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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2021年3月16日

 小学校の校庭に植えられた桜のつぼみが膨らんで、淡く緑がかってきました。東京では例年より早く開花が宣言されましたが、仙台でも今年は開花が早まりそうです。昨年の12月頃にはとても寒い日が続いて、何年かぶりで水道が凍結するということがありました。まだ大丈夫と思って、水抜き対策をしなかったための失敗でした。そのときには雪のため建物全体が底冷えして、春がずっと遠く感じられたものでした。テレビで解説する気象予報師によると、その寒さによって桜の開花スイッチが入ったというのですから不思議なものものです。

 教会の前は通学路なので、毎日、登下校の子供たちの姿を目にします。そこで気になるのは、以前より子供たちの元気さが失われているような気がすることです。マスクをしているので、口が押えられて自由さが奪われているためでしょうか。あるいは、心の中まで薄く幕がかかったようになっていないか心配になります。

 10年前、震災があったとき、桜を見るのが辛い思いをした記憶があります。被災地の異常事態に、いつもなら普通に受け入れられることが、そうすることができない戸惑いがありました。そして、何気ない日常が如何に薄い基盤の上にあることかと気付かされました。そんな中で、生き方そのものが問い直されたはずです。もしかすると、コロナ禍のことでも、そんな問いが世界的に課せられているのかもしれません。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2021年2月20日

 昨日、東北ヘルプの事務局長をしているK師と二人で、気仙沼市にある二つの障がい者施設を訪問してきました。コロナウィルスの感染が心配されるようになって、一年以上、遠出を控えていたのですが、この4月から新しく事業展開するNPO法人の施設を、監事として是非ともみておく必要が生じたからです。幸い、県内の感染状況も治まってきていました。

 実はこの施設「水梨カフェ」は、2年前、実家の納屋で始まったものです。帰省したときに、義姉から地域の活性化のために、新しく福祉事業を始めたいと相談を受けました。そこで私が理事をしているNPO法人「セミナーレ」を紹介したのが後々のきっかけになりました。このときに紹介したセミナーレ(イタリア語の種蒔きの意)は、東日本大震災の後、障がい者を抱えた親たちの叫びに応えるかたちで建設されたものです。当初はプレハブのユニットでスタートしたのでした。全くの素人集団によるチャレンジであり、資金も経験もノウハウもありませんでした。それでも障がい児を持つ親たちの熱意にほだされて、様々な人たちが献身的に関わってきました。仙台キリスト教連合の下部組織である東北ヘルプは、他の諸団体と共に当初から支援をしてきたのです。そうしたことが実を結び、今は最初の所から近くに1600坪の土地を購入し、スプリンクラーを備えた施設が建っています。

 前述のように「水梨カフェ」は、このような経緯を辿った「セミナーレ」をモデルにして始まったのでした。けれども、実家の崩れかかった庭先の納屋で、ビニールシートを利用しながら細々と始まったとき、正直、この先もやっていけるのだろうかと心配になりました。それが、最近廃校になった小学校を借り受け、そこに全面的に事業が移ることになったというのです。それは私が卒業した小学校です。でもその頃とは違い築30年もしない比較的に新しい建物となっています。廃校になったときの児童数が18名で、今の時点で利用している障がい者が30数名とのこと。中に入って驚いたのは、障がい者施設としては考えられないような広さでした。小学校なのだから広いのは当たり前なのですが。何かとても不思議な感じがしてしまいます。そしてそれは、私たちの教会が今の会堂を取得したときと似ているような気がしました。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2021年1月26日

更新日:2021年2月20日

 雪国に住んでいたとき、春の訪れは日ごとにに待ち侘びるものでした。窓の向こうに雪で白一色に埋め尽くされた土手あって、それが柔らかい日差しを受けて融けはじめると、少しづつ中から真っ黒い土がみえてくるのです。そこには閉ざされた世界から解き放たれて、再びいのちの躍動を取り戻したような感動がありました。

 今年の冬は長く記憶に残りそうな気がします。それは北半球を覆う冷気ばかりではなく、コロナ禍による行動の制限が課されているからです。この鬱陶しさと先の見えない不安。今まで築いてきたことが、突然にストップをかけられたことへの苛立ち。多くの人の心にそんな不満が燻っているように思います。私自身も昨今の会議はすべてオンライン。消息を確かめたくても出かけることができないでいます。

 2011年3月11日に東日本大震災があったときも、これに近い状況がありました。道路が全て寸断され、ガソリンが不足してどこにも行けなかったからです。実家であった葬儀にも出席できませんでした。あれから10年になろうとしています。目覚ましく復興した部分と、事態がより深刻さを増した部分があります。復興住宅や道路は完成しました。新しい町が作られ、仕事に復帰できた人が多くいます。一方で、福島の5歳以下の甲状腺ガンの発生数は、予想を超える数字になっています。これが直ちに原発事故と結びつけられるかどうか。議論が分かれることですが、ある人たちの中に不安が増大していることは確かです。

 そんな中で創造者の声を聞いていきたいと思います。コロナにしても人の知恵の限界を知らされています。人の期待はひょっとすると裏切られるかも知れませんが、神の業である季節の到来は確実であるからです。

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