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  • 執筆者の写真秋山善久

 初めて地動説を唱えたコペルニクス。根本的に考え方を新しくすることを表現するのにコペルニクス的転回という言葉が使われてきました。少しきざな感じがしますが、相手に考え方が大きく変わったことを納得してもらうのにこれ以上の表現はないような気がします。

 20代の初めにキリスト教信仰をもったとき、それまでの世界観が大きく変わったような感覚がありました。教会からの帰り道、住宅街にあるすべての風景が輝いてみえたのでした。そのときは幸福感に満たされながら「どうして聖書の言葉を信じることを堅く拒絶していたのだろう」と不思議に思ったのでした。それは半世紀が過ぎた今も変わりません。

 最近、ある宗教の方々とお交わりの機会が与えられ、その関係の本をいくつか読みました。そこにはキリスト教に対する批判も書いてあります。少し古いものなので、今はどうなのか知りませんが、キリスト教について「救われない宗教」とありました。生活の苦悩を説明するだけで、現実の生活を変える力がないというのです。彼岸と此岸という世界の中では、キリスト教は彼岸(あの世)ばかりみていて、此岸(現世)は変えようとしていない、それについては諦めていると。

 私からすれば、それはそれでコペルニクス的な転回でありました。逆にどうしてそんなふうに結論付けられたのだろうと思うのです。ただし歴史を振り返ってみるならば、そのような批判を受けなければならないことが散在しているので、言い訳もできないだろうという気がしないでもない。そうしたことを踏まえながら、互いに批判し合うのではなく、共に聖書を学び合う関係ができていることを感謝しています。それがどのような方向に向かうか予想はつかないのですが、真理が道を分けることになるだろうと思います。内容は違っても、どちらも真理が基礎に置かれ、それが希望に繋がっているからです。

  • 執筆者の写真秋山善久

 いつも行く図書館の貸し出し口で、職員の大きな声がしていました。目を向けると、白髪の男性がコピー機の使い方を聞いているのです。

 「いくらですか」と男性。若い職員が「10円です」と面倒くさそうに答える。するとまた「いくらですか」と聞き返す。「10円です」「え?100円」周りが少しざわついて、「あほか」という小さな声が聞こえてきました。男性は軽い認知症を患っているのかも知れません。今言われたことを理解できなかったり、すぐに忘れてしまっているからです。身なりと言葉遣いは、社会で活躍された時期があったことを思わせます。それが邪魔者のように扱われている。悲しいことですが、そうした状況を回りがどのように受け止めるかということが問題なのでしょう。

 そんなことを考えていたとき、宗教における聖と俗のことが頭に浮かびました。たとえば旧約聖書のレビ記においては、食べていい動物と食べてはならない動物があります。牛や羊は食べてはいいけれど、豚は汚れているので食べてはならないとされます。言うまでもなく、キリスト教信仰において食べ物の制限はありません。ですからこれらは旧約の時代に限定された戒めです。ただし神との関係において聖と俗の区別がされているのです。俗の世界を現世とすれば、現世は聖なるものと俗なるものが混在している。それを見分けて生活するのに、人間の意思や論理だけを優先させてしまってはならないのです。それをすると聖なるものを侵害してしまうからでした。

 現代のように社会的な価値を効率だけで推し量ると、高齢者や障がい者、あるいは弱い者がどんどん外に押し遣られてしまう。結果として快適さはあっても、非人間的な社会になってしまうのではないかが心配です。だから聖なる方の意思が尊重されなければならない。人間の尊厳を守るというのはそうしたことではないかと思いました。

  • 執筆者の写真秋山善久

 ロータリーの真ん中にある桜が開花しました。私も含め団地の人はみな、毎年、その開花を楽しみにしているのです。けれどもそれは盆栽のような低木で、わざわざ花見に来るようなものではありません。せいぜい近くのコンビニや郵便局に立ち寄った人が、帰り際に一瞥して微笑むようなことで終わります。それでも桜の名を冠した団地の象徴的な存在でありますから、春から秋にかけては区域ごとに当番を決めて雑草を抜くなどの手入れ作業をします。その木の上には電線が蜘蛛の巣のように架かっているので、見栄えがしない木を一層みすぼらしくしています。「電力会社にかけあって、あの電線を地中に埋めてもらわなにゃいかん」そう息巻いていた古老がいました。けれども問題が多いらしく、未だに解消されていません。

 ルース・ベネディクトの「菊と刀」は、戦後に出版された日本人論としてよく知られています。日本人は神の前での罪という感覚ではなく、他人の目による恥を重要視するというものです。彼女にとって日本人を象徴するのは桜よりも菊でした。その菊は権力の象徴で、桜は菊のために散るものと理解されたのでしょう。特攻隊でもなかった父が、仕事仲間と酒に酔うと、「貴様と俺とは同期の桜」と軍歌を歌っていたことを思い出します。軍人は国のために見事に散ることが美徳とされました。

 戦後79年の今、桜は花を愛でる日本人の優しさを表現するものと変わってきています。水の上に落ちた花びらは、花いかだとして観光スポットになったりしています。そうした光景も好きではあるのですが、散り際の潔さが刹那主義に結びついていないかということが気になります。


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