旧友からの電話
- 3月7日
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突然、古い友人から電話がかかってきました。かつて同じ部屋の片隅で、ダンボールでこしらえした机を挟んで、必死な思いをしながらヘブル語の勉強をし合った仲間です。共に牧師になってからは、風の便りに消息を聞くだけでした。俗物〇〇という自伝的な本が出版されたのは、ずっと以前のことのような気がします。今は熊野の山の中で、信仰者の共同生活をしているとのこと。
「感謝なのですよ。神様の愛に生かされているというのかな」電話口の声は、昔とちっとも替わりません。でも、そこでの生活を通して、日々、信仰が新しくされていると証ししてくれました。貧しくも満たされた日々であるのです。
「最近は、脱俗物〇〇という本を書いてはどうかと言われるんですよ」と笑います。
記憶の中の友人は、人気アニメの制作にも携わった漫画家からの転身でした。神学校でペープサートの背景画などを書いたときには、さすがに元プロと感心させられたものです。
「息子がね、アニメ作家のアシスタントをしてました」
題名を聞けば世界的に人気な漫画であることは分かるけど、チラリと見たぐらいで読み通したことはありません。
「それが今は牧師をしてるんだから、不思議なもんですね。」と、とても嬉しそう。
「アニメから牧師は父親譲り。門前の小僧ということなんでしょうね」
昔のことが次々に思い出されて、話が尽きることがありません。でも、そこには四十数年の時間が流れている。それが濾過装置でもあるように、大切なものとそうでないものをより分けているのでしょう。友人の言葉にそんな確信が感じられます。「また、どこかで電話しましょう」と言って切りました。時間の幅が短く感じられるこの頃。次の電話があるときは、お互いどんなにふうになっていることか。それにしても、内に希望があることは、何と幸いなことかと思わされました。

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