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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 9月20日

更新日:9月27日

 キリスト教を受け入れない日本の精神風土を、沼地にまかれた種に例えたのは作家の遠藤周作氏でした。確かに隣の国である韓国と比較すれば、キリスト教のスタートは同じなのに、教会数にしても信徒数にしても、今に至って日本では圧倒的な少数に留まっています。

 そんな現状を受け入れながら、最近、子どもの頃、我が家の田んぼで母が稲作に格闘していたときの情景が、しきりに頭に浮かんできます。戦後の農地改革がされた後も、我が家の耕作地はとても狭いものでした。そのため、耕作に適さない土地であっても、必然的に耕作しなければならない。その中に殊更に水捌けの悪いヒドロと呼ばれる、暗渠排水のない田んぼがありました。そこは一旦、足を踏み込むとズブズブを体が泥の中に沈み込んでしまう沼地です。一人で作業をしていたら、助けを呼ばないと抜け出ることができなくなる程に危険とされていました。それなら耕作しなければいいのですが、我が家にはそんな余裕はありませんでした。それ以上に、そうした猫の額程の土地でさえも、母は自分の領分と考えていたようです。

 夕闇が迫ると、胸のあたりまで泥に沈み込んだ母の体は、人と分からない程に黒い塊に化していきました。わたしは畦道に立ち尽くしたまま、恐怖に怯えながら、「早く家に帰ろう」と、弱弱しく声をあげているのでした。それでも母は、一向に手にした稲の苗を離そうとはせず、「だいじょうぶだあ」と黙々と植え続けていました。

 母が亡くなって30年が過ぎ、わたしの齢は既に母より5年も長生きしています。それでも、あのしぶとさにはかなわないなあと感じるのは、自分の取り組みのどこかに引け目があるからでしょう。せめて沼地であることを諦めない母の姿勢は、自分なりに引き継ぎたいと思っています。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 9月13日

 雨不足が懸念されていたのが、一転して各地で洪水のような大雨になっています。テレビの気象予報士によれば、海水温が例年より高いことが原因で、海から昇った大量の水蒸気が北から押し出された寒気に触れて大雨になっているとのこと。もっとも、線状降水帯を造る雲の流れは、様々な気象条件が重なっているようですが。

 雨と海の関係は、小学生でも知っていることですが、近代になる以前には発想すらなかったのではないかと考えられます。なぜなら真水となる雨としょっぱい海水は、全く別物と考えられていたからです。実際、海水を真水にするなんて、昔はとてもできない高等な技術でした。だから海の水が雲を造り、それが雨となって空から降ってくるということは、容易に受け入れらるものではなかったでしょう。今では常識である水の循環というものは、自然科学の発達によって、人々に知られるようになったのでした。

 それだけに、紀元前400年頃のパレスチナで、海と雨の関係が語られていることに、啓示の力というものを感じます。そこには、地に降り注ぐ雨が海の水から運ばれていることが語られているからです。「万軍の神は…天に高殿を建て、地の上に丸天井を据え、海の水を呼んで、地の表に注がれる方、その名は主」(マラキ書9章6節) 天の高殿というのは、地上世界と一線を画する神の領域です。地の上に丸天井が据えられたという表現、これも丸い地球を予表しているとも読み込める。そして、万軍の神は、海の水を用いて地のすみずみに雨を降らせるというのです。当たり前のように思っていることの中に、深い神の知恵が隠されているように思えてなりません。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 5月11日

5月の第二日曜日は母の日です。今では広く知られていますが、この習慣が始まったのは1905年、アメリカのウェブスターの一教会での出来事が由来とされています。

 アンナ・ジャービスという女性が、母の追悼集会にたくさんのカーネーションをもって来て母への感謝を表したというのです。そのことが、出席していた人々に深い感動を与え、その波紋が広がったたことがきっかけとなりました。その後、ジョンワナメーカーによって、5月の第2日曜日が母の日として記念されるようになります。さらにアメリカ議会は1914年、母の日を国民の祝日と制定するに及びました。

「あなたの父と母を敬え」とはモーセの十戒においては第4戒です。パウロはこれを「約束を伴った第一の教え」と語っています。(エペソ6:2)

 旧約の時代から、神の民は律法により親への敬意を教えられたのでした。但しこの教えは、他の戒めのように懲罰的な枠で規範をつくるのではなく、祝福があかしされることによって教育されたのです。

 宗教改革者カルバンは、子供が親を敬うことは、人が神を畏れることに繋がると言っています。人間関係の秩序が、創造者と被造物という縦の関係を導くとするのです。裏返してみれば、子供が親を敬うことをなくして、神を信じることは難しいものがあるということです。そこに親側の責任があるといえるでしょう。

 親であれば誰でも、子供の将来が幸せであってほしいと願います。そうであればこそ、神が約束しておられるところに立脚すべきという思いを一層強くします。

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