本の返却
- 秋山善久

- 2023年12月7日
- 読了時間: 2分
県立図書館から本の返却が遅れていると留守電が入っていました。面目ないことですが、忙しさの中で返すのをすっかり忘れていたのです。誰かが目当ての本を検索して書棚に行ったら、そこに置いてなかったのでしょう。それも貸し出し期間が過ぎていると知ったら、がっかりが苛立ちに替わったに違いありません。窓口で「すみません。1日遅れました」と言って返却しました。「はい」と受け取った係の人は、スキャナーでコードを読み取ると、サインが表示されたらしく直ぐに脇にとり除けていました。
クリスチャンになったとき、高校時代に借りていた3冊の本を、手紙を添え、郵送で返したことがあります。卒業してから3年は過ぎていたのですが、そのままにしておくことがとてもいけないと示されたからです。しばらくして図書館司書の方から返信をいただきました。そこには卒業してずいぶん経ったのに、本を返してくれて嬉しかったことや、そのことが学校の中で話題になったことが記されていたことを覚えています。
一時期、倍返しという言葉が流行りましたが、借りたものを返すというのは当たり前のことです。問題なのは、それを勝手に変質させてしまう自分の側にあるような気がします。時間の経過や何かの都合で、最初から自分のものであるようにしてしまう。自分も若い時の転換がなければ、所有することだけを追及する人生になっていたことでしょう。挙句の果ては、何でも自分から取られることは強奪者による悪意にように思ってしまう。
そんなことを考えたとき、献金の祈りのことを思い出しました。「与えてくださったものの中から、お返しいたします」
与えられた働きを神からのものと考えたら、取り去られるのではなくお返しするということになる。そこには喪失感というより感謝があることに気がつきました。




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