聖書の舞台(生活・習慣)
 

メッセージに聖書の舞台の生活や習慣が出てきたら、それをフリー写真を使って解説していく「聖書の舞台」です。クリスチャンの方も、そうでない方も、聖書をより身近に感じられるようになりますように!

 

あ行

アドベント・クランツ

 最近、セレブな奥様たちの間で「クリスマス・リースよりいけてる、おしゃれなクリスマスの飾り」「ヨーロッパの家庭には必ずある、おしゃれな風習」としてアドベント・クランツづくりが流行っているようです。ネットでもおしゃれな生活に色どりを添える素敵なアイテムとして語れていますが、「つくり方」は書かれていても「使い方」は全く書かれていません。教会的にはトホホです。

 アドベント(到来)クランツ(ドイツ語のっクリスマス・リース)は、英語で「アドベント・キャンドル」といういい方もして、クリスマス直前の日曜日(2019年なら12月22日)を第四週と数え、第一週(2019年なら12月1日)から1本ずつキャンドルを灯し、救世主がこの世に到来したこと記念する日が近づくのを数えつつ待つのです。ですから、ネットにあがっているように、いきなり全部のろうそくを灯して飾っているのは、まったく意味をなさないのです。

 子どもたちのために「アドベント・カレンダー」と言うのがあって、カレンダーの日付の部分を開けるとお菓子が入っていて、子どもたちは毎日ひとつづつ窓を開けて、毎日、お菓子を食べることを楽しみにしながらクリスマスの日を数えるというものがあります。最近ではいろいろなところでクリスマスグッズとして売っていますから、見たことのある人もいるでしょう。そうやって数えつつ心待ちにするのが本来のあり方です。

 アドベント・クランツをつくり、いきなり全部キャンドルに火を灯すのは、アドベント・カレンダーをもらった子どもが、いきなりお菓子を取り出してしまうのと同じで、正しい使い方ではありません。 

安息日

 安息日とは、一週間の始まりにあたって肉体的・精神的な労働を中断し、平安のうちに神様に向かう日を指します。その期限は、創世記において神様が天と地を創造された時に六日で完成されて、「第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。」(創世記2:2-3)ことにはじまります。そして、自分たちだけではなく、奴隷や家畜まで休ませ、平安のうちに神様に向かうことは、人間が神様のもとに幸せに暮らすための約束でした。「十戒」の四番目に「安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。」(申命記5:12)とあるのは、なにも神様が人間に無理な「戒め」を与えるためではなく、神様のもとに平安に暮らすためであったことがわかります。日本は昔、盆と正月の年二回以外に休みがなかったことを考えれば、実に人間的な制度ではありませんか。ですから、私たちクリスチャンは、日曜日は仕事を休んで教会に行き、神様を礼拝し、みんなと楽しく交わるのです。

 安息日以外に6年間耕して7年目に畑を休ませる「安息年」や、7×7=49年の次の50年目は「ヨベルの年」と呼ばれ、借金の肩に取られていた先祖伝来の土地が戻され、身売りをしたイスラエル人が自由になって故郷に帰れるなど、人間的な失敗のリセットもされました。

 週の安息日は、ユダヤ教では土曜日でしたが、イエス様の復活後は三日目(三日後ではなく、その日(金曜日の夕方)→次の二日日(土曜日)→その三日日(日曜日))の復活の朝の日曜日にかわりました。ですからキリスト教を基盤とする西洋諸国発祥のカレンダーは「日曜日が週の始まり」なのです(写真のエクセルのカレンダー参照)。土日を週末というのは間違いです。ちなみにイスラム教は「金曜日」を安息日としています。ちなみに昔の中東では日没から一日がはじまる数え方でしたから、イエス様を十字架からおろして急いで埋葬したときが「安息日が始まろうとしていた。」(ルカ23:54)とあるのは、金曜日の日没近くで、ユダヤ教の安息日である土曜日が始まろうとしていたということです。

 このように神様のもと人間らしい平安な生活を送れるために神様が設定された安息日ですが、そのうちユダヤ教が人間の手で拡大解釈される中で「何歩までなら歩いてよいのか?」「電気のスイッチを入れることは労働か?」「洗濯機をまわすことは奴隷を働かせていることになるのか?」なんて議論が真剣になされるようになりました。こんな議論を神様はトホホという気持ちで見ているのでしょう。

