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  • 執筆者の写真秋山善久

仙台で同盟教団の教会開拓がはじまって、今年は20周年になります。振り返ってみると、何と大きな主の恵みであったろうと思います。私たち家族が、岐阜県の古川教会から引っ越したのが1998年4月2日でした。二月に教団で仙台で開拓することは決まっていても、どこで開拓するのか、どこに住むかさえ定まっていませんでした。ホテルに一泊して不動産屋を駆けずり回り、やっとで決めた一軒家が最初の拠点になりました。

 そこで3年間宣教活動をしました。4年目に入って、大家さんから賃貸を終了したいと言われたときには焦りました。それから不動産屋を数多く回り、会堂建設のプランを何度も練り直しました。けれども資金計画の段になると、どうしても不可能であることが明らかになります。そこから急展開で、今の会堂を取得することになります。「棚からぼた餅」と冗談めかして言われることもあれば、「いいことばかりではないよ。次には苦労が待ってるよ」と真顔で励まして(?)くれる人もいました。

 なんだかんだで会堂が与えられても、順調に教会形成が前進したわけではありません。幾多の問題に悩まされ続けました。そして2011年の東北大震災。あの出来事から何かが変わったような気がします。教会連合の働きの延長から、牧師がNPO法人の立ち上げに関わった経験が大きいでしょう。現在3つのNPO法人と1つの任意団体の役員をしています。実際にはたいして役に立っていないのですが、そこから考えさせられるのは、苦難を抱えた人と教会が向き合うという本質的なことです。そこに福音だけが持っている価値の再発見がありまし

た。  「社会で生きづらい思いをもっている人たちのために」

 現在の会堂を建設したF牧師は、かねがねそんな思いをもっていたと聞いています。それは

霊的な賜物として今の教会に遺されています。病気、障害、離婚、暴力、辛苦、誹謗、中

傷、悲嘆、孤独、苦悩、様々な問題があります。そうした人たちと共に歩みながら、確かな希望を指し示すことができれば幸いであると考えています。

  • 執筆者の写真秋山善久

先生から手渡された通知書を開くと、1年前と変わりなく3と2と1が並んでいます。思わず溜息が出てしまいました。久しぶりに小学校のときの夢をみたのではありません。1ケ月前に受けた健康診断の結果でした。3は要医療、2は要指導、1は異常なしです。ここ数年、中世脂肪とかHDLコルステロールの数値が悪く、生活改善が求められていました。そこで始めたのが水泳です。平均すると週に5キロぐらい泳いでいるのではないかと思います。この1年に260キロ。子供の頃からこんなに泳いだことはありません。

それなのに旧知のF医師は、「いけませんねえ。少し運動した方がいいと思いますよ」と言うのです。「これ以上・・」と口出かかった言葉を必死に抑えて帰ってきました。考えてみると、運動をするとお腹が空く。「運動したから」と言い訳をして食べる。これがいけなかったような気がします。今更、オリンピックの選手を目指す訳でもないし、F医師の忠告に反するようですが、泳ぐスピードと距離は変えないでいこうと思います。





  • 執筆者の写真秋山善久

 9月は私の誕生日でした。44年前に受洗したのも9月。古くて狭かった牧師館の風呂場での洗礼式が懐かしい思い出として残っています。それと昨年生まれた1歳の孫の誕生日が9月。勘違いしておめでとうと言うタイミングを逸し、娘に叱られてしまいました。忘れられないのが、6年前、私の誕生日に召されたEさんのこと。千葉県在住のEさんは、ネットを通じて知り合った会社の社長さんでした。若いときから破天荒な生涯でしたが、最後はキリスト教信仰を明確にされて召されました。医師から余命2ケ月と言われながら、聖餐式を受けるため「這ってでも仙台のぞみ教会に行く」と御長男と奥様に付き添われながら車でこられたときには驚かされれました。日曜でなかったので、家族だけの聖餐式となりましたが、教会で聖餐に与ったことを心から喜んでおられた。それから間もなく主に召されたのでした。先日、東京への出張の途中でご自宅を訪問し、ご家族と記念のときを持ちました。

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