうか。」(7:9~10)とありますし、ソロモンの話にもあるように→「ソロモンの箴言」参照)にあるように、神様は私たちが経済的にも豊かになることは幸せだと考えていらっしゃいます。そして、アメリカの大富豪カーネギーのようにガンガン稼いで、ガンガン世のために使うことを生きがいにしているクリスチャンもいます(アメリカのこのようなクリスチャン生活については→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』参照)。それも良いでしょう。でも、それは自分の才能や境遇により頼んで自分が豊かになっていると勘違いせず、自分は空っぽだけど「神様との関係を回復させる必要が分かった」と気づくことが前提です。それに気づくことを、イエス様は「幸いです」と言っているのです。

ニューヨークの有名なコンサートホール「カーネギー・ホール」

人はパンのみにて生きるにあらず
 

マタイの福音書4章4節(と旧約聖書の申命記8章3節)

 これほど聖書の文章で誤用されている文章もないもんだと思います。

 誤解(その1)一般の使われ方→「人は食べるためにだけ働いているのではないよ。もっと様々な人生の楽しみをもたなきゃ」…論外です!

 誤解(その2)辞書も誤解している→「人は物質的な満足だけを目的として生きるものではなく、精神的なよりどころが必要である。」(大辞林:第三版)…困ったもんです。

 実は「人はパンだけで生きるのではなく…」(マタイ4:4)につづく言葉の方が重要なのです(これは、実際に聖書を見てみましょう!)。神学的なことは、いろいろな牧師先生が語っていらっしゃいますから(キリスト教Q&A「パンか神の言葉か」「誤用の聖書知識」など)、それをご覧くださった上で、ここで、もう一つ誤解について付け加えます(信徒が書いていますので「たとえ話」として読んでください)。英語では"Soul"と"Spilit"は、同じ「たましい」でも少し違います。"Soul"は自分の内面的な個性のことで、「ソウル・フード」や音楽の「ソウル」など、自分の個性を形づくってきた(故郷の)気質や風習なのですよね。一方、"Spilit"は「風」、外部からのエネルギーと考えられているのです。聖書で言う「聖霊(HOlly Spilit」は、自分の中にあるものではなく外部(神様)から吹き込まれるものです。そして、はじめの「神の口から出ることば」ですが、(2)の辞書が言うような「道徳」や「人生の指針」ではなくて、神様からの霊的な「エネルギー・チャージ」のこととイメージしてください。つまり「食べ物が生かしているのではなく、神様が私たちを生かしている」ということです。

Q1:聖書の「人はパンだけで生きるのではなく」につづく文章は何でしょう?

答え→マタイの福音書4章4節

罪のない者から…
 

ヨハネの福音書8章1~11節

 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハネ1:7)というイエス様のみ言葉は、一般の方にもよく知られていますが、まるで「とんち問答」のようにとらえられていたり、死刑反対の法律論(人が人を裁けるのか)ととらえられたりしているのは悲しい限りです。

 「石打ちの刑」とは、罪人の下半身を土に埋め、即死しないように握りこぶし程度の石を使って、みんなで寄ってたかってぶつけることで苦痛を長引かせつつ殺してしまう死刑の一種です。古代オリエントでは一般的な形で、現在でもイスラム教の一部の国では行われていて、最近ブルネイでは石打ちの刑を復活させたというニュースもありました(→News Japan「ブルネイ、不倫や同性愛に厳格な刑法を施行 石打ちで死刑も」。旧約聖書にも、姦淫にの罪に関する石打の規定があましたが(レビ記20:2)、状況証拠では無効で、その現場を複数の証人に目撃されなければなりませんでした(申命記19:15)。しかも姦淫の場ですから、相手の男いたはずですし、彼も同罪になります(レビ記20:10)が、ここにいないということは(ヨハネ8:3)、見つかった時に相手の男は彼女を置いて逃げてしまったということになります。さらに、普通ならその地方の「小サンヘドリン」という地方の司法議会に連れて行けばいいものを、宮で民衆に教えていたイエス様の前に連れ出すのですから、「さらし者」です。パリサイ人(→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ人」参照)や律法学者の悪意が伝わってきます。さらに、ある牧師先生は「この人は、姦淫はしたかもしれないが、それが複数の証人に目撃されるのは可能性が低いので、はめられたのではないか」と書かれていました→礼拝説教「罪なき者が打て」。神学的なことは、この先生のお話に譲るとして、私(信徒です)がなるほどと思ったのは、そこを去ったパリサイ人が感じたのは「良心の呵責」だったが、この女が感じたのは「悔い改め」だったという解説です。どうぞお読みください。

 この石打ちの刑ですが、キリスト教最初の殉教者であるステパノも、これによって殺されています(使徒7:54~60)。このステパノの名前ですが、神様への信仰を貫き通した彼を見倣って、彼の名前を学校や教会の名前にするのはよいと思います。でも最近、結婚式場の商業的なチャペルに最初の殉教者である彼の名前を付けているところを発見しました。なんだかな。

二コラ・プッサン「キリストと姦淫の女」1653年。

Q1:律法学者やパリサイ人たちが話しかけていた時に、イエス様は何をしていたのでしょう?

