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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年2月22日

更新日:2024年2月23日

 今週、まるで春を通り越したような日に、南三陸町市まで車を走らせて、キリシタンの史跡を巡ってきました。ニュースレターの取材をするという牧師たちに誘われて同伴したのでした。被災支援では何度も往復した道でしたが、こうした目的で歩いたことがなく、多くのことを教えられました。この地域一帯は、東北最大のキリシタンの殉教地と言われています。

 最盛期のキリシタン人口は3万人とも言われ、寛永16年(1639)の弾圧では馬籠(まごめ)だけで309人が処刑されています。山間地にも関わらずこれ程のキリシタンがいたのは、この地で行われた製鉄事業と関係しています。永禄元年(1558) キリスト教は、「たたら」を作る技術と共に入ってきました。「たたら」とは川から採取した砂鉄を木炭で熱し、鉄を抽出するものです。幕府がキリシタンを本格的に迫害するようになっても、伊達政宗は密かにキリシタンを匿っています。それは「たたら」を生産していることが秘匿されただけでなく、その技術は信仰と共に継承されていたからです。そのためキリシタンの取り締まりが全国的に広まってからというもの、各地のキリシタンがここに逃れてきました。今のような通信手段を持たない中で、信仰のネットワークがそれを支えていたのでした。けれども遂に伊達藩も隠しきれなくなると、最後まで残っていた信徒たちを捕らえ、処刑します。

 散在する史跡となる石には、朽ちかけた案内板に短い説明文があるだけでした。現代の感覚からは、遠い過去の出来事のように思われてしまうでしょう。けれども振り返ってみると、何かが語りかけられているようでもあります。それは風に揺れる笹の葉音などではなく、過去から現代に向けられた呻きの声であるかもしれません。レント(受難節)の期間とはいえ、心の中に強く迫るものを感じました。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年2月14日

更新日:2024年2月15日

牧師室の壁に、小学2年生の子どもたちから届いたA3サイズの手紙がかけてあります。昨年、生活科の授業で町探検があったとき、教会にきてくれた子どもたちが作った「すてき新聞」です。住んでいる町内で「みつけたすてき」の中に教会が入っているのは感謝です。

 この会堂を建設したのは、還暦を過ぎて牧師になった藤森誠之先生です。以前、藤森先生は東京で中学校の教師をしていました。定年を前に退職して、奥様と共に神学校に入学して牧師への道を歩まれたということです。卒業後に仙台で開拓することに決めたのは、神様に示されたということの他に理由はないと聞いています。伝道の初めに会堂を建設するため、武蔵野にあったご自宅を売却して資金としました。背水の陣でしたけれども、4年後に奥様が癌のため天に召されてしまいます。更に5年後の2000年2月20日の日曜日の朝、先生自身も、突然天に召されてしまったのでした。単立教会のため、教会活動はそこでストップし、集まっていた人たちは皆散ってしまいました。

 当時、仙台市の東で開拓伝道をしていた私たちは、そうしたことを全く知りませんでした。ですからファックスで不動産屋から流れてきた教会の売り物件という情報には目を疑いました。仙台のぞみ教会では、その頃、家主の都合で借りていた家を出なければならなくなっていたからです。そのため連日、教会に改装できるような中古物件を懸命になって探していたのです。数少ないメンバーでこの教会をみたとき、信じられないぐらいに設備がすべて整っていることに驚きました。「明日から礼拝ができる」と口々に言い合ったのは昨日のことのように思えます。それで急いで購入が決まったのでした。あれから22年の歳月が経ちました。教会の前の道を、今日も子どもたちが登下校しています。この地に会堂があることに不思議な導きを思わされます。藤森先生の奥様である泰子さんは、亡くなるひと月ほど前の

ノートにこう記したそうです。「神の愛がすべてです。それを確認しました」

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年2月9日

 近くの水の森公園を歩いていて、蕗の薹(ふきのとう)が顔を出しているのを見つけました。子ども心になって、春を探していると楽しくなります。散歩コースであるこの公園の端に丸田沢という溜池があります。毎年、ここに多くの鴨や白鳥たちがきて観察者たちを楽しませているのですが、その白鳥たちが北に帰るときが近づいてきました。夕暮れになると、周辺の餌場から編隊を組んで引き揚げてきて、少しづつ高度を下げながら布をかけるように静かに舞い降ります。それは何度みても見事と思える着水で、その姿をカメラに納めたい人にとっては絶妙なシャッターチャンスになります。

 遊歩道を歩いていて、そうした構えをしていた御婦人に「いい写真が撮れましたか」と声をかけてみました。するとその方は軽くカメラを持ち上げてニコリとしました。「今は五十羽ぐらいですかね。先週は百羽ぐらいいました」と私。「五時半ぐらいがピークになると思います。その頃には百羽になるでしょう。」と明るく答えてくれました。その時間には風も冷たくなるでしょうに、ずっと待っているようでした。

 北に帰る白鳥には、どことなく郷愁のようなものを感じます。一旦飛び立ってしまえば数千キロの旅をしなければならない。それは過酷な試練に違いないのです。それでも生き延びるためにはどうしても通過せざるを得ない。そうしていのちを繋いできたんだなあと考えてしまいます。それからすれば、地上に張り付いて生きている人というのは、愚かな存在にみえてしまうかもしれません。そういえば、聖画に描かれた天使の絵には、見事な翼が描かれていました。

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