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クリスマスの星

 各地のイルミネーションが話題になっています。仙台光のページェントでは、定禅寺通りのケヤキ並木に50万個の小さな光が灯されます。決して派手ではありませんが、それだけに素朴さと気品があふれているように思えます。食べ物に譬えると、飛騨のみたらし団子でしょうか。

 先日、教会のツリーにみんなでオーナメントを吊るしていたとき、クリスマスの星のことが話題になりました。救い主誕生を祝うため、東の国から旅した博士たちを導いた星のことです。この星が何であったか。ある人は彗星であると言い、ある人は惑星の重なりだと言います。正確なことはわかりません。でも博士たちが闇の中に輝く星に導かれて、ベツレヘムまで行ったことだけは確かです。当時、多くの人々が同じ星を見たでしょう。けれども、この博士たちだけが、信仰によって行動したということです。聖書の記述では、そのことがユダヤ人たちの態度と対比して書かれています。想像してみると、闇は地の果てまで圧倒していたでしょうし、夜空には他の星々が無数に輝いてみえたに違いありません。博士たちを導いた星にしても、それが博士たちの頭上で特別キラキラ輝いたのではないかもしれない。それでも星に示された希望に向かって歩み出した決断。その信仰による一歩に、言い知れぬ励ましと勇気を感じます。

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