アドベント・クランツ…第1週目の正しい使い方(ひとつしかロウソクを灯さない)

エクセルにある、日曜始まりのカレンダー

イースター

 イースター(復活祭)とは、私たちの罪を背負い十字架につけられて葬られたイエス様が復活した、キリスト教でも最も重要なお祝いの日です。クリスマスがイエス様の誕生(神様による人類の救いのはじまり)を祝う祭にたいして、イースターは「神様による人類の救いの完成」ですから、さらに重要で、ヨーロッパの金融市場はその前後をお休みにするそうです。イースターの日は、「春分の日の後の最後の満月の次の日曜日」と決められているので、クリスマスとちがって毎年、日にちが移動しています。2019年は4月21日、2020年は4月日、2021年は4月4日となっています(東方教会は旧暦を使うのでイースターもクリスマスも日にちがちがいます)。だいたいは3月の終わりから4月にかけてですが、なぜか東京ディズニーランドは6月までイースターのお祭りをやっています。

 動かない卵から新しい命が芽生える不思議から、卵はイースターの象徴として取り扱われ、カラフルな色付けをしたイースターエッグを作ったりします(右写真、モバイル版にあっては下写真)。帝政ロシアのロマノフ王朝では、「インペリアル・イースター・エッグ」という宝石をちりばめた豪華なイースターエッグを作ったそうです。映画「名探偵コナン 世紀末の魔術師」でもありましたね→映画「名探偵コナン 世紀末の魔術師」。イースターエッグを家や教会堂の中に隠しておいて、子どもたちに「宝さがし」をさせる遊びもします。ちなみに、コンピューターソフトの開発者が、完成した時に開発チームへの謝辞が表れるように仕掛けをしておくことを、この遊びにちなんで「イースターエッグ」というそうです。粋ですね。

 また、比較的新しい風習(16~17世紀)ですが、春にたくさんの子を産むウサギを豊穣のしるしとみなす「イースターバニー」の風習から、ウサギと卵をイースターの象徴とすることもありますが、キリスト教と直接の関係はありません。

Pixabay

 

か行

カナン人の宗教

 神様がアブラハムに約束した「約束の地カナン」、そこで「先住民族をすべて滅ぼせとは、キリスト教の神様は何と心のせまいのか」「多様な民族や宗教を尊重する寛容さこそ必要ではないか」「異民族となれあって、その地で共存したイスラエルの民の方が理解できる」と、現代人なら一見して考えることでしょう。しかし、当時カナンにはびこっていた「異教」のえげつなさを知れば、そんなレベルの話ではないことがわかります。

 彼らの宗教の主神は、男神バアルと女神アシュタロテ(アシェラ)であり、考古学的にも様々な発掘がなされています。例えば、発掘されたアシェラは乳房と性器がたくさんついた女神像や、お馴染みの顔や手がたくさんある像として表現されています。これらの宗教では幼児犠牲や神殿男娼・娼婦がさかんになされていました。考古学的な解説の多い『聖書ハンドブック』(聖書図書刊行会、1995版)から一部引用してみましょう。「マカリスターは、バアルの犠牲に供された子供の遺骸の入った壺を多数発見した。そしてこの地域全体は生後間もない子供の墓地であることが分かった。このほかにも彼らが「定礎犠牲」(人柱)と呼んだ恐るべき習慣がある。これは、家を建てる時、残りの家族に幸福をもたらすため、幼児を犠牲にし身体を壁の中に塗りこめた。これもゲゼルで発見され、またメギドでもエリコその他でも多数発見された。」「カナン人は宗教儀式に変えて不道徳にふけり、これを彼らの神神(ママ)に対する礼拝としたのである。またさらにこれらの神々に対する犠牲として、彼らの最初の子供は殺された。」(163ページ)と解説されています。本には実際の幼児の骨の写真も掲載されていますが、おぞましくてそれを掲載できません。

