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執筆者の写真: 秋山善久
秋山善久
2025年3月13日

更新日:2025年3月14日

 震災の追悼記念があった日の前日、故郷である気仙沼まで車を走らせました。海は、どこまでも青く穏やかでした。魚市場周辺の埠頭には多くの漁船が連なって、昔の活気をとり戻しているかのようです。それでも、打ち消しても打ち消しても、どうしても14年前の光景が頭をよぎるのでした。

 あの日、仙台市内も停電で真っ暗闇になりました。私たち家族は、石油ストーブで暖をとりながら、ラジオのアナウンサーが、荒浜の海岸に多くの遺体が横たわっていることや、気仙沼湾一帯に火の手が広がっていることを報じるのを、信じられない思いで聞いていました。そして、被害の広がりに怯え、言いようのない理不尽さに懊悩し、不安と悲しみに暮れて、懸命に何かを手繰り寄せようとしていたような気がします。

 復興事業が完了した大谷海岸に足を運んでみると、かつては最も海水浴場に近いJR駅とされた所が震災伝承館を兼ねた道の駅になっていて、観光客が列をつくっています。 

 国道を跨いで、新しく工事で作られた砂浜に立ち、しばらく海と空を眺めていました。震災から一年以上、海は茶色に濁った色をしていた記憶があります。それが今は水平線まで深い青を重ねています。仰ぎ見た空には雲が一つもなく、水晶のように透き通って吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えました。

 「神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた」(創世記1書7節)と聖書にあります。説明のできない悲しみとか悩みというものは、空と海が一つであった創造のときまで、遡らなければわからないのかもしれない。そんな思いがしました。

執筆者の写真: 秋山善久
秋山善久
2025年3月6日

 子どもの頃、寝床から天井を見上げると星空が見えました。天井板が貼ってなかったこともあり、屋根に空いた小さな穴から星の光がストレートに入ってきたのです。それにしても、探しても見つからない穴なのに、どうして星空が見えるのだろうと不思議に思ったものです。後にそれは、ピンホール効果と言われるものであることがわかりました。真っ暗な部屋の天井に空いた穴を通して、遠くにある星に焦点が合って見えたのです。そんなこともあって、星空には小さいときから親しみがあります。宇宙について考えるようになったのも、そうしたことが影響しているのでしょう。それは空想的であり、物語的であり、また少しだけ科学的でもありました。

 現代物理学では、宇宙は137億年前のビックバンから始まり、今も膨張し続けているというのが定説になったいます。けれども、実際に宇宙を観察されたものでは、秩序の中に構成されているという事実に突き当ります。太陽系だけを考えても、太陽の大きさと地球の大きさ、あるいはその距離、月の大きさと地球との距離など、そのすべてがセットされなければ、現在の地球環境が維持されることは無理に違いないのです。どうしてそれが可能になっているのか。これを神が存在することの証明と考える人もいます。けれども、哲学者パスカルが「パンセ」に書いているように、星の運行などによって説明はできても、神を証明することはできないでしょう。神は信仰の領域であるからです。

執筆者の写真: 秋山善久
秋山善久
2025年2月27日

 父が肺癌で亡くなって、母は大腸癌でした。ですから、8年前、精密検査を受けるよう通地がきたときには、いよいよ来るべきものが来たかと腹を決めました。なかなか止まらない咳に、いつもの風邪の症状とは違うものを予感していたからです。大学病院での検査では、肺に陰が認められるとのことでした。すぐに検査入院となり、その日は病棟の窓下に広がる夜景を見ながら、残されている時間が少ないことをしみじみ感じました。

 古典落語に、死神というのがあります。死神のおかげで大儲けをした男が、死神の所にあった自分の灯を間違えて吹き消してしまうというものです。その可笑しさの頂点は、男が死神に、間違いなので元に戻してくれと必死になるところです。

 大学病院では、ペットとかMRIとか様々な検査を受けました。診察した医師によると、肺には確かに陰が認められるけれど、それが良性なものか悪性なものか判別できないとのこと。そこで投薬も治療もないまま経過観察となりました。それからしばらくして、自然公園を散歩していたとき、公園の東屋で朽ちかけた椅子に腰をおろして祈っていると、心の内側から希望のような熱いものが沸き起こってくるのを感じました。癒されるという確信みたいなものです。病院にいくと、不思議にも医師からは陰が全く無くなっていますと告げられたのです。どこでどうなったのかわかりませんが、医師の誤診でもなければ、私の間違いでもなさそうです。とにかく家族と共に飛び上がって嬉しさを噛みしめました。

 モーセの祈りに「私たちは自分の齢を一息のように終わらせます」(詩90:9)とあります。人生の短かさを自覚できないことは、落語のお話だけではないでしょう。あのとき以来、健康でいられることは感謝です。今は日々を主に支えられ、大事に生きたいと思っています。

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