悟りと救い
- 秋山善久

- 3月29日
- 読了時間: 2分
一年程前から、気が合った人たちと仏教の学び会をしています。先日は、「善悪不二」ということを学びました。「ぜんあくふに」と読み、善と悪は別々のものではなく、善の中に悪があり悪の中に善が在するというものです。悪とされていたことが、いつの間にか善とされていたり、反対に善とされていた人の中に悪が見出されたりする。こうしたことが起こるのは、もともとこれらが一つであったということのようです。
最近のニュースに触れるとき、確かにそうしたことを考えさせられます。例えば、コロナウィルスの感染対策としてのワクチン。当初は対策の切り札として持てはやされました。けれども、その後は後遺症が出たり、これが原因で死亡したケースが多く報告されたと聞きます。これに懸命に関った人たちが、善とされたり悪とされたりしているのを聞くと、今の時点で裁かれることにやりきれない気持ちになったりします。戦争にしても、複雑な事情が絡み合っていることがわかってきて、どちらが善でどちらが悪か明確に判断できない。
そうしてみると、人間の中に善と悪が入り混じったものがあると説かれるのは、キリスト者である私も納得します。けれどもキリスト教が仏教と大きく違うのは、福音はこうした混沌とした人間性の中に悟りのような光を見るのではなく、人間の中には深く染み込んでいる罪という現実を認めていることだと思うのです。キリストの十字架というあらわれでした。仏教の学び会でも「聖書は人の罪を正直に書いているんですね」と感想が語られました。
そうした声を聞きながら、全的堕落という教理を思い出しています。




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