海と空
- 秋山善久

- 3月13日
- 読了時間: 2分
更新日:3月14日
震災の追悼記念があった日の前日、故郷である気仙沼まで車を走らせました。海は、どこまでも青く穏やかでした。魚市場周辺の埠頭には多くの漁船が連なって、昔の活気をとり戻しているかのようです。それでも、打ち消しても打ち消しても、どうしても14年前の光景が頭をよぎるのでした。
あの日、仙台市内も停電で真っ暗闇になりました。私たち家族は、石油ストーブで暖をとりながら、ラジオのアナウンサーが、荒浜の海岸に多くの遺体が横たわっていることや、気仙沼湾一帯に火の手が広がっていることを報じるのを、信じられない思いで聞いていました。そして、被害の広がりに怯え、言いようのない理不尽さに懊悩し、不安と悲しみに暮れて、懸命に何かを手繰り寄せようとしていたような気がします。
復興事業が完了した大谷海岸に足を運んでみると、かつては最も海水浴場に近いJR駅とされた所が震災伝承館を兼ねた道の駅になっていて、観光客が列をつくっています。
国道を跨いで、新しく工事で作られた砂浜に立ち、しばらく海と空を眺めていました。震災から一年以上、海は茶色に濁った色をしていた記憶があります。それが今は水平線まで深い青を重ねています。仰ぎ見た空には雲が一つもなく、水晶のように透き通って吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えました。
「神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた」(創世記1書7節)と聖書にあります。説明のできない悲しみとか悩みというものは、空と海が一つであった創造のときまで、遡らなければわからないのかもしれない。そんな思いがしました。




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