答え→ヨハネの福音書8章6節

Q2:イエス様に「罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」と言われ、律法学者やパリサイ人たちを含む群衆は、どのような行動をとったのでしょう?

答え→ヨハネの福音書8章9節

Q3:テパノを殺すことに賛成し、その処刑にも参加したと思われる、後にキリスト教徒となって大活躍した人物は誰でしょう?

答え→使徒の働き7章58節、本ページの「目からウロコ」

放蕩息子
 

ルカの福音書15章11~32節

​ 「放蕩息子のたとえ」とは、イエス様が父なる神様と人間との関係を説明するために話したたとえ話です。落語だと「放蕩息子の若旦那」は「粋な遊び人」として能天気にえがかれることも多いようです。映画「アイアンマン3」では、バラバラになって飛んできて装着される主人公のアーマー(マーク42)が、時々うまく飛んで帰ってこないので「困ったもんだ」程度で描かれ、「放蕩息子」というニックネームで呼ばれています(ちなみに「レギオン」も聖書由来ですね→マルコの福音書5章9節)。でも聖書の放蕩息子は、そんなお気楽な人生ではありません。放蕩を尽くした後に落ちぶれ、誰も寄る辺のない異国の地で、金のある時はちやほやしていた知人にも見捨てられ、社会の底辺で孤立した存在でした。その放蕩息子の姿は、父なる神様から離れた人間の姿だと聖書はいうのです

  物語はこうです。ある人に息子2人がいて、ある日、弟の方が財産の分け前をよこすように父に言いました(生きているのに「形見分けをしろ」と言うくらい失礼な申し出です)。財産の半分を受け取った弟は、遠い国でそれを湯水のように使って放蕩の限りを尽くしました。ところが財産を使い果たし、しかも国に飢饉が訪れると、放蕩息子に訪れたのは孤独と、飢えと、後悔でした。彼は豚の世話をする仕事に身をやつし飢えていました。そんな時に父のもとでくらしていたしあわせを思い出し、父にこれまでの罪を告白して、息子扱いされずとも「雇人のひとり」(ルカ15:19)としてでも帰れないかと考えました。ところが、彼が帰途にある途中にも関わらず、父は放蕩息子を見つけて迎えに行き、走り寄って抱きしめました。父は、息子の帰還を毎日待っていたのでしょう。そして「手に指輪をはめさせ」(15:22、指輪は正当な相続者とするという実印のようなものです)祝宴を開いて帰還を喜びました。このように神様(父)は、罪を犯して離れた放蕩息子(私たち人間)をどれほど愛して、神様のもとに帰ってくるのを待っておられるかという説明なのです。

 もちろん、これは人間が神様から離れた「原罪」と、イエス様の名前を通してその関係を回復させるという大きな問題を例えています。でも、そのミニチュア版である「父親への反抗→放蕩な青春時代を送る→やがて家族との和解」と言うストーリーは、多くの人の心の中の苦い青春時代の思い出としてはあるのではないでしょうか。例えば、音楽をしている人の中には、自分をこの「放蕩息子」と見做して語る人も多いようです。例えば古いところだとアメリカのシンガーであるロバート・ウィルキンスの曲の中には、まさしく「放蕩息子(Prodigal Son)」と言うのがありますし、最近なら映画「ボヘミアン・ラプソティ」(→DVD「ボヘミアンラプソティ」著作権法第47条2)も、放蕩息子の話が下敷きにされているとの見方もありました(→「現代の「放蕩息子」が「HOME」に帰還する物語 映画「ボヘミアン・ラプソディ」)

 ぜひ家庭をもって親となった方は、聖書のこの箇所を読んで、ぜひ恥ずかし青春時代を思い出しつつ、あの頃分からなかった親心に思いをはせてみませんか。

ブライアン・シンガー監督「ボヘミアン・ラプソティ」20世紀フォックス、2018年。

Q1:落ちぶれて飢えた放蕩息子は、何を食べて飢えをしのいでいたのでしょうか?

答え→ルカの福音書15章16節

Q2:もう一人の息子「兄」がいましたが、弟が放蕩している間、兄はどこで何をしていたのでしょうか?

