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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年7月27日

 パリオリンピックが始まりました。出場するアスリートは、どれだけ多くの練習を積んだことか。メダルを獲得するとか、入賞することの栄誉もあるでしょうが、そのための努力にはただただ頭が下がるばかりです。

 自分の人生を振り返ってみると、スポーツと呼ぶにはレベルが遠く及ばないにしても、そこに何かしら人との出会いが生まれ、成長してきたような気がします。小学生のとき夢中になったのは卓球でした。すべて物が不足していた時代のことで、家の雨戸の戸板を外し、庭に持ち出して卓球台の代わりにしていました。そのため玉が変な方向に飛ぶことがありましたが、それでも近所の友だちで競い合って楽しむことができました。中学生のときには、庭球部に所属していました。テレビでプロのテニスプレーヤーが世界中を駆け回っているのをみて、かっこいいと思ったのが入部の動機です。そんな軽さのためか、三年間補欠のまま終わってしまいました。社会人になってから、趣味で草野球のチームに所属していたことがあります。ユニホームなど一式買い揃え張りきったのです。でも練習のとき外野フライを取り損ね、目にボールの直撃を食らってしまいました。「センスがないからやめた方がいい」と同僚に言われ、仕方なくやめました。それから始めたのがスケートでした。滑れるようになり、もっと広い所で滑ってみたいと思っていたとき、友人からスケートのキャンプがあるから行かないかと誘われました。長野県の松原湖で開かれるバイブルキャンプです。聖書を学びながら、スケートを楽しむことができるというのです。それに参加したことが、人生を大きく変えることになりました。それがきっかけになり、聖書を読むようになったからです。

 牧師になってから始めたのはスキーでした。これは赴任した教会の近くにスキー場があり、誘ってくれる人がいたことによります。なかなか上達しないで、パラレルには到達できなかったのが心残りです。リフトに乗り損ねて落っこちたこともあります。それでも冬のスキー場を流れる空気の清々しさは今も記憶に残っています。還暦を過ぎてからは水泳をしています。バタフライ、平泳ぎ、背泳、クロールと泳げますが、何かの賞を目指しているのではありません。前に進むのはゆっくりでいいと思っています。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年6月1日

 教会のツツジが咲いています。この淡いピンクの花は、一緒に植えてある杉科の植物にとても映えるのです。手入れさえ良ければ生垣をもっと美しく整えることができるのでしょう。でも残念なことに、所々、昨年の夏にチェーンソーを入れたときの残骸を痛々しく晒しています。既に杉科の植物の何本かは枯れてしまいました。

ツツジのことで気になるのが、仙台の北東80キロにある気仙沼市の徳仙丈山に咲く山ツツジでのことです。標高711mの山頂には50万本の山ツツジ咲き、毎年多くの観光客を集めているとのこと。20年前に亡くなった父は、仕事の関係でよくこの山に行っていました。その頃は地元の人にもあまり知られず、わざわざツツジを見に行くような人はいませんでした。そんな中、せっせと山にツツジを植え続けていた人の噂だけは父から聞いた記憶があります。父も何かの手伝いをしていたようでした。

 震災があった2011年の5月下旬、私は気仙沼市の被災者に支援物資を運んでいました。車中で一泊し、翌日、目を覚ましたとき、不思議と徳仙丈に行ってみようという気持ちになりました。それで一人で車を走らせたのです。ちょうどツツジが咲きかけていて、頂上からは津波で茶色に濁った太平洋とリアス式海岸が見渡せました。登るときは誰もいなかったのですが、降ってくると人影が近づいてきます。何と昨日、合ったばかりの私の兄でした。兄も支援活動に奔走していたのでしたが、その朝、この場所が気になったようでした。震災のやりきれなさの中で、互いに父の記憶が重なって引き寄せられたのかもしれません。あるいはツツジの花には、悲しみを癒してくれる効果があるのでしょうか。そんなこともあって、教会の生垣の枯れたものは、昨年から挿し木をして植え替えを試みています。枯れたものであっても、挿し木をすれば回復できる。10本中2本が根をつけました。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年5月25日

 ときどき全く間の抜けたことをしてしまい、自分でも情けない気持ちになってしまいます。先日、家内が留守をしたときのことでした。午後には福島から仲間の牧師が来ることが予定されていて、午前中はそれに関係する書類を作成する事務作業に追われていました。家内は、接待の茶菓やお土産を用意してくれていたのです。昼になって食事をしようと台所に入ると、机の上に袋に入った仙台特性ラーメンがありました。二個入りのパックになっているもので、カップ麺とは違う本格的なものです。「へえ、こんなものがあるのか」と食欲をそそられながら、それを調理して食べました。野菜とゆで卵を入れると満足できるおいしさでお腹は十分に満たされました。間もなくして牧師が来られ、お土産を渡されたので、こちらも返礼をしようと思ったのです。ところがその時になって土産が見当たりません。用意してあるとは聞いていたけど、それが何かを確かめていなかったのが失敗でした。懸命になって探しても見つからない。家内に電話して聞いてみると、「確かに袋に入れて机の上に置いて来た」とのこと。その袋がどうしてもないから困りました。しまいには空き巣にでも入られたのだろうかと考えたりしたのです。近頃、回覧板にそんな警戒情報が掲載されていたことが頭をよぎります。でも泥棒がお土産を持っていくとは考えにくい。それに部屋はいつもと変わりありません。散々探してふと思いついたのが、食べてしまったラーメンのことでした。携帯で「まさかお土産ってのはラーメンのことじゃないだろう」と聞くと、そうですとの答え。どうも袋に張り付けたメモを見落としたのが原因らしいです。袋だけが空しく残っていました。食べてしまっては取り返しがつきません。福島から来られた牧師には、事情を話して失礼を詫びた次第です。いや、一瞬とは言え誰かを疑ったことが罪でした。

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