持ち寄り愛餐会

礼拝の後で月1回の愛餐会をしました。一昨年から持ち寄りとして、各自が何を用意するかは全くの自由にしています。そこで何が出るのか予想がつかないことも起こります。前回のときには、T夫妻は山形風の芋煮を持参してくれました。鍋には、メインの里芋、牛肉、ねぎ、コンニャクなどが入って醤油で味付けしてありました。 今回、T夫妻は宮城風にして作ってくれました。肉が牛肉からブタ肉になり、具材が増え、味噌で味付けしてあります。どちらもおいしく甲乙つけがたいものがあります。テーブルにはその他に、おにぎり、サラダ、コロッケ、卵焼きなどが並びました。 こうしたことができるのも、教会が少人数で家族的になっているからでもあります。小人数のままでいることはいいことではありませんが、今であるからこそ楽しめることを大事に考えていきたいと思っています。

初秋風景

紅葉というにはまだ早いのですが、木々の葉に黄色が混じるようになってきました。気温が一気に下がって仙台の最高気温は17度です。二三日前までは暑い暑いといっていたのですから、この急激な変化には体ばかりでなく、頭もついていけない感じです。 散歩で出かけた自然公園の端で、宮城野萩の枝が力なく垂れていました。小さいながら高貴な色をした花びらは、先端から枯れはじめています。広場は芋煮をするグループで賑わっていました。芋煮は、鍋に入れる材料だけでなく、秋の空と水辺が揃うことが大切な要素となります。ここは通い慣れた家からの散歩のコースです。でも今はこの広場に一緒に足を運 んだ愛犬がいないことが痛く思い出されます。ひと月程前に病死したからです。気分転換の つもりの散歩が、曇り空と相まって一層メランコリックな気分にさせられます。

記憶の不思議

眠れない原因の一つとして、脳がストレスを溜め込まないよう防衛しているからだという説があるのをインターネット上でみつけました。それによると、睡眠には記憶を定着させる作用があって、眠れないことで嫌な記憶が残らないようにしているのだというのです。だとすれば、寝たいのに眠れないということも、あながち悪いことではないということになるでしょう。自分では気がつかないまま、脳内でこうした処理がされていることは意外と多いのかも知れません。 しかし、これといったストレスは感じないのに眠れないというのはどうしたことでしょう。私の場合、こちらの方が多いのではないかという気がします。「羊が一匹」と数えることも、牧歌的なイメージでストレスと戦っているということではありません。だいたい身の回りに羊なんていないのに、何をしているのでしょう。眠れないことと記憶とは無関係であ るのかもしれません。 「

睡眠について

近頃、寝つきが悪くて困っています。少し運動したら良いのではないかと努力してみたのですが一向に改善する気配がありません。夜中の2時頃になって、目が冴えわたるのですから始末に終えないのです。このことを知り合いのTさんに話してみました。私より年配のT さんは、主婦をしながら、いつもボランティア活動を勢力的にこなしているのです。 「大丈夫、睡眠不足で死んだ人はいないから。私なんか、これ幸いに夜明けまで本を読んだりしてますよ。寝てんですよ。どこかで。」 Tさんの答えは素気無いものでした。確かに、人は寝てないようで寝ているものであり、 それをどこかで埋め合わせをしているのでしょう。それでも年齢を重ねるにつれて、睡眠時間が減るということはあるのでしょうか。睡眠には熟睡と熟睡でないレム睡眠があることが知られていますが、私の場合、熟睡できるのは2時間ぐらいのような気がします。熟睡しているときに、体の再生プログラムが起動しているのだとしたら、2時間ぐらいではとても足りないのではないかと思ってしまいます。そうだとしたら、体のどこかに不具合が生じてし まうのではないか。あるいは起きながら熟睡しているということになりはしないでしょうか。どちらにしろ、みっともないことになりそうな気がしてしまいます。 、

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