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自分について

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年3月29日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年3月31日

 自分とは何なのだろう。そんなことを考えるようになったのは中学生の頃でした。夕日に照らされたじゃり道を、ひたすら自転車のペダルを踏みながら、自分と自分でないものと分けるのはいったい何なのだろうと考えたのです。少しおかしいです。きっかけは三つ違いの兄との比較でした。同じ親から生まれたのに、自分と兄とは確かに違う。当時は僻みとか理不尽さを感じていたのでした。生まれる時間が少しずれていたらどうなったのだろうか。あるいは、何かの要素が加わっていたら自分は存在しなかったのか。真面目にそう考えると、自分という存在の不確かさに混乱するのが常でした。

 解剖学者の養老猛司さんは、「自分の壁」という本の中で、「自分というのは、他者によって決定していくものだ」と言っています。だから自己にこだわるのでなく、外からの働きが自己を作っていくと考えた方がいいというのです。

 けれども自己認識というのは生物間の識別とは違っているように思えてなりません。何故ならそれは集団から自分を分離するだけではなくして、自分と世界を決定的に分けるものであると思うからです。突飛なように思えるかもしれませんが、そう考えないと自分自身が納得できない。自己を世界の中心に据えて考えることは、中二病と言われてきました。それはアニメの主人公のように、いつか自分も実力を発揮するときがくるのだと夢想したりします。そうした考えの誤まりはあります。けれども考えようによっては、そうした発想の中に人間の本質が隠されているのではないかと思うのです。私と他を分けているものは、他と他を分けているものと全く違うからです。私が宇宙に一つだけであるという自己認識は、何かの歌の中に語られていたりします。けれどもそれが何かの関係の中で語られるとき、価値はすぐに薄まって、陳腐なものにさえなってしまう。けれども創造者の光によってみるとき、私は他と完全に分離していてとても大きな意味をもってくる。私にとってそれが一番腑に落ちる考えです。

 

 
 
 

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