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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年12月28日

更新日:2023年12月29日

 クリスマスから新年に向かうこのときは、牧師にとって師走のラストスパートということができるでしょう。とにかく忙しい。先日行われた全国高校女子駅伝では、優勝したチームのアンカーが、それまで先頭を走っていた選手を猛追し、ゴール前僅か1秒差でかわしました。あのスピード感と爽やかさは若さそのものでした。それに比べるべくもなく、当方の年末の走りは体力が続かなくなってきました。気力を入れ直さないと最後の坂を登りきることはできない。そんな中、ふと立ち止まってみると、瞬く間に過ぎ去った一年が夢のように思えてしまいます。そして先を見渡せば、そろそろ人生のゴールラインが視界に入ってきたようです。生まれつき方向音痴のため、ずいぶんとへまを重ねてきました。でも人生のゴールだけは見間違えるようなことだけはしたくない。そこで主から受けるのは、おそらく優勝トロフィーのようなものではありません。ノロノロの人生でしたし、優勝することなどまず無理です。でも賞がないということでもない。決して驕りではなく、主がそれを得るよう励ましているのですから。とにかく肉体は弱っていても、軽やかな気分でゴールしたい。

 もうひとつ年末が忙しいのは、新しく迎える年に期待感があるからでしょう。少なくとも年の区切りがなかったら、過去に捕らわれて前に進めない。あるいはダラダラと進行してしまう。自分自身そんな反省を持ちながら、人生のゴールに向かって新たなチャレンジをしていきたいです。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年12月20日

 各地のイルミネーションが話題になっています。仙台光のページェントでは、定禅寺通りのケヤキ並木に50万個の小さな光が灯されます。決して派手ではありませんが、それだけに素朴さと気品があふれているように思えます。食べ物に譬えると、飛騨のみたらし団子でしょうか。

 先日、教会のツリーにみんなでオーナメントを吊るしていたとき、クリスマスの星のことが話題になりました。救い主誕生を祝うため、東の国から旅した博士たちを導いた星のことです。この星が何であったか。ある人は彗星であると言い、ある人は惑星の重なりだと言います。正確なことはわかりません。でも博士たちが闇の中に輝く星に導かれて、ベツレヘムまで行ったことだけは確かです。当時、多くの人々が同じ星を見たでしょう。けれども、この博士たちだけが、信仰によって行動したということです。聖書の記述では、そのことがユダヤ人たちの態度と対比して書かれています。想像してみると、闇は地の果てまで圧倒していたでしょうし、夜空には他の星々が無数に輝いてみえたに違いありません。博士たちを導いた星にしても、それが博士たちの頭上で特別キラキラ輝いたのではないかもしれない。それでも星に示された希望に向かって歩み出した決断。その信仰による一歩に、言い知れぬ励ましと勇気を感じます。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年12月14日

 どうでもいいことを、だらだら話すことができる昔からの友人がいます。お互い趣味も興味も全く違う。住まいは互いに遠く離れているのですが、ネットの無料電話だから長くなっても気になりません。月曜の朝、「ごはんはたべたか」と電話がかかってきました。それに釣られて、つまらないことを言ったりもする。「もう年ださ。限界だよ。人の話していることがわからなくなってしまった」 すると友人に「それは年のせいなんかじゃない。昔からあなたは人の話を聞いてなかったよ」と笑われました。一瞬、カチンときたのですが、そうなのかと思い直しました。自分は今になって人の話を聞いていないことを自覚させられたのかと。

 そんなことは牧師として致命的なことです。そうであるなら、偽預言者のようなものではないか。主イエスも、度々、聞き方に注意しなさいと言われたというのに。これらの個所で指摘されているのは、聞き方のテクニックとか能力のようなものではないはず。固執しているものから出ようとしない強情さです。自分は本当のところで聴いていなかった。真剣に向き合わないで、手軽なことを考えていたのではないか。振り返ってみると、そうしたことで素通りしたり、無意味に反発していたことが累々と思い出されます。心が砕かれ、へりくだらなければならないことでした。

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