 神殿で神殿男娼や娼婦を買ったり乱交にふけることが礼拝で、その結果できた最初の赤ちゃんを殺して捧げたり、家を新築したら自分の子どもを殺して壁に塗り込んだり…そんな生活をしている民族とその風習を、聖書は「彼らの不道徳」と言っているのです。「不道徳」とは何とソフトな表現でしょう。そして彼らとなれ合った妥協したというのは、現代人の考える「お互いに共存した」というのではなく、このおぞましい風習をイスラエル人が取り入れたという意味です。それをずっと我慢して、神様に立ち返ることを待っていた神様って、すごい忍耐ですね。

 

さ行

過越の祭り New

 「過越の祭り」とは出エジプト→「旧約聖書を読んでみよう」の「出エジプト(で海を割る話」参照に起源をもつユダヤ教の重要なお祭りです。四百年間エジプトで奴隷をしていたイスラエルの民をエジプトから連れ出すために、神様が10のわざわいをエジプトにもたらしました。その最後のひとつが「エジプトの長子は、王座についているファラオの長子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の長子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。」(出エジプト11:5)というものでした。その日は夕暮れまでに子羊を屠り「その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。」(12:7~8)「はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と二本の門柱にある血を見たら、はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。」(12:23~24)という出来事からはじまった祭です。太字のは、神様のことを指し、一般的なご主人さまとして区別しています。また種なしパン(イーストなどのパン種をいれて発酵させずに作るパン。簡単な道具で時間をかけず、非常時でも旅先でもすぐに作ることができた。非常時の象徴)を食べることから「種なしパンの祭」とも呼ばれているます。

 いずれにせよ、イスラエルの民が神様の奇跡的な力でエジプトから脱出し、奴隷状態から解放され、神様に導かれて荒野を旅することになった民族の歴史と誇りを象徴するような重要な祭になっています。

 これが実は後の時代に、イエス・キリスト(犠牲の子羊の代わり)の血と肉によって罪から解放され、神様による罪ゆえの滅びを「過ぎ越され」て救われることになったことのひな型だと言われています。イエス様をキリスト(救い主)だと認めていないユダヤ教では、今も「過越の祭り」を守り、イエス様の十字架と復活で神様の救いが成就したと理解しているキリスト教では「復活祭(イースター)」をお祝いしています。 

輸入食品として市販されているイスラエルの「種なしパン(マッツォ)」。皿ほどの大きさのクラッカーを想像してください。過越し歳で食べます。

 

た行

 

な行

 

は行

墓と埋葬

 イエス様の墓は、弟子となっていた「アリマタヤの金持ちヨセフ」(マタイの福音書27:57)が自分のために造った新しい墓だったと聖書に書いてあります(27:60)。多くの貧しい人は、中を棚のように彫り込んだ公営の共同の墓地に埋葬されるので、時々、転がして開け閉めができるように大きな円盤状の石で入り口をふさぎます(ちょうど写真のような感じです)。金持ちの場合は、墓に適した場所を買って新しく彫って、自分専用のお墓にします。「アリマタヤの金持ちヨセフ」は金持ちだと書いてあるので、イエス様の埋葬された墓は、共同墓地ではない「新しい墓」だったということです。

 埋葬する時は、「きれいな亜麻布に包み」(マタイ27:59)とありますが、まず没薬のような香料や香油で身体を清め、いろい衣を着せるか布に包み、顔はスダリオンと言う被いをかけます。そして包帯で手足や全身をぐるぐる巻きにしたそうです。「イエス様が復活したのではなく、仮死状態だった」という人もいますが、そうだとすると、ローマ側の番兵がいたのですからこの状態から自分でぐるぐる巻きのミイラ状態の包帯からの「縄抜け」をしなくてはなりません。しかもルカの福音書には、使徒たちが駆け付けて中をのぞくと「亜麻布だけがあった」(ルカ21:12)というのですから。

