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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年2月1日

更新日:2024年2月2日

 冬から春に向かうこの時期を、光の春と表現することがあります。もともとは冬が長いロシアの言葉らしいのです。それが日本でも用いられるのは、春らしい陽気とはいえないけれど、確実に日差しが伸びていることに春を感じようとする気持ちがよくあらわれているからでしょう。

 能登半島地震の被災地では、ライフラインの復旧が急がれています。なかなか進まない工事に苛立ちを募らせる人も多いと思われます。仮設住宅の建設が遅れているので、そこに移転するまでに疲れ切ってしまいはしないか心配です。東日本大震災とは全く状況が異なるので、軽率なことは言えないのですが、共通した部分が見出されるたびに心が痛みます。あの時の被災地では、梅や桜の開花も話題にならなかった。そんなことに気にとめる余裕などなく、朝、床から起きたときにある課題のため終日走り回っていました。それでも春が来て、何かが少しづつ動き出していったような感覚があります。

 春は待ち遠しいけれど、その足音がなかなか近づいてくれない。まるで行ったり来たりしているように思われてしまう。北風に晒されたり、雪と氷に閉ざされるようなことが起こったりもする。あるいは裏切られたような気持ちになってしまう。それでも確実に春は来る。冬枯れの中に、突然に花を咲かせるアーモンドのことを、パレスチナでは目覚めの木と呼ぶようです。春にはそんな驚きと感動があります。

 神への信仰では、春を待つ思いと共通なものがあると思います。神の言葉が成るということでは、光の春と同じような確実さがあるからです。近くの家の庭先に福寿草が咲いていました。春はそこまで来ていると実感しました。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年1月27日

更新日:2024年1月28日

 牧師としての歩みを振り返ってみると、いつも障がい者との関わりがあったことに気付かされます。その出会いは常に新しい発見であり、神の恵みを知る機会でもありました。クリスチャンになったのは21歳の頃。教会には、Hさんという知的障がい者がいました。ある日のこと誘われるまま彼の自宅にいきました。すると、Hさんのお母さんはとても喜んでくれて、手打ちうどんを御馳走してくれたのでした。お母さんの話を聞けば、Hさんは職場では辛い思いをしているとのこと。教会でいつもにこにこしているのと違う現実があることを知らされたのでした。牧師になってその教会から離れても、Hさんから度々電話がありました。その交わりはHさんが癌で召されるまで続きました。

 実家で障がい者のNPO法人が立ち上がったのは、それと直接は関係がありません。それでも主の御手の内に、どこかでつながりがあるような気がするのです。あるとき、義姉から福祉事業の話を聞きました。義姉は市内の私立病院で長年看護士をしていました。定年退職をしたときで、これからは地域のために何か福祉的なことを始めたいというのです。そこで同じ気仙沼市内にある障がい者施設を紹介しました。東日本大震災のとき、地元の人と支援者で協力して設立したNPO法人・セミナーレで、私はその立ち上げに関わった一人だったからです。こうしたことから、それをモデルとすることがトントン拍子で決まり、短期間でNPO法人・水梨カフェとして設立認可を受けるに及んだのです。ただ施設と言っても実家の納屋の一部であるし、そこはビニールで仕切った部屋が含まれていました。ですからスタートはとても小さく、不便さが満ちていました。それが1年程して思いがけなく大きく変わることができました。近くの廃校になっていた小学校を借り受け、全面移転することができたからです。今では職員20名を擁する多機能の施設として広く用いられています。納屋で始まったときから数えると5年。怒涛の変化でしたが、弱い者に目を注がれる主の導きと恵みであったように思うのです。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2024年1月19日

 先日、ある方から、どうして牧師になる決断をしたのですかと質問を受けました。職業として考えたら、牧師とはきわめて稀有な存在に思われたのでしょう。数のことではなく、損得の考え方とは別の次元にいるということのようでした。自分では踏み慣らした道であっても、他の人から見ればそうでないのかもしれません。振り返ってみれば、牧師としての歩みは荒野に備えられた道のように、困難はあっても恵みの道でした。そんな感慨を抱きながら、その道に踏み入る決断をしたときのことを思い出しました。

 当時、私は某電気会社の社員でした。教会に通うようになって五年ぐらい経っていて、青年会の会長をしていました。教会にはたくさんの青年が集まり、常に活気が溢れていました。あるとき、牧師は、教会のリーダーの訓練会を始めると言い出しました。テキストとなったのが、スポルジョンによる「牧会入門」でした。私は小説以外にそんな分厚い本を読んだことがありませんでしたが、それでも読む前から神聖なものを感じたのでした。その第一章に記されていたのが教役者への召しということです。今でも印象深く残っているのは、「もしあなたが教役者にならなくてもいいと思っているところがあるなら、ならない方がいい」と書いてあったことです。要するに教役者になるには、自分では抑えることができない程の内的な確信がなければならないということなのです。預言者エレミヤが「私は内にしまっておくのに耐えられません」(エレミヤ20:9)と述べているような熱意です。それは神からの召しということで、これがないなら教役者になってはならないとありました。

 それをどのように受け止めたのか、記憶に曖昧なところがあって、論理的にうまく説明することはできません。それでも自分の思いだけで決めたなら、教会が立ちいかなくなったとき、自分自身の方向性を見失うだけでなく、教会にも迷惑をかけるだろうと考えたことは覚えています。実際にこれまでの歩みの中には、そんなことが数多くありました。それでも前に進むことができたのは、主の召しが真実であったからだと思っています。

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