答え→ルカの福音書15章29節

 
最後の晩餐

​マタイの福音書26章17~30節など

 右(モバイル版にあっては上)の絵は、あまりにも有名なレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」です。十字架前にかかられる直前にイエス様が弟子たちと食事をとっている様子です。美術史的には素晴らしいものでありますが、描かれている内容はぜんぜんちがっています。

 まず、メニューです。この晩餐は通常の食事とは違って「過越の食事」(ペサハ)といって宗教的な儀式なのです(マタイ26:17)。ですからメニューも決まっていますし、当時は食べる順番も決まっていたようです→「過越の祭り、過越の食事」。この儀式の根拠となったのが、創世記の12章1~14節です。神様がエジプト人に災いをもたらす夜に、羊を犠牲にしてその血を門柱と鴨居に塗ったイスラエルの民の家を「過ぎ越される(災いを与えずに通り過ぎる)」目印としたこと、それによってエジプトを脱出し奴隷から解放されて約束の地へ向かったことを代々記念する儀式が「過越の食事」なのです。この直後に「海を割る話」が続きますね(→旧約聖書を読んでみようの「出エジプト(で海を割る話)」参照)

 「過越の食事」のメニューは、「傷のない一歳の雄羊の肉」「種なし(イースト菌等でふくらませていない)パン」「塩水にひたした苦菜」「赤ワイン」などでした。現在は少し増やしているようです→「ペサハ セデル」。ですから、本来、出エジプト時の「イーストでパンを膨らませている時間がない緊急の状態」を記念するために「種なしパン」を食べるのに、ダ・ビンチの絵を見るとパンがふくれていますね。それに「犠牲の羊肉」や「奴隷としての苦労を表す苦菜」も無いようです。まあ羊肉は、日本で言う「仏前のご飯」のように、神様に捧げられたのをほんのひとくち食べただけのようですので→『食べて味わう聖書の話』96ページ)、描かれているのを見落としたのかもしれません。一方で、ダ・ビンチの絵ではキリスト教の象徴である魚が並んでいるようです。魚は「イエス、キリスト、神の子、救世主(ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ)」の頭文字をつなぎ合わせると(イクシス(ΙΧΘΥΣ)魚)と読めることから、キリスト教が禁教だったローマの時代に十字架の代わりにシンボルとして使われました。ダ・ビンチは魚料理でキリスト教を表したのでしょう。クルマにこんなステッカーが貼ってあるのを見たらクリスチャンだと思ってください(→Amazon「イクシスのステッカー」

 さらに、服装も違います。「過越の食事」では、靴を履いたり杖を持ったり「エジプトを脱出する旅支度」をして食べるべきなのに(創世記12:11)、この絵はくつろいだ服装をしています。それから、一番変なのはテーブルで食事をしているところです。この「最後の晩餐」は、街で水瓶を運んでいた男に声をかけて、その男の家の二階の大広間で行うのですが(ルカ22:10~12)、当時の食事は、現在のベドウィンの食事のように車座になってカーペットに座って行われたはずです→ネゲブ砂漠「ベドウィン料理」。または、ローマの影響を受けていたのなら寝そべって食べていたということも考えられます→「古代ローマ人の贅沢ぶりが半端じゃない!」

 この時にイエス様は、「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」(マタイ26:26)とパンを割いて手渡し、「みな、この杯から飲みなさい。これは私の契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(26:27~28)とワインの盃を渡されます。「過越の食事」が子羊の犠牲によってエジプトに滅びをもたらす災いを「過ぎ越された」ことの記念であれば、このパンとワインの儀式は、神であるイエス様の十字架の犠牲によって私たちの罪を「過ぎ越された」救いの完成を記念するものです。教会では、月に一度聖餐式を行っていますが→はじめての教会(礼拝編)の「聖餐式」参照)、それは、この「最後の晩餐」を追体験しているのです

レオナルド・ダ・ビンチ「最後の晩餐」1498年(上:拡大、下:全体)。

アガペー
 

ヨハネの福音書21章15~17節

 日本語だと一つしかない「愛」という言葉ですが、新約聖書が書かれたギリシャ語では四種類の「愛」という言葉がありました。(1)「アガペー」=神様の完全無欠の愛、(2)「フィレオ」=人間同士の友愛、(3)「エストロゲン」=親子の情愛、(4)「エロス」=男女間の性愛です。特に(1)と(2)は、時や場合によってころころ変わってしまう限界のある人間の愛と、決して揺らぐことも変わることもない神様の愛のちがいとしてよく出されます。

 長いですけど、参照したルカの福音書21章15~17節を見てみましょう。「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』イエスは再び彼に言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさい。』イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」…何のことかよくわかりませんね。でも実はこのやり取り、二つのことが分かると真相が見えてきます。

