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年の瀬

 年の瀬と言いますが、年末に追い詰められて仕事を二つも三つも掛け持ちしているような感じになっています。「それは性格なんだよ。何かがくっついてるんじゃないの」と昔からの友人には笑われます。振り返ってみると、いつも何かに追われているようで、走っていないと落ち着かないところがあります。それでも不思議と体力だけは守られていて、徹夜に近いことが続いても一日休むとほとんど回復することができます。

 そんな私も数年前に検診で肺癌の疑いがかけられ入院したことがあります。そのときには、いよいよ自分も年貢の納め時だと観念しました。父は肺癌で母は胃癌で亡くなっているからです。今年はその母が召された68という年齢に達しました。最近は、スクワット100回、腕立て伏せ100回を日課にしています。それにダンベルを持ち上げたり。ターニングポイントを越えたら、前よりも元気になったような気がします。ただ健康を維持するため適度の運動をし、必要な栄養は摂っているのですが、睡眠だけはどうにもなりません。眠ろうと思ったときに眠れない。一週間の中で、何回も昼と夜が逆転しながら生活しているので、体内時計が完全に狂っている状態です。そんな年の瀬が来て、ちょっとした時間が空きそうです。ここで眠るにしても何かに追われているような夢だけはごめんです。

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弱さと尊厳

いつも行く図書館の貸し出し口で、職員の大きな声がしていました。目を向けると、白髪の男性がコピー機の使い方を聞いているのです。 「いくらですか」と男性。若い職員が「10円です」と面倒くさそうに答える。するとまた「いくらですか」と聞き返す。「10円です」「え?100円」周りが少しざわついて、「あほか」という小さな声が聞こえてきました。男性は軽い認知症を患っているのかも知れません。今言われたことを理解で

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