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  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2023年11月18日

 記録的に気温が25度を超えたのは、ほんの二週間前のことでした。そのときには11月に夏日になったのが、宮城県内では観測史上初めてであると報道されました。あれから一気に季節が進んだ感じがします。先日まで青空に映えていた街路樹の銀杏が、昨日の強い雨に打たれてほとんど落葉してしまいました。教会の3本のハナミズキでさえ、わずかの葉を残して冬支度をしています。

 人生を四季にたとえるなら、自分はとっくに冬になっていることに気がつきます。同年代の牧師の何人かが既に引退しているのをみると、そうした時期にいることを否定することができません。冬は収穫したものが熟成する季節。けれども心の内を深く探ってみると、失敗や挫折、苦悩といったものが、雨に濡れた落ち葉のように残っています。

 スイスの精神科医トール・トルニエは、人生にとっての冬を、断片的、孤立的、また無意味と思えた過去の出来事が見えざる神の導きであったことを知る時期であると言っています。それは新しい永遠に向かっての信仰理解への道なのでしょう。

 冬の中にあっては、いくら形勢が悪くても一発逆転のホームランを狙うことはできません。そんな時期はとっくに過ぎている。これからは、心の中でしこりとなっているものを、信仰的な理解の中で受け入れていきたいと思わされています。

  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2023年11月10日

東北みやぎ復興マラソンが11月5日の日曜日に開催されました。できれば参加したかったのですが、日曜日でもあるし、それに42,195キロを走るとなると流石に足がもつれそうで断念しました。このマラソン大会は、震災で被害を受けた被災地を励まそうと始められとのことです。コロナ禍の期間は中断されたので、今回は実に3年ぶりになります。それだけにランナーも関係者も、テレビに映し出される顔には意気込みが感じられました。

 津波被害はマラソンコースの10倍以上の範囲に及ぶのですが、映像では復興が進んだ海浜公園や整備された施設などが中心にアップで映し出されていました。それはコースに並んだ一つの切り口であって、見方を変えれば全く違う様相がみえてくるのも事実です。原発による放射能汚染の影響とか若者の流出による人口の減少、あるいは基幹産業の衰退による離職といったことはとり残されたままですから。

 震災から12年、教会には実にさまざまな相談が寄せられました。そのひとつひとつに対応できたかと言えば、充分でなかったことが多かったように思います。中にはかえって傷つけてしまったのではないかと危惧するケースもあります。マラソンではないけれど、思いはあっても足がもつれてしまう。そんな恥を晒しながら、これまで牧師としての務めに励んできました。

 「私らはよくもまあ生き残れましたねえ」先日、同世代の牧師と再会したとき、感慨深げにそんな声を掛けられました。その体は杖で支えられています。

 私も彼も決して見栄えはしないしボロボロ。そんな現実の姿ではありますが、主イエスの内にあるなら、いつかきっと約束されたゴールに辿り着けるでしょう。それが真の復興と信じて。

  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:1月3日

 果物の中で何が一番好きですかと聞かれたら、少し歯に噛みながらも柿と答えるでしょう。柿を食うということに郷愁を覚え、一枚の絵を観賞しているような感覚に浸ってしまうからです。昔、実家には大きな柿の木があって、毎年たくさんの実をつけました。それは小さな卵の形をした渋柿で、木の周辺は子どもたちの遊び場になっていました。秋の陽を受けながら夕暮れまで走りまわったことや、柿の枝に吊るしたブランコを思いきり漕いでいたことが懐かしく記憶に残っています。

  実家がある気仙沼市の山奥にキリシタンの殉教碑が立っています。以前にはそこから近いところに宣教師が接ぎ木したといわれる柿の木がありました。郷土史には幹回りが2.8メートルの大きな木で、樹齢が200年に及ぶとあります。古老の話によると、根本からみて接ぎ木であることがわかり、その手法は宣教師の教えによったものとのこと。ちなみにポトガルの宣教師たちは、柿をいちじく(figo)と考えていたようです。

  この碑殉教が建立されたのが文政8年(1825)2月。江戸幕府によって異国船打払令が発布された年です。当時の江戸幕府の迫害を恐れて、キリシタンとは全く関係がないよう入念にカモフラージュしてあります。けれども、それまでして立てなければならなかった当時の事情があったのでしょう。

  一度、兄と一緒にこの柿の木を見に行ったのですが、既に切り倒されていて切り株の跡しか残っていませんでした。殉教した人が誰であったかも知ることはできません。ただ、宣教師の教えによって育った柿の木だけが、その後200年生き延びたということは確かなことです。そんなことを考えると、柿を食べるときに郷愁がますます深くなります。

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