top of page

動かないこと

家でじっとしているのは、結構つらいものですね。窓から差す日の光は明るく、吹く風にも気持ちが誘われてしまいます。だから青い空に浮かぶ雲がゆっくり流れているのを見ていると、思わずアーとため息が出てしまいます。こんなとき、どれだけ多くの人が動くことをがまんしているのしょう。

 ダルマさんが転んだ、という遊びでは、ダルマは動かないものとすることが前提でした。だから動いたらバツが加えられる。何だか今の状況は、そんな感じになっているように思います。そのため、ちょっと動くにもビクビクしてしまう。

 でも、考えようによっては、動かないという非日常もあるのかもしれません。そこに新しい発見があるのかも。「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる」(詩篇46:10)ここでの「やめよ」は、人の動きを止めて神の前に静まることでした。そこに困難で乗り越え難い壁を突破する道が備えられる。

コロナウィルスの神の前に問われて

最新記事

すべて表示

東北宣教区のフェローシップ聖会が24日の午後7時~25日の午前まで行われました。全体のテーマが「祝福される交わりと喜び」、講師には東京キリスト教大学大学院教授の岡村直樹先生をお迎えしました。会場は仙台駅に近い貸し会議室で、宿泊も駅に近いホテルです。 聖会の二日目の朝、岡村先生は、ルツ記をテキストに不安について語られました。平安の反対語としてある不安。キリスト者であっても、この不安を逃れることはでき

敬老の日の午後、無性に泳ぎたくなって温水プールに出かけました。例年だと、初秋が感じられる頃なのに、虫の鳴き声と共に夏の太陽が輝いてました。連休の最終日とあって、スポーツパークには親子連れが多くどこも混みあっていましたが、どうしたわけか一つのレーンだけ誰も泳いでいません。プレートに上級者用とあり、25メートル地点で停まらずUターンするように表示されてあります。 子供の頃、泳ぎは家の近くの川で覚えまし

ときどき、自分の力では何ともならない問題に直面することがあります。そんなときには、何とかしなければという心理的な迫りと、自分の力不足を自覚して関わるべきでないという思いがせめぎ合います。以前、震災支援の関係で障がい者施設の立ち上げに関わったときもそうでした。議論が沸騰した長い会議を終えての帰路、まっ暗い夜の海に出て長い時間を過ごしました。善意の支援であっても、それが中途半端で終わったら、かえって相

最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page