 実は、赤文字の「愛しますか」は「アガペー(神様の完全無欠の愛、文中は動詞のアガパオだが)」、青文字の「愛する」は「フィレオ(限界のある人間の友愛)」なのです。つまり、このやり取りは「神のように永遠に変わらず愛せますか?」→「いえいえ、人間的な限界のある愛でしか愛せません」→「もう一度聞くが、神のように永遠に変わらず愛せますか?」→「いえいえ、人間的な限界のある愛でしか愛せません」→「じゃあ、もう一度だけ聞くが、人間的な限界のある愛でいいから愛せますか?」→「イエス様、あのことご存知でしょう?私はそういう愛し方しかできない人間です。」というのが、裏に隠れているのです。

 では「あのこと」とは、何でしょう。実は、少し前のヨハネの福音書の18章で、イエス様はユダの密告で得られ大祭司の邸宅でユダヤ教の裁判を受けていたところでした。そのときに、外の群集の中にまぎれていたペテロ、は「お前見たことあるぞ!あのイエスの弟子だろう」と言われ、三度「そんな奴知らない」と否定したのです。この場面がレンブラントの絵の場面です。イエス様の一番を自任し、「あなたのためにはいのちも捨てます。」(13:37)とまで言っていたペテロが、イエス様の予言どおり(13:38)イエス様を裏切ったわけです。このやり取りは、十字架後に復活されて、本当に神様だったとみんなが知った後でペテロがイエス様に言われた内容なのです。穴があったら入りたかったでしょうね。

 完全無欠で変わることない神様の愛「アガペー」とちがって、人間の愛「フィレオ」はペテロのように状況が変わると裏切ることもあります。でもイエス様はそんな不完全な愛でも、「あなたはわたしを愛せます(フィレオ―)か。」と問いかけてくださり、私たちが「フィレオ」の愛しか愛せませんと答えても、「わたしの羊を牧しなさい。」と言ってくださるのです。

​レンブラント「聖ペテロの否認」1660年。

目からウロコ
 

​使徒の働き9章3~19節

​ 先日、トム・ハンクス主演の映画「王様のためのホログラム」を見ていて、こんなシーンがありました。アメリカのビジネスマン(トム・ハンクス)が、サウジアラビアの病院で「結果は日曜日にお伝えします(日曜日に診察に来てください)」って言われ、「えっ?(日曜日に診療しているの?)」と聞き返すのです。安息日(→「はじめての教会用語辞典」のあ行「安息日」参照)の所でも書きましたが、イスラム教国であるサウジアラビアでは日曜日は安息日でもないただの日なのです。でも、トム・ハンクスどころか日本人の私たちも「えっ?」ってなりますよね。じつは私たち日本人の生活の中にも、聖書の慣習が深くかかわっているのですね。そのあたりは、仙台のお隣の山形にある同じ日本同盟基督教団の「山形恵みキリスト教会」のHPを開き、吉持尽主先生のブログの中にある「私たちと聖書①②③」をご覧ください。このタイトルにある「目からウロコ」も、日本人にはなじみの深いことわざですが、じつは聖書から出ていることわざだったのです。

 新約聖書「使徒の働き」に出てくるパウロは、イエス様を裏切ったユダが死んだ後に十二使徒に数えられ、聖書の後半部分の多くの手紙を書き、地中海世界を三度も旅してイスラエル以外の多くの国の人にキリスト教を伝えたひとですが、当初はキリスト教徒を迫害していました。彼(改名前はサウロ)は「ベニヤミン族」というユダヤ人の正当な家系の出で、ガマリエル(一世)という高名なユダヤ教の宗教的指導者(ラビ)について学んだ「パリサイ派」(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派」は行「パリサイ派」参照)の宗教家で、ローマの市民権ももっていました。つまり家柄、学歴、社会的地位においてエリートだったのです。彼はユダヤ教のエリートとして、「キリスト教徒を取り締まることが神様のためになる」と考えて、ガンガンに迫害をしていました。これに対して「突然、天からの光が彼をめぐり照らし」(9:3)、十字架から復活されたイエス様が「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのですか」と問いかけられ、突然目が見えなくなりました(9:8)。これ以降、超エリートだった彼は、人に手を引いてもらわなければ旅を続けられない社会的弱者になったのです(9:8)

 一方、神様は「律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良い」(22:12)アナニヤというキリスト教徒にも表れて、サウロが再び目が見えるようにしてあげなさい(9:12)と言われました。はじめはキリスト教徒の敵であるサウロを直すなんて…と、神様に不満を述べていたアナニヤですが(9:13~14)、神様に説得されてサウロを癒します(9:17)。「するとただちに、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになった。」(9:18)とあります。これが「急に物事が理解できるようになった」という意味の目からウロコの語源です。その後、エリート意識の強かったサウロ(「神を求め、神の知恵を得る」という意味)は「パウロ」(「小さき者」という意味)と改名して、キリスト教宣教に大活躍するのです。 

コルトーナ「聖パウロに視力を取り戻すアナニヤ」1631年。

Q1:じつは「目からウロコ」以外にも、聖書由来で日本人になじみの深いことわざがあります。それは何でしょう?

