静思の時
- 秋山善久
- 2017年6月6日
- 読了時間: 1分
ある本を読んでいて、牧師がどんなことで忙しいのか、もう一度問わなければならないと教えられました。面会に来た人が牧師に会えないことがあっても、その忙しさとが神に祈っていることだと知れば、落胆しないでそのまま帰ることができるというのです。如何に祈りが重要であるかということですが、自分のことを言われているようで気恥ずかしく思いました。このところ、ずっと忙しくしていて、日々のスケジュールをこなすことにあくせくしていたからです。
水曜日夜の祈祷会ではネヘミヤ記を学んでいるのですが、ここでも祈りについて教えられました。エルサレムの城壁を修復するため、ネヘミヤがどんなに祈ったか、祈りに伴って為された行動など
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