​母の日 

 五月の第二日曜日にお母さんにカーネーションを贈る「母の日」は、聖書に起源はありませんが、実はキリスト教会からはじまったものです。1907年5月12日にアメリカのウエスト・バージニア州フィラデルフィア市(→新約聖書を読んでみようの「フィラデルフィア」参照)の教会で、教会学校(→はじめての教会用語辞典のか行「教会学校」参照)の先生をしていたアンナ・ジャービスという女性が、教会学校の中でお母さんの大切さを説き、アンナのお母さんが好きだった「白いカーネーション」を贈る式を持ちました。これが「母の日」のはじまりだと言われています。これに感動した教会の人人が、翌1908年5月10日は500人規模の会を持ち、「白いカーネーション」を贈る祈念会を持ちました。この活動が広がり、1910年には「5月の第二日曜日を母の日とする」とウエスト・バージニア州知事が宣言し、やがてアメリカ全土に広がりました。日本では1913年に青山学院ではじまったと言われています。ちなみに日本やアメリカを含む多くの国で「母の日」は5月の第二日曜日ですが、世界的には別の日に「母の日」を祝っている国も少なくはありませんし(→「世界の母の日特集」参照)、必ずしもカーネーションを贈るもののではありません。

 「白いカーネーション」ですが、はじめは亡くなったお母さんを想う追悼式典でだったので、アンナのお母さんの好きな「白いカーネーション」にちなんでこれを贈っていました。やがて生きているお母さんにも感謝しようということになり、生きているお母さんには「赤いカーネーション」を贈ることが定着したのです。また「母の日」を「日頃の家事労働をありがとう」みたいに考えている人もいますが、そもそもアンナのお母さんは、南北戦争時に地域女性の力を集結して敵味方なく衛生状態を改善しようとした社会活動家で、Mother’s Work Day’を創設した方です。そのお母さんの功績をしのんで創設されたのですから、「母の日」は女性の社会的活躍を祈念した会だともいえます。

 さらに言えば「モーセの十戒」は、神様に関わる1~4番と人間に関わる5~10番に分けられますが(→旧約聖書を読んでみようの「モーセの十戒」参照)、その人間に関する戒めの第一番目に「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)があるのですから、キリストの信仰とも合致しているわけです。

古代イスラエルの墓の入り口(Pixabay)

(PhotoAC)

​ペンテコステ New

​ キリスト教関係のイベントでクリスマスは有名ですけれど、「イースター」と「ペンテコステ」は、一般の方にはあまり知られていませんが、とても重要なイベントです。聖書にはこう書かれています。「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。するとみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国の言葉で話しだした。」(使徒2:1~4)とあります。右(モバイル版においては上)のグレコの絵でみんなの頭の上にあるのが「炎のような分かれた舌」でしょうか。ちなみに鳩は、イエス様が洗礼を受けられた時「天が開け、聖霊が鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。」(ルカ3:21~22)とあることから、聖霊=鳩のようなかたちと描写したのでしょう。

 この聖霊降誕のことをペンテコステと言います。ペンテコステとは「ペンタ=5つの」からきた言葉で、復活の業がなしとげられた「イースター」を第一日目と数えて50日目(旬=10日)なので「五旬節」とも言います。クリスマスが「救い主であるイエス様のお生まれ」を記念した日ですが、イースターは「イエス様が十字架につけられ私たちの罪を背負い死なれた後に復活して、神様の業が完成した日」であり、ペンテコステは「その後、イエス様の約束通り、私たちの信仰生活ために聖霊様がおくられた日」なのです。ですから「救いの完成」から見ると、クリスマス同等に大切な日の一つなのです。

エル・グレコ「聖霊降誕」1605~1610年ごろ(部分)

 

ま行

​幕屋

 幕屋と言うのは、直接はテントのことですが、旧約聖書で言う場合、右(モバイル版にあっては上)のような「契約の箱」を納めるテントのことを指します。ちなみにこれは、Amazonで買える「契約の箱型の小物入れ」です(こんなものを買ってどうするのでしょう?)。モーセの時代はテントでしたが、ソロモンの時代以降は立派な石造りの神殿になりました。そこで、後にはユダヤ教の聖所のことを指すようにもなりました。

 この聖所は、テントの周りの庭を囲む目隠しの布の塀で囲まれており、布の幕の中にはユダヤ教徒の男性しか入れませんでした。そこの祭壇で動物犠牲の儀式を行ったのです。さらに庭の中にあるテントの中は「聖所」と呼ばれていて、祭司だけが入れました。さらにテントの中に一枚仕切りの布があって、その奥に「至聖所」と呼ばれる場所があり「契約の箱」が置かれていて、そこには年に一度、大祭司と呼ばれる地位の人が全イスラエルの民の贖いのための儀式を行うためにしか入ることが許されなかったのです。

