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愛の中に

2024年2月14日
読了時間: 2分

更新日:2024年2月15日

牧師室の壁に、小学2年生の子どもたちから届いたA3サイズの手紙がかけてあります。昨年、生活科の授業で町探検があったとき、教会にきてくれた子どもたちが作った「すてき新聞」です。住んでいる町内で「みつけたすてき」の中に教会が入っているのは感謝です。

 この会堂を建設したのは、還暦を過ぎて牧師になった藤森誠之先生です。以前、藤森先生は東京で中学校の教師をしていました。定年を前に退職して、奥様と共に神学校に入学して牧師への道を歩まれたということです。卒業後に仙台で開拓することに決めたのは、神様に示されたということの他に理由はないと聞いています。伝道の初めに会堂を建設するため、武蔵野にあったご自宅を売却して資金としました。背水の陣でしたけれども、4年後に奥様が癌のため天に召されてしまいます。更に5年後の2000年2月20日の日曜日の朝、先生自身も、突然天に召されてしまったのでした。単立教会のため、教会活動はそこでストップし、集まっていた人たちは皆散ってしまいました。

 当時、仙台市の東で開拓伝道をしていた私たちは、そうしたことを全く知りませんでした。ですからファックスで不動産屋から流れてきた教会の売り物件という情報には目を疑いました。仙台のぞみ教会では、その頃、家主の都合で借りていた家を出なければならなくなっていたからです。そのため連日、教会に改装できるような中古物件を懸命になって探していたのです。数少ないメンバーでこの教会をみたとき、信じられないぐらいに設備がすべて整っていることに驚きました。「明日から礼拝ができる」と口々に言い合ったのは昨日のことのように思えます。それで急いで購入が決まったのでした。あれから22年の歳月が経ちました。教会の前の道を、今日も子どもたちが登下校しています。この地に会堂があることに不思議な導きを思わされます。藤森先生の奥様である泰子さんは、亡くなるひと月ほど前の

ノートにこう記したそうです。「神の愛がすべてです。それを確認しました」

 
 
 

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