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感染拡大

 報道されているように、仙台市内でも新型コロナウィルスの感染が急速に拡大しています。教会としても、今まで以上に注意しなければならないと自戒しています。例年ですと、

近くのミッションスクールに通う新入生が顔を出す時期です。けれども先日、学校からは、「積極的に教会に出席をすることを勧めることを控えております」との連絡がありました。授業はいよいよオンライン化が進んでいるようです。牧師が関わる会議も、百パーセント近くリモートになっています。

 けれども、そうした機器によるコニュニケーションは、どこかに落とし穴があるのではないかという心配があります。以前、幼少期にデジタル映像を多くみた子供がの絵が、記号化してしまい、およそ人間性を感じられないということが、精神科医に指摘されたことがありました。人と人との触れ合いというのは、一般的な情報に限ることではなく様々な要素の交流を含んでいるためだと思います。今は、そうした気がつかない部分が欠落したまま、人間関係作りや学びや社会の構成がされている。もちろん、感染が収束すれば、そこにある制限は一気に取り払われるでしょう。そのときをひたすら待つのも一案ですが、この状況の中で、何かの方法で欠けを補う努力もしたいと思います。それは感染防止のルールを破ることによってではなく、積極的に新しいことを見出すことによってです。

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弱さと尊厳

いつも行く図書館の貸し出し口で、職員の大きな声がしていました。目を向けると、白髪の男性がコピー機の使い方を聞いているのです。 「いくらですか」と男性。若い職員が「10円です」と面倒くさそうに答える。するとまた「いくらですか」と聞き返す。「10円です」「え?100円」周りが少しざわついて、「あほか」という小さな声が聞こえてきました。男性は軽い認知症を患っているのかも知れません。今言われたことを理解で

ロータリーの真ん中にある桜が開花しました。私も含め団地の人はみな、毎年、その開花を楽しみにしているのです。けれどもそれは盆栽のような低木で、わざわざ花見に来るようなものではありません。せいぜい近くのコンビニや郵便局に立ち寄った人が、帰り際に一瞥して微笑むようなことで終わります。それでも桜の名を冠した団地の象徴的な存在でありますから、春から秋にかけては区域ごとに当番を決めて雑草を抜くなどの手入れ作業

自分について

自分とは何なのだろう。そんなことを考えるようになったのは中学生の頃でした。夕日に照らされたじゃり道を、ひたすら自転車のペダルを踏みながら、自分と自分でないものと分けるのはいったい何なのだろうと考えたのです。少しおかしいです。きっかけは三つ違いの兄との比較でした。同じ親から生まれたのに、自分と兄とは確かに違う。当時は僻みとか理不尽さを感じていたのでした。生まれる時間が少しずれていたらどうなったのだろ

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