 なお、この項目は複雑になりますので、以上、2019年11月03日のメッセージを理解できる最低限の説明のために書いておき、後に正確に調べて加筆・修正します。

 

契約の箱の模型(Amazon)

 

ら・や・わ行

​律法

 聖書になじみのない方に対して分かりやすく記します。執筆は信徒です。

 みなさんも「モーセの十戒」というのを聞いたことがあると思います→「旧約聖書を読んでみよう」の「モーセの十戒」参照。「安息日を守りなさい」とか「盗んではならない」とか言うものです。神様がイスラエルの民を選んで、周りに悪魔的な異教を信じる民族が多かったこの地で、イスラエルの民が神様に従って生きることのできるように、神様が細かく定めたものです。律法には「誤って他人の牛を殺してしまった場合どうするか?」などの法典に関するもの、神様に対してや人間同士の関係に関する道徳的なもの、神殿での儀式やお祭りに関する祭儀に関するものなどがあります。

 しかしイスラエルの民は、次第に「律法を守ること」が目的化してきて、つぎつぎに新しい律法を勝手に作り自分自身を縛っていきます。その内容も「安息日は休むように十戒にあるが、何歩までなら歩いてもよいか?」とか「安息日に電気のスイッチを入れることは、労働になるのか?」なんていう議論まで出てくるようになりました。これは本来、神様が設定した「神様を信じてよりよく生きるように」というものとは、かけ離れたものです。さらには「どうしても律法を守ることのできない立場の人」や「律法を知らない異邦人」を蔑むようになりました。神様がイエス様を初めて世に送り出したときに、真っ先に礼拝を許された羊飼いたちは「安息日だからと言って羊をほっておくわけにはいかない」「律法に定められたからと言って野にあって手や身体を清めることのできない」存在で、律法主義をとるパリサイ人たち→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照からは蔑まれた存在でした。そこに救い主が現れたのですから、ある意味驚きだったのです。ちなみにイスラエルの民が伝えてきた「律法」(旧約聖書に書かれたものに付け加えられたもの)は、紀元70年のローマ軍による侵略で焼かれ、現在のユダヤ教のものは「口伝律法」を再文書化したものだそうです→「聖書の舞台(人物・組織)」のは行「パリサイ派(パリサイ人)」参照。しかし、ユダヤ教の一部の人はそれを認めていません→「聖書の舞台(人物・組織)」のさ行「サドカイ派(サドカイ人)」参照

 律法とともに選びの民としてのイスラエルの民によって保存されてきた救いの計画の歴史は、イエス様の誕生によって新しい救いの計画に移行し完成を見たのです。

ろばの子

 エルサレム入城の時にイエス様が乗られたのは「ろばの子」です。粗食に耐えるというメリットはありますが、馬と比べて小さくて見栄えが悪く、頑固であつかいづらく、駆け引き下手で言うことを聞かないという動物で、この日のメッセージが「ろばの子」を私たちに例えたのは、的を得た例えだったのかもしれません。ですから、多くの民族で「愚か者」の象徴になっています。右(モバイル版にあたっては下の)の絵を見ても、何だか見栄えば悪いですよね。聖書では「ろばの子に乗って」(マタイ21章5節)と書いてあるのに、この絵では一緒に連れてきた「母ろば」に乗っているようにも見えます。手前のろばの子だとあまりに小さすぎて、イエス様が乗っている姿が絵画的にバランスが取れないと、このイタリアの画家が考えたからでしょうか?

 一方、第一列王記1章33節で、栄華を誇ったイスラエルのソロモン王が乗っていたのは「騾馬(ラバ)」で、オスのろばとメスの馬を掛け合わせた動物です(メスのろばとオスの馬の場合、ケッティと言います)。ろばのように粗食に耐えますが、馬のように大きく利口であつかいやすい動物だったようです。時代によりますが馬の何倍も、何十倍も高価だったようです。

ユダヤ教の律法「トーラー」

ドゥチョ・ディ・ブオニンセーニャ「キリストのエルサレム入城」1311年(部分)

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