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  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2023年1月9日

 日曜の朝、盛岡みなみ教会との合同礼拝のため、日の出前に車で仙台を出発しました。盛岡の教会の主任牧師を兼ねていることによるもので、二ケ月に一回の間隔で両方の教会をリモートで結ぶ礼拝をしています。高速道路を使うと仙台から盛岡までは2時間。でも、高速道路に乗らないで一般道を走ってみようと思いました。実は最近、車の調子が悪く心配なことがあったからです。オートマチックの変速ギアがうまく作動しないのです。そのためアクセルを踏んで加速すると、グイグイと押し上げるようなギアチェンジをする。そんなことで慎重に運転していたのですが、何とか行けるかも知れないと思ったに途端に車がガタガタと振動して警告ランプが点灯してしまいました。あわてて車を路肩にとめてエンジンをかけ直してみたのですが、黄色い警告ランプは点灯したまんま。田んぼの真ん中のような所で、狭い国道の道幅いっぱいにトラックが行き交っています。ほんとうに困ってしまったのですが、仕方なく最も近い新幹線駅がある古川までゆっくり運転して行くことにしました。実は警告ランプの意味がわからなかったのです。新幹線に乗車してからネットで調べてみると、どうやら排気系統の異常のようでした。すぐに車をとめて修理工場に運ぶように書いてあります。つくづく高速に乗ってからでなくて良かったと安堵しました。

 車を運転するようになって40年以上しますが、今まで実に多くの車のトラブルがありました。高速道路でパンクしたこと、雪の山に突っ込んだこと、あげくの果てには後ろから追突されてトラックに挟まれたことまで。そうしたひとつひとつのことを振り返ると、どれも怪我無く済んだことが奇跡のように思えます。盛岡での奉仕が終わり、古川駅前に駐車してあった車に戻りました。そこからは妻の忠告に従いレッカー車で運んでもらいました。

 今年もいろんなことがありそうです。でも恐れることなく前に向かって行きたいと思っています。それでも、やはり車の調子が悪いことがわかっていて盛岡まで遠出しようとしたことは間違っていました。大いに反省しています。

  • 執筆者の写真秋山善久

 久しぶりにこのコーナーに記事を書いています。前回は8月でしたから半年近くも空けたことになる。おまえの秋はどこに行ったのか、名前だけに秋が残ってると言われても仕方ないのです。今年の反省として、息切れして続けられなかったことがあげられます。特に後半はへたることが多かった。一度、地面に尻をついてしまうと、なかなか起き上がれないのと同じです。それでもホームページは、役員であるT兄の労によって更新され続けました。礼拝メッセージのダイジェスト、トップ画面の写真、アルバム、聖書の舞台はT兄によるものです。私が定期的に更新したのは聖書の小窓だけでした。T兄には本当に感謝しています。

 一週間の中で昼と夜が逆転する生活が始まって10年近く。体調のバランスをとるのに以前より時間がかかるようになりました。それでも、そんなことは言い訳にならないし、やり方次第だと思っています。昔から短距離走よりも長距離走の方が得意でした。それなのに、短距離走のようなことばかりした一年でした。若いときでも無謀なことを、古希になって続けているのですから途中でへたるのは当たり前。でも来年は、最初に戦略を練ろうかと思った次第です。箱根駅伝とまでは行かなくても、長距離には長距離の走り方があるだろうと。矛盾するようですが、幸い体力だけは落ちていません。温水プールで2キロ泳げるし、懸垂だって繰り返しできる。いや来る年には、そんなことより霊的な鍛錬に打ち込みたいと考えています。これもバランス次第ですが。

  • 執筆者の写真秋山善久

 30年程前のこと、私は、Oさんという統一教会の信者の脱会のため、その親族の方々と一緒に取り組んでいました。その頃は、今と同じように被害のことが連日マスコミで取り上げられていました。どのカルトも最初は優し気で、親切に悩みを聞いてくれます。Oさんというその娘さんは、地方から都会に出で来て孤独であったときに、統一教会の勧誘を受けたのでした。家族がその異変に気が付いたのは、帰省して家族と交わったときだったということです。以前とは表情が変わり、会話が成り立たなくなっていたのでした。

 救出のためには準備と計画が必要です。そのとき、Oさんの御家族が支払った犠牲は大変なものがありました。私を含め救出のために働く人はボランティアですから、そのための報酬を家族が用意する必要はありません。でもその準備のために、家族は時間をかけた学びが不可欠です。また実際に救出するためには、家族が一致してカルトから守らなければなりません。Oさんのお父さんとお兄さんは仕事をやめなければなりませんでした。準備に1年、救出に3ケ月を要しました。そして何とか脱会に成功して、しばらくリハビリをすることになりました。そんなある日、Oさんは突然に姿が見えなくなりました。後でわかったことは、統一教会の指示で北朝鮮に渡り、田舎の見知らぬ男性と結婚させられたのです。その日以来、Oさんは連絡がつかず、未だに日本に帰ってきたという話を聞いたことがありません。

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