答え→マタイの福音書7章6節

 
ローマと教会

​使徒の働きなど

 ローマ帝国とキリスト教の直接の関りは、イエス様の時代にはほとんどありませんでした。イエス様が活躍された年代は、聖書の記述とローマ側の資料等からほぼ正確にわかっています。B.C.4年に生まれ、A.D.30年、もしくは31年に十字架につけられました。このころのローマは皇帝を神格化する以前で、広大な領土の属州を平穏に支配するために、その国や民族の文化や信仰の自由をある程度認めていました。この当時のローマ側からすると、イエス様の宣教も、これに対するパリサイ派やサドカイ派(→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派」は行「パリサイ派」を参照)の対立も、「ユダヤ教の内部のごたごた」程度の認識しかなかったようです。イエス様を十字架につける時も、ローマ帝国のシリア属州総督ポンテオ・ピラト(ポンティオス・ピラトゥス)は、ユダヤ人どうしで決めてくれと自分で判断することを放棄しています(マタイ27:24など)。

 キリスト教が、地中海世界を支配するローマの領域(右(モバイル版にあっては上)の地図を参照)に爆発的に広がったきかっけは、「ギリシャ語」と、神様から異邦人伝道を命じられたパウロの存在です(使徒10:9~11:18)。十字架後はエルサレムで共同体をつくって生活していた信者の中には、当時のシリアの言葉である「アラム語」を話す者と、地中海世界の国際語でローマの第二公用語でもある「ギリシャ語」を話す者たちがいました。やがて使徒以外に、「ギリシャ語」を話す七人が任命されてから(6:3~6)、エルサレム周辺以外にもキリスト教が伝えられるようになりました。さらにパウロの異邦人伝道の旅で、キリスト教はユダヤ人以外に積極的に伝えられ、ローマ帝国の支配していた地中海世界全体へ広がっていきました。イエス様を信じるグループが「キリスト者」(11:26)と呼ばれ勢いを増すにつれて、「パリサイ派」は彼らを迫害したものの、ローマ帝国はその対立を「ユダヤ教の内紛」と思っていたようです。実際、ユダヤ人がパウロを訴えた時も、ローマの地方総督は「あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう」(18:15)と裁判に関わるのを拒否しています。また、パウロがユダヤ教の主流派やユダヤ人の民衆に殺されそうになった時も、ローマの千人隊長は中立的な立場で争いを収めようとしています(21:27~23:35)。

 一方、当時のローマ帝国は、キリスト教と言うよりユダヤ教の民族主義を警戒していました。聖書の中にも、アクラとプリスキラの夫婦が「クラウディオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリアから来た」(18:2)と書いてあり、パウロとコリントで会っています。本格的な「キリスト者」弾圧があったのは、次のネロ(A.D.54~68年)の時代です。ネロ帝自身が火を放ったローマの大火(A.D.54年)の濡れ衣をキリスト教徒に着せ、多くのキリスト教徒を処刑しました。ペテロやパウロが処刑されたのも、この時だと言われています。

 しかし、まだネロの時代の迫害は単発的なものでしたが、これが組織的な迫害になったのは皇帝ディオクレティアヌスの時代で、A.D.303年の勅令でキリスト教は全面的に禁止され信者は残酷な迫害を受けました。この迫害が終わるのが皇帝コンスタンティヌスⅠ世の時代で、彼の発した「ミラノ勅令」(A.D.313年)でキリスト教は公認化され、テオドシウスⅠ世の時代(A.D.380年)についに国教化されました。

​ローマの領土はA.D.100年ごろに、地中海を囲むように最大になりました。

Q1:ピラトの裁判の場で、ひとりだけ「イエス様を十字架につけないで欲しい」と頼んだ人物がいました。それは誰でしょう?

答え→マタイの福音書27章19節

Q2:実は、一時、ヘブル語やアラム語を話すグループと、ギリシャ語を話すグループが対立しかけましたが、その原因は何でしょう?

答え→使徒の働き6章1~2節

Q3:パウロは教会で教える人が報酬をもらうべきだと考えていましたが(Ⅰコリント9:3~14)、自分自身は思うところがあって別の仕事をしながら伝道旅行を続けていました。その職業とは何でしょう?

