破れ口
- 秋山善久

- 2023年11月23日
- 読了時間: 2分
あるとき、自分の水着の縫い目がほつれて、お尻に親指大ぐらいの穴が開いてるのを発見しました。そこで思い出したのが、一月ほど前、近くにある温水プールから出たときに、子どもたちや親たちの視線を感じたことです。誤解していたけれど、あれはバタフライを100メートル泳ぎきったことで注目されたんじゃない。「変なおやじがいるぞ」という警告の発信だったと確信し、急に恥ずかしさがこみあげてきました。かと言って生地が薄いので糸で繕うことはできそうもありません。それにしても買い替えるのはもったいない。そこで考えついたのが、耐水用の接着剤で継ぎ当てをすることです。ちょうど破れかかったザックがあったので、その内側の生地を切り取って、接着剤で補強してみたのです。これがなかなかいい感じです。あと1年は持つかもしれないです。
破れ口に立つとか、破れたものを繕うということが、元の意味を離れて特別な意味を持つことがあります。イスラエル史においては、「破れ」とか「破れ口」(ペレツ)は、神の恵みにも関わらず、その契約を破ってしまう不信仰の罪をあらわすものになっています。そこを神との関係によって修復する業が「破れ口に立つ」ということになります。破れたら買い替えるという発想では、思いつかない考え方かもしれません。
震災前から、一人の青年の破れ口に立たされるような出来事に関わってきました。社会の闇の深さから抜け出るためのもので、とても一人の力では太刀打ちできないし、恐れもあります。でも最近、不思議にも教派を越えて多くの仲間が結びつくネットワークができました。あるいはこれが破れ口には有効な働きをするかもしれません。




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