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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年4月6日

 ロータリーの真ん中にある桜が開花しました。私も含め団地の人はみな、毎年、その開花を楽しみにしているのです。けれどもそれは盆栽のような低木で、わざわざ花見に来るようなものではありません。せいぜい近くのコンビニや郵便局に立ち寄った人が、帰り際に一瞥して微笑むようなことで終わります。それでも桜の名を冠した団地の象徴的な存在でありますから、春から秋にかけては区域ごとに当番を決めて雑草を抜くなどの手入れ作業をします。その木の上には電線が蜘蛛の巣のように架かっているので、見栄えがしない木を一層みすぼらしくしています。「電力会社にかけあって、あの電線を地中に埋めてもらわなにゃいかん」そう息巻いていた古老がいました。けれども問題が多いらしく、未だに解消されていません。

 ルース・ベネディクトの「菊と刀」は、戦後に出版された日本人論としてよく知られています。日本人は神の前での罪という感覚ではなく、他人の目による恥を重要視するというものです。彼女にとって日本人を象徴するのは桜よりも菊でした。その菊は権力の象徴で、桜は菊のために散るものと理解されたのでしょう。特攻隊でもなかった父が、仕事仲間と酒に酔うと、「貴様と俺とは同期の桜」と軍歌を歌っていたことを思い出します。軍人は国のために見事に散ることが美徳とされました。

 戦後79年の今、桜は花を愛でる日本人の優しさを表現するものと変わってきています。水の上に落ちた花びらは、花いかだとして観光スポットになったりしています。そうした光景も好きではあるのですが、散り際の潔さが刹那主義に結びついていないかということが気になります。


  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年3月29日

更新日:2024年3月31日

 自分とは何なのだろう。そんなことを考えるようになったのは中学生の頃でした。夕日に照らされたじゃり道を、ひたすら自転車のペダルを踏みながら、自分と自分でないものと分けるのはいったい何なのだろうと考えたのです。少しおかしいです。きっかけは三つ違いの兄との比較でした。同じ親から生まれたのに、自分と兄とは確かに違う。当時は僻みとか理不尽さを感じていたのでした。生まれる時間が少しずれていたらどうなったのだろうか。あるいは、何かの要素が加わっていたら自分は存在しなかったのか。真面目にそう考えると、自分という存在の不確かさに混乱するのが常でした。

 解剖学者の養老猛司さんは、「自分の壁」という本の中で、「自分というのは、他者によって決定していくものだ」と言っています。だから自己にこだわるのでなく、外からの働きが自己を作っていくと考えた方がいいというのです。

 けれども自己認識というのは生物間の識別とは違っているように思えてなりません。何故ならそれは集団から自分を分離するだけではなくして、自分と世界を決定的に分けるものであると思うからです。突飛なように思えるかもしれませんが、そう考えないと自分自身が納得できない。自己を世界の中心に据えて考えることは、中二病と言われてきました。それはアニメの主人公のように、いつか自分も実力を発揮するときがくるのだと夢想したりします。そうした考えの誤まりはあります。けれども考えようによっては、そうした発想の中に人間の本質が隠されているのではないかと思うのです。私と他を分けているものは、他と他を分けているものと全く違うからです。私が宇宙に一つだけであるという自己認識は、何かの歌の中に語られていたりします。けれどもそれが何かの関係の中で語られるとき、価値はすぐに薄まって、陳腐なものにさえなってしまう。けれども創造者の光によってみるとき、私は他と完全に分離していてとても大きな意味をもってくる。私にとってそれが一番腑に落ちる考えです。

 

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年3月23日

 私たちの教会は日本同盟基督教団に属しています。教団の特色として積極的な開拓伝道があげられます。それは当初の働き人に対する敬意を込めて、フランソンスピリットという言葉で受け継がれています。

 1891年11月、アメリカの宣教団から15名の宣教師が日本に送られてきました。宣教団の名称はスウェーデン・アライアンス・ミッション(現TEAM)。設立者はスウェーデンからアメリカに渡ったフレデリック・フランソンでした。フランソンは、中国伝道で広く知られていたハドソン・テーラーに強い影響を受け、呼びかけに応えて中国に1000人の宣教師を送る決意をしていました。ところが、その頃、中国での外国人排斥運動が激しくなり、宣教師が入国できない事態になってしまいます。そこでせっかく集められた宣教師たちは、突然行先を変えられて日本に送られてきたのでした。中国と日本では言葉も習慣も全く違うので、今日であれば問題になりそうですが、そうしたことをあまり意に介さない。そんな大胆さというか、あるいは宣教のための情熱というのでしょうか、それも含めてフランソンスピリットなのだと思います。

 とにかく、中国の奥地伝道を考えていた15名の宣教師たちは、横浜港に降りたときから、日本の奥地はどこだと聞き回ります。その結果、伊豆諸島、北海道のアイヌ居住地、千葉県南端、飛騨地方がそれに該当するとされました。そうして日本語をほとんど話せないまま、分かれてそれぞれの地に出かけて行ったのでした。

 今週の火曜日から水曜日にかけて教団総会がありました。そこでスランソンスピリットが語られたわけではありませんが、そこから出てきている一億二千万人宣教というビジョンは昨年に続いて示されています。担当者からは都道府県の中で、同盟教団の教会がまだないのは残すところ二つの県とアピールされました。それが島根県と秋田県と言われると、思わずゾクっとしてしまいます。東北宣教区長として、私のお尻には火がつきっ放しの状態です。一方においては、東北地区では牧師がいない教会が増えてきているのに。どちらも宣教の課題ではあるのですが、フランソンスピリットで考えてみようと思います。

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