答え→使徒の働き18章3節

 
エーゲ海旅行

使徒の働き15章1節~21章17節

 みなさんは、聖書の舞台についてどんなイメージをお持ちですか。砂漠の中でラクダに乗っているイメージでしょうか。「自然豊かな日本ではアニミズム(すべてのものに神が宿る)が自然で、キリスト教のような一神教は合わない」とおっしゃる方もいますが、実はキリスト教が広まったのは右(モバイル版にあって上)の写真のような地域で、イエス様の十字架の後の、特に使徒パウロの活躍と福音書以降の聖書の箇所は、ほとんどがエーゲ海周りと現在のトルコ共和国のあたりが舞台となっているのです→「使徒パウロの伝道の旅」今回は、リンク先を次々にクリックしながら楽しんでください。

 パウロは地中海を3回旅して、その後、ローマに連れて行かれます。第1回目はキプロス島経由で現在のトルコ共和国の内陸部に少し立ち寄り伝道しますが、本格的に異邦人に伝道していったのはA.D.49年の「エルサレム会議」(使徒15:6~29)以降です。アンテオケ→Google Mapアンタキヤにいたパウロは、同行者と喧嘩をして(15:39)徒歩で現在のトルコ共和国のアナトリア高原を突っ切るコースをたどります。途中、ギリシャ人の父を持つテモテと出会って旅に同行させます(16:1~3)。そこから神様の導きで現在のトルコではなく、マケドニア地方で伝道するように導かれトロアス(「トロイの木馬」で有名なトロイの遺跡のあるところ→Google Mapトロイの遺跡)の近く港から船に乗り、エーゲ海のサモトキラ島→Google Mapサモトケラ島を経由してネアポリス→Google Mapカバラの港に上陸します。港から10キロほど奥が、ピリポ→Google Mapピリッポイ遺跡です(16:11)。ここでパウロはルデヤと出会ったり(16:14)、女占い師を除霊したり(16:16~18)、投獄されてから牢屋から神様の力で脱出したりします(16:24~34)。その後パウロは、テサロニケ→Google Mapテサロニキで教えを説きますが(17:1~9)、ユダヤ人の反感を買いベレヤ→Google Mapベリヤに脱出します(17:10)。それからアテネ→Google Mapアテネでアテネ人と論争し(17:16~34)、次のコリント→Google Mapコリントスでも長くとどまって多くの人を改宗させます(18:1~18)。これはアテネとコリントの間の港ですが、パウロも魚とかを食べていたのでしょうか→「ヨーロッパ旅行記 ピレウス」。その後、エーゲ海を船で横断してエペソ→Google Mapエフェソス考古学博物館で伝道した後、地中海を突っ切ってカイザリヤに上陸し、エルサレムを経由してアンテオケに戻ります。これがパウロの第2回の伝道旅行です。

 第3回伝道旅行では、現在のトルコのアナトリア高原を巡りながらエペソに向かいます(使徒18:23)(アナトリア地方の風景→「タルーンの旅」。リンク先の写真を見ると、ほとんどラノベのファンタジーの世界ですね。パウロは、エペソに二年間滞在し(19:10)、さまざまな奇跡を起こしたり、アルテミス神殿→Google Mapエフェソスのアルテミス神殿を信仰する者たちと対決したりします(19:23~41)。その後、先述のピリポ、テサロニケ、ベレヤのあるマケドニア地方を巡り(20:1~2)、アテネやコリントのあるギリシャ地方に三カ月留まった後、ユダヤ人の陰謀を避けるため元来た道を戻り、ピリポから(20:6)とありますが、おそらくネアポリスの港→Google Mapカバラから船で現在のトルコ側のトロアス→Google Mapトロイの遺跡に戻ります。トロアスでは七日滞在し、途中、転落死したユテコという青年を生き返らせたりします(20:9~10)。トロアスからアソス→Google Mapアソスの港に行き、そこからパウロ自身は陸路を行くつもりでしたが(20:13)、みんなと一緒に船で旅をします。まずアソスからレスボス島のミテレネ→Google Mapミティリニまで行き(20:14)、さらにミテレネから別の船に乗ってキヨス島→Google Mapキオス島の沖合を通り、サモス島の港→Google Mapサモス島に立ち寄り、ミレト→Google Mapミレトスには翌日に着きます。直接、エペソに入ると長くなると考え、使いをやってエペソの教会の長老たちをミレト呼んで、パウロは別れを告げます(20:17~38)。ミレトからは、ロドス→Google Mapロードス島経由で、パタラ→Google Mapパタラ遺跡に行き(21:1)、そこから別の船でキプロス島→Google Mapキプロス島の沖の地中海を突っ切ってツロの港に着きます(21:3)。政情不安なエルサレムに行くことを止められ、しばらくツロに滞在して(21:4)、カイザリヤに経由で(21:8)エルサレムに帰還します(21:17)。

