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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 3月22日

 介護の夜勤開けでしたが、家に帰って朝食をとる間もなく、慌ただしく新幹線に乗りました。東京で開催された教団総会に出席するためです。仙台を出るときからの雪が東京駅に着いても止まないのは想定外。やはり傘を持ってくるべきだったと悔みながら、会場である両国にある国際ファッションセンターに急ぎました。数年前から、ここの会議室が利用されているのは、交通の便、使用料金、使い易さなどを、理事会が総合的に判断してのことでしょう。

 初めて教団総会に参加したのは、50年程昔のことになります。それは牧師になる前のことで、その時は役員としての立場でした。伊豆の天城山荘が会場で、大広間に10人程が雑魚寝した覚えがあります。会議自体も二泊三日で、今の一泊二日より長いものでした。今回は一泊二日で、宿泊は各自で都内のホテルを予約したのです。会議の持ち方も全くといっていい程に変化しました。今は議員制になっているので出席人数が絞られ、議場での議事進行は議案に対する質疑と採決に絞られています。

 以前は、議案に対する反対意見とか、議案との脈略のない意見とか要望がいうものが、議場に混在していました。マイクを握って離さない人がいたりして、そのため議事進行がたびたび立ち往生したものです。

 今回の会議は予定時間に終了し、二日目の午後からは典礼として補教師の任命と正教師の按手式が行われました。私は閉会礼拝の前に早退し、新幹線に急ぎました。前日と違って発車時間に乱れはなく、定刻に仙台駅に到着。帰宅して、そのまま介護の夜勤という、強硬スケジュールに間に合いました。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 3月13日

更新日:3月14日

 震災の追悼記念があった日の前日、故郷である気仙沼まで車を走らせました。海は、どこまでも青く穏やかでした。魚市場周辺の埠頭には多くの漁船が連なって、昔の活気をとり戻しているかのようです。それでも、打ち消しても打ち消しても、どうしても14年前の光景が頭をよぎるのでした。

 あの日、仙台市内も停電で真っ暗闇になりました。私たち家族は、石油ストーブで暖をとりながら、ラジオのアナウンサーが、荒浜の海岸に多くの遺体が横たわっていることや、気仙沼湾一帯に火の手が広がっていることを報じるのを、信じられない思いで聞いていました。そして、被害の広がりに怯え、言いようのない理不尽さに懊悩し、不安と悲しみに暮れて、懸命に何かを手繰り寄せようとしていたような気がします。

 復興事業が完了した大谷海岸に足を運んでみると、かつては最も海水浴場に近いJR駅とされた所が震災伝承館を兼ねた道の駅になっていて、観光客が列をつくっています。 

 国道を跨いで、新しく工事で作られた砂浜に立ち、しばらく海と空を眺めていました。震災から一年以上、海は茶色に濁った色をしていた記憶があります。それが今は水平線まで深い青を重ねています。仰ぎ見た空には雲が一つもなく、水晶のように透き通って吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えました。

 「神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた」(創世記1書7節)と聖書にあります。説明のできない悲しみとか悩みというものは、空と海が一つであった創造のときまで、遡らなければわからないのかもしれない。そんな思いがしました。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 3月6日

 子どもの頃、寝床から天井を見上げると星空が見えました。天井板が貼ってなかったこともあり、屋根に空いた小さな穴から星の光がストレートに入ってきたのです。それにしても、探しても見つからない穴なのに、どうして星空が見えるのだろうと不思議に思ったものです。後にそれは、ピンホール効果と言われるものであることがわかりました。真っ暗な部屋の天井に空いた穴を通して、遠くにある星に焦点が合って見えたのです。そんなこともあって、星空には小さいときから親しみがあります。宇宙について考えるようになったのも、そうしたことが影響しているのでしょう。それは空想的であり、物語的であり、また少しだけ科学的でもありました。

 現代物理学では、宇宙は137億年前のビックバンから始まり、今も膨張し続けているというのが定説になったいます。けれども、実際に宇宙を観察されたものでは、秩序の中に構成されているという事実に突き当ります。太陽系だけを考えても、太陽の大きさと地球の大きさ、あるいはその距離、月の大きさと地球との距離など、そのすべてがセットされなければ、現在の地球環境が維持されることは無理に違いないのです。どうしてそれが可能になっているのか。これを神が存在することの証明と考える人もいます。けれども、哲学者パスカルが「パンセ」に書いているように、星の運行などによって説明はできても、神を証明することはできないでしょう。神は信仰の領域であるからです。

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