 リンクしてあるGoogle Mapは拡大縮小も自由ですし、写真も豊富にリンクされています。さらに拡大するとGoogle Street Viewが開いて、街中にいるような画像も手に入ります。どうぞリンクを開いていただいて、聖書にあるパウロの旅を追体験してみてください。

結婚式と聖書(加筆)
 

​コリント人への手紙第一13章4~8節

 多くの人にとって「教会に行く」「礼拝に出席する」経験をするのは結婚式の時ではないでしょうか。もちろん、本当の教会ではなく結婚式場のチャペルだったかも知れませんが、いずれにせよキリスト教式の結婚式は根強い人気があります。「キリスト教風」の結婚式でも、同じように聖書を読んだり讃美歌を歌ったりするのですが、その時に読まれる定番の聖書の箇所が、このコリント人への手紙第一の第13章です。よく聖書には「〇〇人」と出てくるので「人種が違うのか?」と現代の感覚で考えがちですが、これは「コリント(現在のギリシアの街コリントス)の人」の意味で、聖書によっては「コリントの教会への手紙」としているものもあります。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」(Ⅰコリント13:4)からはじまるフレーズは結婚式でよく聞きますし、お互いを尊重し結婚生活を続けていくための大切な真理を含んでいます。

 その他には、創世記の「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結びあい、二人は一体となるのである。」(創世記2:24)も、よく読まれます。「家と家の結びつき」ではなく「夫と妻が新しい家族の単位を作っていく」という結婚観は、この聖書の考えから出ています(かといって、父母を無視するのではなく大切にしていくというのは、モーセの十戒→「モーセの十戒」にもあるように重要な神様の命令です)。さらに、この「一体となる」には現在進行形の動詞が使われているそうです。つまり、結婚だけで完成するのではなく、結婚式をスタートとして「一体となっていく」のが結婚だと聖書は言っています。創世記のこの箇所を引用し、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教科のために自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペソ3:25)もよく読み上げられます。結婚式から帰ったら、該当する聖書を読んでみるのもいいですね。

 その他に、結婚式の定番の讃美歌として「いつくしみふかき」(讃美歌312番)や「妹背をちぎる」(讃美歌430番)がよく歌われます。イエス様の愛をうたった「いつくしみふかき」は、そのメロディを使って文部省唱歌「星の界(ほしのよ)/星の世界」として採用され、永らく学校で歌われていたので聴いたことのある人も多いと思います(→「いつくしみふかき/星の世界」)。一方、「妹背をちぎる」の方は、神様とともに歩む結婚生活を誓う歌で、これも「聴いたことがある」という人は多いと思います(→「妹背をちぎる」)。ちなみに「妹背をちぎる」のもととなった英語の讃美歌「When There's Love at Home」は、「愛のある家庭は美しく、喜びにあふれ、平和豊かで、ともに笑顔で…」みたいな、結婚式よりもちょっと先の結婚生活を歌っています(→The Cyber Hymnal "Whe Tere's Love ate Home"

フィラデルフィア
 

​黙示録3章7~13節

 アメリカの建国の地のひとつで「独立宣言の起草」が行われた街にフィラデルフィア(聖書の中のフィラデルフィアは現在のトルコ共和国の街です)があります。ニューヨークの近くにあり、人口150万人を超える大都市で、映画「フィラデルフィア物語」や「ロッキー」の舞台になりました。フィラデルフィア管弦楽団はニューヨーク・フィルなどとともにアメリカの五大オーケストラ(Big Five)に入る有名なオーケストラです。1682年、キリスト教の一派であるクエーカー教徒(キリスト友会、もしくはフレンド会)のウィリアム・ベンが、現在のトルコ共和国にあった古代都市「フィラデルフィア」(Φιλαδέλφεια:兄弟愛の街)からとって命名したそうです。もちろん現在4万人弱の街(現在の名まではアラシェヒル)の名前をわざわざ付けたのは、ウィリアム・ベンが当時のトルコのことをよく知っていたからではなく、聖書の黙示録で神様に褒められていた街だったからなのでしょう。

 「黙示録」とは神様や神秘的な存在から、一般の人にわからないように謎の言葉で示された預言(→「はじめての教会用語辞典」のや行「預言者」を参照)を書き留めたものを指す一般的な単語ですが、この場合は聖書の最後に掲載されている「ヨハネの黙示録」を指します。神様は、使徒ヨハネに、これから起きることを書き留めて七つの教会に手紙を送るように示しました。その七つの教会とは、①エペソ(現在のトルコのエフェソス遺跡)の教会(2:1~7)、②スミルナ(現在のトルコ第三の大都市イズミル)の教会(2:8~11)、③ベルガモ(現在のトルコのベルガモン遺跡)の教会(2:12~17)、④テアテラ(現在のトルコの人口10万人ほどの街アクヒサル)の教会(2:18~29)、⑤サルデス(現在は遺跡しかのこっていない)の教会(3:1~6)、⑥フィラデルフィア(現在のトルコの人口4万人弱の街アラシェヒル)、➆ラオデキヤ(現在のトルコに小さな村と廃墟・遺跡がある)教会である。興味深いことに聖書の「黙示録」でほめられた教会の街は現在まで続いており発展していて、不信仰を指摘された教会の街は、現在は消えて遺跡になっています。不思議ですね。

​現代のアメリカの都市「フィラデルフィア」Pixabay

Q1:神様はフィラデルフィアの教会のどこが良かったと言っているのでしょう?

答え→黙示録3章8節

Q2:神様はラオデキアの教会のどんな点が良くないと言っているのでしょう?

答え→黙示録3章15~16節

​世界史教科書の真実
 

聖書全般をふり返って

 「キリスト教なんて私にはなじみがなかった」とおっしゃる方、このホームページで読んでこられた聖書の内容は、実は、みなさん高校の「歴史」の授業ですでに学んでいます。日本では、1989年版学習指導要領(=1992年施行)から高等学校の「世界史A」もしくは「世界史B」必修科目になっており、現在40歳以下のすべての日本人が学んでいるのです(40代以上の方も「世界史」や「西洋史」を勉強した方はならっています)。その必修科目である「世界史A/B」が、いかに「キリスト教の歴史を説明するためにあったか」を、このコラムで見ていきます。もちろん文科省や教科書執筆者がそう考えたのではなく、そもそも世界史の内容のもととなった西洋史の研究がそうなっているからなのです。

 例えば、多くの進学校で使っている山川出版社の『詳説 世界史B』の教科書を見てみましょう。バビロン捕囚のころにインダス川から現在のトルコあたりまでの広大な領域を支配していた「メディア」という王国は名前しか出ていないのに、ユダヤ人に関わることは、関わった王様の名前から動向までこと細かく出ているのです(→旧約聖書を読んでみよう「バビロン」「失われた十部族」参照)。また他にも、捕囚された民族、帰還した民族は数多くいるはずなのにユダヤ人だけが取り上げられ、ユダヤ人を帰還させたクロス王(キュロス2世)の名前もチャンと教科書に出ています。

 

 前6世紀半ば、イラン人(ペルシャ人)のキュロス2世がアケメネス朝をおこし、メディアとリディアを征服したのち、前539年にはバビロンを開城して、翌年ユダヤ人を捕囚から開放した(p.23、太字は教科書通り)。

 他にも、「イエス様は神様か人間かという論争があって、三位一体の神様であることが認められたよ」と言うキリスト教のマニアックな内容も、日本のすべての高校生が、しかも太字で書かれた内容として勉強しているのです。

 325年にはコンスタンティヌス帝が開催したニケーア公会議においては、キリストを神と同一視するアタナシウス派が正統教義とされ、キリストを人間であるとするアリウス派は異端とされた。アタナシウス派の説はのちに三位一体説として確立され、正統教義の根本となった(p.48、太字は教科書通り)。

 多くの人は「歴史は過去におこったことを書いたものだ」と誤解していますが、本当は「現在のことを説明するために必要なものを集めて再構成したもの」なのです。つまり、欧米の文化や価値観の基盤になっているキリスト教を説明するために西欧の歴史を研究しているのであって、いくら強大でも聖書に関係のない「メディア」は小さく扱われ、他の民族も解放されただろうけどユダヤ人の解放だけが取り上げられているのです。その反面、モーセも、モーセの出エジプトも、ダビデ王も、ソロモン王(→旧約聖書を読んでみようの「出エジプト」「モーセの十戒」「ダビデとゴリアテ」「ソロモンの箴言」参照)も、みんな日本人のすべてが学ぶ「世界史B」の教科書に、歴史の教科書の重要な語句を示す太字で書かれています

 しかしエジプトでは新王国のファラオによる圧制に苦しみ、前13世紀に指導者モーセに率いられてパレスチナに脱出した(出エジプト)(p.22、太字は教科書通り)。

 山川の『世界史B』は、第1章「オリエントと地中海世界」からはじまります。このあたりのいろんな国の歴史が「つまみ食い」のように出て来て、なじみのない地名や人名ばかりで、世界史を勉強する高校生は大変だと思います。なぜ、そんな風に見えるかというと「旧約・新約聖書に登場する事件の歴史を説明する」という心棒について、先生も高校生も見えていないからなのです。ということは、聖書が分かれば世界史がもっと分かるようになるということですよね。そうです。だから、いずれ独立した「世界史学習のための聖書講座(仮)」などのコーナーを設けて、高校生のみなさんに役立ててもらおうと考えています。

木村靖二・他『詳説 世界史B』山川出版社、2014年。

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